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◇「そんなこと冗談ではないー」ということがいよいよ真実味を帯びてきた。空から舞い込んで来そうな有り難くないものに、この日本がほんとに適切に対処できるのか、不安である。いまわが国最大の課題、野球どころではない◇WBC日本優勝は喜ばしいことだが、ミサイルが飛んで来そうだから始末が悪いのである。独りよがりの困った国が近くにあるのは、「安心安全」を標榜するわが国にとっても迷惑極まりない。「それもこれも、元はといえば」と先方は言うかもしれない◇人工衛星なら自国の真上に向けて何故打ち上げないのかと普通には思う。たとえ衛星を備えていたとしても、古い歴史を目一杯詰め込んだまま国威高揚なら、いかにも古いタイプの恣意行為としか映らない。核ミサイル保有国をめざし、新たな争いを生じさせるより、折り合いのつけ方に誤算のない様、国民を導いた方がよいのに◇単純に、健忘忘却記憶にないという国もどうかと思うが、そういう曖昧模糊とした隙間に付け込んで、困らせるように発現する国も争いの火種では多恨の極みとなる。

(3月30日号掲載)

◇もし空が晴れていても今夜の月に光はない。太陽と月と地球を結ぶ直線は、月が太陽と同じ方向の明日が新月。向こう4日間は大潮となる。人々は世界が明るくなるように願っていても、思いとは逆の方向に流れるときがある。それは辛いことだ◇賢明に職場を創設することの出来ない職場は悲惨である。年配者の生きる術(すべ)のようなものが、若者に届かない職場とすれば、こういう時代はなお一層悲惨である。毎日当たり前のように遅刻する常習者に何も言えない職場は不健康◇掃除当番のいない職場も不思議。病気の人への思いやりも薄れ、情け容赦なく冷徹な言葉が浴びせられるなら、それだけで「場」が病、「職」は痩せ細っている。何故かを一度深く再考してみるべきことだ。居心地の良いということで「笑い」がその人だけのものと思い違いしてはいけない◇居心地の良さの向こう側の本性が見られているのだ。それを見極めることだ。同時に、その反対側を思い浮かべ得ないイメージの貧困者には、自省してもらうしかない。月の満ち欠け「公平さ」が鍵。

(3月26日号掲載)

◇きっと、もう少し暖かくなれば気分も良くなるだろう。気圧の変化が人間のからだにデリケートに作用する。敏感に感受するのは男性よりも女性の方か。男女関係なく若者より年輩の方に響いてくる。だが複雑な現代社会には、もう年齢差や性別に関係はない◇れっきとした大人に麻疹が襲っている。抗体のない妊産婦が増えているという。また、逞しいあのターザンのようなワイルドな若者も近所や会社にもいない。不思議と皆が繊弱で、生存ラインすれすれに生きている◇そんな中で、あの過酷なサッカーJ1リーグの「モンテディオ山形」と「名古屋グランパス」の一戦は素晴らしかった。降りしきる雪でピッチは白くなり、視界もままならない状態で山形はよく頑張った。このゲームにより、選手たちからは「力」を県民は得たように思われた◇名残雪はもうこれでいい。彼岸を境に陽気も良くなるだろう。気圧・風圧やそれに自身の血圧に翻弄されるのはもういいだろう。何かを空っぽにし、何かを充実させる、〈均衡〉は骨と筋と肉とで支えよう。自立気構えで―。

(3月19・23日合併号掲載)

◇大・中・小・極小メディアが病んでいる。あの「N・H・K」にいたっては、総務省から愈愈(いよいよ)来るものがきた。総務省からの「注文」である。明らかなことは、一種の政府プロパガンダ「統制放送」の様相である◇これは、「N・H・K」内部で相当にもめることになるはず。しかし、時流は右傾化しているから、あっさり編集権や報道の自由など手放すことになるかもしれない。かなり以前から、すでに手篭めにされ、懐柔され、言いなりになっている弱さが見える◇番組を見るとそれが匂うのがある。おそらく、海外へ発信される番組の中には、北朝鮮を意識した、ある種、手の込んだメッセージやコメントが発信されることだろう。その程度ならいいが、あの異常なテンションの高さでアナウンスする北朝鮮の「朝鮮中央テレビ」画像◇日本と北朝鮮のメディア合戦が始まるものと思う。何でも、金総日の命により「党の声を伝えるアナウンサーの話術は当然、放送の性格と使命にかなったもっとも戦闘的で革命的なものでなければなりません。」と。またも、「38度線」から発射か―。

(3月16日号掲載)

◇いま上野の東京国立博物館で興福寺創建1300年記念「国宝阿修羅展」が開催されている。学生の一人旅、奈良を訪ねたとき、この仏像に逢うのが目的の一つでもあった。病み疲れた若者を待つこの像の存在感が懐かしい◇季節も同じ3月、今度はかの地から東の都に。]軸とY軸上に放物線が限りなく近づきつつも、それが永遠に交わらない不思議な世界のあることが現実社会にあること。この「像」はしっかりその「原点」を指し示していた。仏像は一点を凝視続けていた◇若者の寄る辺なき姿の前に、憂いと力を秘めて立つ「阿修羅像」、この像の原点こそが「ゼロ」でないはずながら戦闘神にも拘らず、若者はここから出発している「原点」と置き換えていた◇仏教に取り込まれた以前の古代インドの「アスラ」は魔神、しかし興福寺の「阿修羅像」は仏教の守護者として八部衆に。身の回り、人間社会は生きながらの修羅場が続く。青春切符を買って東の都に静かにおわす「阿修羅」に逢いに行きたくもなる。テレビでは相模出の北条三郎(上杉景虎)が疑心暗鬼となり、上杉景勝、樋口兼続らと修羅場を繰りひろげていた。

(3月12日号掲載)

◇政治家集団がこのような体たらく振りではどうしようもない。めらめらと怒りが湧いてくる。人々がこの困難な時期を一生懸命に努力して乗り切ろうとしているのに、政財界の相も変らぬ腐敗振りに、いよいよ救われるべき人も救われなくなっていく◇何と腐れ果てた国に成り下がっていることか。これでは一体、誇りを持てと誰が言えるのか。目立って「埃」しか出て来ない国を誰が喜ぼう。自民党にも清廉で気骨のある老議員が何人かいた。宇都宮徳馬氏や後藤田正晴氏(共に故人)の顔が目に浮かぶ◇その後藤田氏に有名な「後藤田五訓」というのがある。一、出身がどの省庁であれ、省益を忘れ、国益を想え。二、悪い本当の事実を報告せよ。三、勇気を以って意見具申せよ。四、自分の仕事でないと言うなかれ。五、決定が下ったら従い、命令は実行せよ◇これは、展望子にとっても耳が痛い。しかし、さすがに危機管理に優れたお人のメッセージである。国の中枢、国会発の政治ゴシップは、どこの党であれ国民の目に一度つまびらかに示されなければならない―。

(3月9日号掲載)

◇箸置きのお雛様を飾った。ついでに紙で扇をつくり、金屏風の前に添えた。これをカメラで大きめに写すと結構さまになる。立派な飾り物に見える。いなり寿司、のり巻き寿司が最高のご馳走である。雛にお寿司、いま東京上野駅周辺の回転寿司屋が繁盛している様子◇テレビでは朝獲りたての金目鯛やカンパチが店に到着すると直ぐに水槽に入れられる。お客さんが程よく席に着いている頃を見計らい、寿司店の若い職人がマイク片手にこれから始まる活魚の包丁捌き、実演開始を告げる◇そのとき客が拍手し、一緒に盛り上げる。注文は早い者勝ちで、捌き始めてから10分でそれは完売した。ある店では回転している皿の下に電子チップが組み込まれており、コンピュータですべて商品は管理チェックされている。その日売れ筋の種類も予測できるという。何回転かしたのり巻きの皿など、自動的にコンベヤーから捨てられる◇勿体無い。その方が気になった。季節の移り変わりごとの日本の食生活、実に多彩で節約どこ吹く風だ。一年に一度の節句ではないか絶句はまずい―。

(3月5日号掲載)

◇「ブログ」がやっと分かったら、今度は「プロフ」という。道具は使い誤ったら常に危険と裏腹。コンピュータも携帯も何だか具合がおかしい。さしたることではない、と高をくくってばかりはいられない。油断禁物だ◇専門家の人から診断してもらえば、家庭で使用しているPC内に〈ウイルス〉が複数進入してことが多いという。「ベクター」などからの無料で便利なソフトを利用する機会が多いだけに、たとえば音楽演奏ソフトなど、安く上げようと、安易に対するのは慎まないといけない◇キー操作一つ間違えば、PCが暴走する。「いい加減、〈ウインドウズ95〉は捨てろよ」、と友人から注意を受けた。確かにそうだ。いよいよヨレヨレである。リカバリーを試みたが成功しなかった◇年貢の納め時とはこういうときか、往生際の悪い性分。今まで、家ではデスク・トップばかりで、今度は軽いノートパソコンにしよう。そう広くもない家に、数台のパソコンをネット・ワークで組んでいる。道具への愛着というより、ただの執着で、仕掛けられている呪縛のようでもある。

(3月2日号掲載


◇1860年の2月26日、江戸幕府の咸臨丸(勝海舟艦長ら一行)はサンフランシスコに到着した。麻生太郎首相もこの26日、米国に着いた。双方の脳裏にはすでに先の「2・26事件」の暗い歴史への思いはあるのだろうか◇ワシントンに着いた麻生さん、オバマ大統領の招き(?)というより、日本からの新大統領就任後、初の表敬訪問の様相◇海の向こうからは、納棺師を主人公とした映画『おくりびと』とアニメ映画『つみきのいえ』が晴れてアカデミー賞に輝いたとの嬉しいニュース◇政治の世界と芸術の世界は時に真っ向から対立し、ときにものの見事に吸収されもする。その昔からの相関関係。今回の会談には直接関係しないことが何よりもの救い。両首脳による直接対談は、実質僅か30分だけの短時間◇意味があるとするのはアメリカと日本の「同盟」の一点のみか。2人で心静かに受賞作品でも鑑賞すればよいのに、と余計なことすら思ってしまう。ホワイトハウスでは、かつてJ・F・ケネディがP・カザルスを招き、チェロの深い調べのスペイン民謡『鳥の歌』を感銘して聴いたという。

(2月26日号掲載)

◇雪が消えたり、積もったり。オホーツク海からの流氷が北海道海岸線に着いたという。ロシアといえばモスクワからは小泉元首相が帰国したばかり。「自民党をぶっ壊す―」と豪語したご当人、壊し切れる余力があるのかはわからない◇「3分の2国会」議決の際には欠席することを表明。ひとり自民党内から浮き上がった。明確な反対意思表明者となって、今度は「処分」の追い討ちが待ち構えている。「脈絡がない」と太郎さん。脈絡がないのは同じでないの、とこちら◇それを言うなら、しっかりした国政を、と思う。何しろ長すぎる一党支配に、国民はうんざり加減。カマキリ幹事長が小泉さんと指しでわたり合っても茶番劇になるだけ。それでも、国民は「劇場空間」の再現を眺めたい思いか◇来日したヒラリー・クリントン国務長官から丸められ放題のわが国、「アフガニスタン」はさらに混迷を深めるのは分かりきっている。明治神宮で柏手打っても、明治天皇・昭憲皇太后の御神霊がお喜びなられるのかどうか。独立自尊の気概と誇りを持った「島国」こそが美しいのに。

(2月23日号掲載)

◇酩酊大臣は過去に泉山三六というトラ大臣がいる。現在の庄内町の出身で、大蔵大臣を務めた。こともあろうに、国会衆議院予算委員会の最中に廊下で日本進歩党の山下春江議員に抱きつき額に噛み付いた。今で言う「セクハラ」に及んだ。麻生太郎の祖父吉田茂内閣総理大臣時の大蔵相であった◇この度の朦朧(もうろう)、中川昭一財務金融大臣の酩酊記者会見の映像をみて、これは「薬」の飲み過ぎとばかりでないことが明らか。事もあろうに国際会議出席時という重大な外国での出来事である◇まさに親方「太郎」さんは、部下のかばい方にも品のない喋り方で、かれをかばった。2人日本に居るときは、どこぞの高級ホテルのバーなんかで、それこそ痛飲するのだろう。そう想像してもおかしくない。日本政治家の醜態振りが彼の地で◇太郎さんの祖父は短気ではあったが、小柄で肥満・丸顔の憎めないお爺ちゃんだった。孫の「太郎」さんときたら、自分が不利なときには口を一際への字に尖らせてひん曲げる。卑しい顔になる。21世紀の「トラ大臣」の退任で終わるものではない。

(2月19日号掲載)

◇山形県内の政界再編が進もうとしている。権力など影響力を持っている人々の人脈・金脈・運脈に照準を定め、目に見えない動きが水面下で動き始めている。中に静観を装っている人も、潜ってばかりの儘(まま)ではおられない、と何れかに「参画」せざるを得ない人も出て来そうだ◇その選択は、複雑に入り組んだ人間模様に彩られながら、結局、態度表明を強いられる。「主体性」とか「普遍性」とか、抽象的な世界での決断や意思決定というより、長く迷い続けたその長さに比例する形で「参画」する場合の人もあろう◇報道によると、知事公舎の「主」がいなくなる。文字通り住む人が居なくなるということである。これがよいのかどうかは分からない。常に一つの「力」はあるところに向かって集中したり、そうでなくなったりして周辺も含め「人間」そのものが蠢(うごめ)く◇問題は、公舎が「空」になるということばかりではなく、2月13日を期して本丸(本庁)外のスタッフが占める複数の外堀での支援部隊の活動や本丸での指導力など今後は特に注目される。

(2月12・16日合併号掲載)

◇インドネシアのコモド島などに生息する大型のトカゲ、「コモドドラゴン」が一度狙った獲物を何日も追い続け、追いついては強靭な顎と強力な尾で一撃し、食いちぎるという。死肉の匂いなども遠く4`先まで嗅ぎ分ける鋭い臭覚の持ち主◇ドラゴンというから「竜」のような想像上の霊獣で胴体がヘビ、頭部に2本の角、長い口ひげと思いたくもなるが、コモドドラゴンは体長3bにもなるオオトカゲ。イグアナもトカゲであるが、体長はずっと小振り◇寿命も20年〜30年近くとも聞く。ところが、このコモドオオトカゲは100年生きるのも珍しくないとも。100年といえば、ニュージーランドの博物館で111歳になる「ムカシトカゲ」が繁殖し、子供をもうけたという◇同じ爬虫類だが、進化の系統がコモドやイグアナなどと異なり、明確に有鱗目トカゲ亜目でないとの見方。脳や移動の方法など両生類に似ているとも。見た目はいずれもが恐ろしい恐竜のような姿、イグアナに至ってはこの日本の石垣島にも生息しているとも。海のタツノオトシゴは竜馬の姿だが小さな「魚」だ。

(2月9日号掲載)

◇県のホームページから、「やまがた教育『C』改革行動指針(案)」の概要」が飛び込んで来た。このやまがた教育「C」改革の『C』というのはコミュニーションを指している。「子どもたちの人間力を育成するため」とも記されている◇もともと、円滑なコミュニケーションの取り方が苦手な当方、幼児体験から社会人になるまで、そして現在に至るまでを思い起こしながら読んだ。「コミュニーションを核として、学校、家庭、地域における教育活動全般を見直し、心が通い合う教育を実践するもの」と続いていた◇「心が通い合う」ことが余りに少ない最近の世相、地域、職場環境など息の詰まることばかり目立っており、益々言葉が消え、やせ細ってそのうち枯れ草になっていくような思いにかられる。「対面無言症候群 (たいめんむごんしょうこうぐん)」が若者たちに増えているという◇喋るのが煩わしく、面倒くさい―、が根っこにある。「C」改革のめざすもの は、高校卒業時までの子ども像を設定しているという。家庭・学校・社会体験の対処如何では子供に消えないトラウマを背負わせることにもなる。新しい知事は弱い者の見方というから、これらの点にも期待しよう。

(2月5日号掲載)

◇郵便局の「簡易保険」は、子供の学資ばかりでなく、冠婚葬祭に至るまで、わが家にとっては有難い身近な窓口であった。親戚に旧貯金局や郵便局、電話局と、いわゆる「郵政族議員」ではないが、何よりも郵政一家であった◇民営になる以前の、旧全逓一家でもあった。それゆえか今後さらに疑問視される例のオリックスへの簡保施設一括売却への鳩山邦夫総務大臣の怪気炎は「正論」に見えた。得体の知れない鳩山兄弟がまるで入れ替わったようにもみえる◇いつも聞かされる兄君の瞬きしない鸚鵡(オウム)返しのような語り口調より、今回はずっと迫力がある。2400億円も投じてつくられた全国各地の「簡保施設」を、オリックスにその22分の1の109億円で一括売却とは◇これは小泉・竹中ラインから豪腕策士西川善文初代日本郵政代表取締役社長、宮内義彦オリックス取締役兼代表執行役会長らの本性を垣間見せる、まさに〈バナナの叩き売り〉、出来レースレーサーそのものだ。錬金術師たちの頭脳からこうしていつも庶民は一杯食わされる。何かがまた動き始める―。

(2月2日号掲載

◇今ではすっかり有名になった鶴岡市立加茂水族館の村上竜男館長、高校の先輩ということもあって親しみが一層湧いてきた。何しろ若いときから自由な発想と行動力が後輩たちから一目も二目も置かれていたお人◇「クラゲ」が人々の癒しになっている。展示数と飼育にかけて世界一に。そして館長と「オワンクラゲ」の研究でノーベル賞を受賞した下村脩博士との交流のニュースが日本国中に広がった。館長は手紙を出し、直接博士からアドバイスを得たという◇あのときのニュース画像から、これは素晴らしい報道だ―、と思った。下村博士と村上館長、しかも村上館長の高校時の校長先生と下村博士の面相が実によく似ておられ、驚きは倍増した。そして、旧制第八高校(現名古屋大学)から東京帝大の物理に進んだ校長と下村博士は名古屋大での同窓、先輩後輩にあたることも。不思議な繋がりである◇「クラゲ」の神秘的な命の輝きが実に感動的で、先に同館が受賞した日本動物園水族館協会最高の「土井賞」に続き、今もその光明が日本海の加茂から発し続けている。

(1月29日号掲載)

◇「43から44へ」、米国大統領執務机の上に置かれていた封書。ブッシュ氏からオバマ氏へのものという。これが引継ぎの印か。表書きが数字だけという。いかにも、伝統的に行動における実用、実際主義プラグマチズムの国家の作法◇18分とも19分とも言われる就任演説、そのスピーチ原稿を27歳のジーンズ姿の一青年がとある喫茶店で書き上げたというからまた面白い。当方、英語も分からないのにその原文をインターネットから取った。ついでに幾通りかの日本語訳を較べてみた◇訳によって格調が高く感じられるものから、そうでないものまで様々だった。その一つを400字詰め原稿用紙に収めてみた。約8・5枚(170行)分あった。大統領は自分の言葉としてそれを諳(そらんじ)、流暢に語りかけた。直面する国内外の諸問題に言及し国民を鼓舞した◇「家が失われ、雇用は減らされ、企業はつぶれた。医療費は高すぎ、学校は、あまりに多くの人の期待を裏切っている。(石油などを大量消費する)私たちのエネルギーの使用方法が敵を強大にし地球を脅かしている」とも。

(1月26日号掲載)

◇若い女性に一際人気だというのが戦国時代グッズとか。特に武将の家紋(紋所)、目当ての人物のそれらしい。これもゲームから派生しての流行という。きっかけはどうあれ、家紋にはそれ自体日本人の美意識が凝縮されている。装飾意匠の極みである◇動植物や月星の類い、剣や兜まで巧みに図柄を描き彫る紋章屋や着物などに描く上絵師は今では少なくなったが、山形市にも何人かがいる。シルクスクリーンによる家紋デザイン制作を手がける人も全国には結構いる◇家紋の由来はともかく、マイカーに家紋など張って走っている車を見ると、いささか奇異に思えるが、茶席など身に付ける小物にさりげなく染め抜かれているのは、風情がある◇ところで直江兼続の家紋はあの兜真向にある「愛」の字そのものではない。神仏憤怒の愛染明王の「愛」は兜のこしらえ。家紋は「三つ盛亀甲に三枚葉」という。主家の上杉家は「竹丸両飛雀」、デザインは違うが伊達家も「竹と雀」。正宗の近習から出世した片倉小十郎の家紋は「九曜紋」、小十郎人気も背景にある。昔から真田の「六文銭」の人気は変わらない。

(1月22日号掲載)

◇大統領就任直前だが、オバマさんに伺いたいことの一つ。際限ないイスラエル軍のガザ(パレスチナ自治政府区)への攻撃について、何が何でもイスラエル支持をし続けるのかどうか。世界のイスラム原理主義過激派への対応次第では遠い日本へも影響が出る◇現に、インドネシアのイスラム過激派にもアメリカ追随・盲従の国々に無差別自爆テロ連動の素地あるとも言われている。距離的に見て日本の近隣諸国とは東南アジアにおいてもとのこと◇過激派ハマスとイスラエル右派双方の政治的対立に一般の人々が自然と巻き込まれる泥沼化は、それこそ未曾有の怖れ十分だ。オバマさん、米国がブッシュ亡霊を引きずったままイスラエル支持表明の挙に出たのは一つの試金石だ◇即刻容認より即刻停戦への呼びかけを世界は欲している。アメリカ政財界を支えるユダヤ人社会。イスラエルとパレスチナでの土地争いは、モーゼに示されたシナイ山における「十戒」に反する。イスラエルに歴然と影響力を持ち続けるディアスポラ(離散された人々)が、今はパレスチナの人々に逆にそれを強い続けている。

(1月19日号掲載)

◇11日の日曜日、この日の月が実に美しい満月であった。正月明けの月夜、まさに寒中、鏡開きにはドラマの「天地人」の放映時であった。昔、武家社会では具足開きがその日。朝から冷え込みが厳しく、月は東の空にゆっくりと昇り街並みを見下ろしていた◇翌朝、明るくなった西北の空に昨夜見た儘の大きさで、淡く、くっきりと浮かんでいた。「天地人」での与六を演じた子役の演技が素晴らしく、すっかり引き込まれて胸が熱くなった。それを胸の奥に飲み込んだまま◇こちら寒中の法事ゆえか、不思議と気持ちがしゃきっとなる。年始に仏供米を届けに寺院に出向いた。住職から書と護符と一緒に、12日から劇場封切となる映画、「禅」の宣伝チラシを手渡された。家族もこの映画は観たいという◇米沢林泉寺にあの幼子与六は眠っている。後の直江兼続をさすがに上杉謙信公は見抜いていた。戦国の世にあっては群を抜いての義の人。謙信公自らしたためたといわれる「第一義」という力強い文字は春日山林泉寺山門額に。その拓本額がここ米沢林泉寺の本堂にもある。

(1月15日号掲載)

◇年が改まり、今年は丑年(うしどし)、「うしとのみ おもひはなちそ この道に なれをみちびく おのが心を」と、信州善光寺にまつわる「牛に引かれて善光寺参り」の逸話の和歌。牛に化身した布引観音菩薩に導かれるように老婆はいつしか牛に奪われた布を追って善光寺に辿り着いていた◇自らの欲目が洗い流されるように、以来、老婆は菩薩への発心帰依を新たにし、その後、心安らかな日々を送ったという。「善光寺」には3度ほど訪ねたことがある。寺の如来御詠歌には、「身はここに 心は信濃の善光寺 導きたまえ 弥陀の浄土へ」とある◇洋の東西、宗派に係わらず、新しい年に神仏への祈念は人々の原初の姿そのものに思える。唯我主義・個人主義にならされ放題の世紀の最大課題に、不信・無神論から生じる空しさの深刻度合いが一層鮮明化していく世の多くの人々の願いは、太古の昔から「生きること」、「心身安らかなること」―に尽きる◇そして隣人の家をむさぼらず、盗まず、偽証せず、殺さず、姦淫せず、父母を敬ったら世界は確かに平和になる。仏教もその他の教えも皆同様に頭を垂れ、そして上を仰ぐ。

(1月8・12日合併号掲載

◇「変」・「偽」・「命」・「愛」・「災」・「虎」・「帰」・「戦」・「金」・「未」、この一文字がこれらの10年間に京都清水寺が〈今年の漢字〉として記した文字である。清水寺が主催するのではないが人の目は、貫主の筆墨に。主催はあくまでも(財)日本漢字能力検定協会という◇その年における大きな出来事や世相を漢字一文字に込めて表わされる。貫主は「アメリカの大統領選で選ばれたオバマ氏の変により、非常に影響されたと窺っておりますが」と。日本がアメリカを「変」と表現した。「オバマの変」というニュアンス◇世界をかき回してきたアメリカに人々が期待する「変」には、くれぐれも妙な「恋心」などを生じさせない方がよい。日本は、もう十分彼の国には尽くしてきた。言われる儘にこれまで来たのだ。むしろ、足下「平成の変」とか「平成の乱」の動きの方に傾注したい◇我われは「人」としての生存権すら奪われかねないご時勢、桜田門外にも、蛤御門にも「変」がついたが、「乱」ではなかった。が、このときも欧米がアジア・日本をかき乱していた。革靴が乱れ飛ばない世に。身をかわす藪が表皮の愚か蛇−。

(12月22日号掲載)

◇それこそ中学校を卒業して以来、何十年ぶりに雑誌『婦人公論』を手にした。通巻1262号、つまり12月7日号、ごく最近発行されたものである。この雑誌が第3種郵便物認可を受けたのが昭和21年2月1日という。叔母がその頃定期購読していた雑誌だ。上司のご内儀から、「投げていいから」と、一読を薦められた。何が書いてあるのかと興味が湧いた。2本の記事に目が行った◇その一つ、〈オトコ社会の壁をペンと絵筆で突き破る〉というタイトルの上野千鶴子東大大学院教授と女流日本画家松井冬子氏の対談記事であった。「女流」などと余計な文字を冠すること自体に、双方からすかさず「女流は余計だ」と言われそうだ◇対談の内容を記すのが目的ではないので割愛するが、「ジェンダー」(「社会学者イヴァン・イリイチの用語、男女が相互に補完的分業をする本来的な人間関係のあり方。イリイチはその喪失を批判している。」〈ウィキペディア〉)に深く通底する話題と画家の才能に最大級の賛辞を贈っている上野教授の目線の奥に当方の興味が行った。教授は「教師は男性には目をかけるけど、女性には手をかけるんです」と言い切る。

(12月18日号掲載)

◇年金問題がこのような形で騒がれるずっと以前から、必ず大きな社会問題になる、と予想はしていた。サラリーマンの給料から徴収した掛け金で、本来の年金事業以外の営利事業に手を出し、その運用に失敗し、結局損失を招いて被保険者に迷惑と負担増をかけ続けてきた役所◇厚生大臣を務めた小泉純一郎元首相とは対極の立場の、今一人の小泉姓、彼の当局への不信は、展望子とて表出の仕方は違っても、容疑者の怒りの根っ子を類推して近似している部分がある。彼の愛犬と事件との相関関係は別の次元と思いたい◇派遣会社とそれを利用する企業、労働行政、そして「年金記録改ざん」は、ほぼ常習的に全国的にまん延しているとも。年金の徴収率アップをめざす当局と遅滞ないし減額措置へ動く企業、改ざんは氷山の一角だ。それを見破る突破口の一つ、簡単なシグナルは、社会保険事務所から企業への電話である。その問い合わせの頻度だ。また、その逆もある。自分の身分を明かし、滞納の有無を問うのである◇これには、まず被保険者本人であることが前提。直接、窓口に行って、自分の年金手帳を示し、確認することである。たいがいは、「振り込まれています」との答えが返ってくる。問題はそこから先だ。企業と社会保険事務所、社会保険労務士と社会保険事務所の馴れ合いもある。労災など隠し事の多い事務所や企業、役所には常に胡散臭さとその具体的種子がある。

(12月15日号掲載)

◇今朝、出勤時に山形市は霧に包まれた。つい先だっても、帰宅時に幻想的な濃い霧が立ち込めた。かつて江利チエミが歌った『霧のロンドンブリッジ』、あのメロディーを連想する人もいた。こちらロンドンの霧を見たことはない◇画家ターナーの画集から印象的に流動する水蒸気、乱舞するような霧にも見える風景画を連想した。その光は繊細でまたダイナミックに濃霧を巻き上げている。これは、霧であり、スモッグには見えない。霧と靄(もや)と煙霧の違いもあるという◇気象庁のホームページによると、「霧は微小な浮遊水滴により視程が1`b未満の状態」といい、視程を「水平方向での見通せる距離」といっている。また濃霧は「視程が陸上でおよそ100b、海上で500b以下の霧」を指すのだそうだ◇靄(もや)を「微小な浮遊水滴や湿った微粒子により視程が1`b以上、10`b未満となっている状態」とも記している。スモッグは、やはりターナーの絵とは似つかわしくない。「高濃度の汚染物質により視程が悪くなる状態。もともとは、煙(Smoke)と霧(Fog)の合成語」であると記している。

(12月11日号掲載)

◇「無駄をなくせ」と人はいう。特に「無駄使いをしてはいけない」、と親は子にいう。少し大きくなると、何が無駄で何が無駄でないかが理解できる、あのときの無駄は無駄でなかった、という場合もあろう。そして、人にモノサシが芽生えてくる◇柔軟に思考をめぐらす人は、あえてモノサシを少しだけずらしてやって予期しないリスクを推し量る術(すべ)をも心得させたりする。しかし、モノサシは元々、それを対象にあてがようにして測るわけであろうから、測り損ねでもしたら大変なことになる◇よく行政に対して言われる「無駄使い」の苦言には、モノサシそのものが色々あって、測る尺度の違いから、一層余裕のない尺度のまま測られ、そして数値と実態に大きな狂いが生じたまま、切られたり削がれたりする◇血税を凍った心で使われてはならない。温かみのある使われ方こそ国民にとっては有難い。世の中、凍ってしまえば人まで凍る。杓子定規の御偉いさん渡りゃ、赤ジュータンは夜叉ばかり。夜叉は夜叉でも鬼面党、面々、ならば赤胴鈴之助(本名・金野鈴之助)で参ろうぞ。

(12月8日号掲載)

◇手職を身に付けているということ、それの出来る人が実に羨ましい。昔の人がよくやっていた手内職、技量があればこそ出来るのであって、こちら「技」のないのが恨めしい。技あれば当人の望む「業」であればなおのこと素晴らしい。それで生活が維持出来、人さまに喜ばれたら、それこそ幸いなこと◇針仕事で細々と他所さんの注文を受けていた祖母を思い出した。洗い張りなど、近所のどこの家でも手がけていた。着物が洋服に代わり、下駄や草履がズック靴や革靴に。昔住んでいた近所の家の職種を思い出した。自転車屋、炭屋、桶屋、下駄屋、靴屋、石屋、畳屋、綿屋、お膳屋、刀剣金具屋、仏屋(ぶっつや)、額縁屋、時計屋、左官屋、ブリキ屋、溜(たまり)屋、看板屋、指物屋、べっ甲屋、三味線屋など◇苗字よりほとんど「屋」をつけて呼んでいた。昭和20年代初め頃の七日町「長源寺通り」の職人の家々である。畳屋さんのあの長い針が手の甲にまで突き抜けてきそうに見えた。漆喰の白壁の匂いがまた独特であった。板を削る鉋がけの音が涼しくさえ聞こえた。みんなが優しかった―。

(12月4日号掲載)

◇「誤字脱字」を防ごうとしても防ぎ切れないもどかしさが常に付きまとう。かつて地方紙に勤務した友人が誤った「3段見出し」を付けて減俸された。「恥ずかしくて悔しかった」、と本人が語っていた。そんな話が仲間と集うとよく出る◇わが国の麻生首相が「漢字が読めない」、と笑われている。笑われてもしょうがない。国民の前ではお喋りでなかった故大平正芳首相は「阿吽」ではないが、「あー、うー」というだけで、これはこれで意味が分からなかった◇当然、「間違い」であるのかどうかも国民にははっきりしなかった。確信犯の麻生首相は、誤りがはっきりしているだけに言質で命取りにもなりかねない。言葉として表出する国民への伝達は、その人の思考回路をも表出する。何と言われてもしょうがない◇生い立ちから、「維新の立役者大久保利通・昭和の大宰相吉田茂の直径、血筋であるというだけで上り詰めただけの人」と酷評する人もいる。マスクマンの小沢一郎民主党首との党首討論が見ものだ。どちらが何をどう喋るか、余り期待はしないが、一方で期待せざるを得ないのも確か。

(12月1日号掲載)

◇気味の悪い夢を見るものだ。会社近くの薬師公園や護国神社の境内の建物・樹木・地面に生えている苔、落ち葉にいたるまですべてがプラスチック製で出来ていた。ここはいつの頃からテーマパークに変わってしまったのか◇人のいない薄暗闇の中から遠くにガス灯のような鈍い光だけが見える。社殿の脇に数台の戦車や大きな軍艦が。地面に今にも腹ばいとなって上を見上げるように船底を見上げた。骨董店風の見世物小屋の木戸、そこに「入り口」とある◇朱書きの案内板から奥を見るだけにし、桟橋を渡らず艦内の様子を想像してみた。周囲を恐る恐る歩いた。なぜ、自分がここにいるのか分からないまま、後味の悪い風景を見てしまった、と思った。見たい「夢」はこのようなところではない◇目を背けたくなるような物ばかり展示されているのがわかる。そういうものは黙っていても姦しい位耳に入ってくる。目が覚めて雪の消えた葉の下からまだ緑色をしたままのカマキリが二本の前脚を曲げ、身構えていた。これもプラスチックかと思ったがそうではなかった。

(11月27日号掲載)

◇人が人を数キロも車で引ずり回して殺したり、刃物で刺し殺したり、連日眉をひそめることばかり。「安全・安心」が実に程遠い感じだ。普通の人間がある何かを契機に普通でいられなくなる。異常人間になり、凶暴化する心身のメカニズムはこちら素人には分からない◇凶悪犯罪への不安は計り知れないだけにむしろ町内に〈自警団〉でも組織したくなる。3人から5人1組のパトロールである。特に本通りから外れた大型スーパーに通じる小路は、車両事故の危険性に満ち溢れている◇これは嬉しいことなのであるが、町内には近年小さな子供をもつ家が増えてきた。だからこそ、週に一度でもいいから、時間を制限してでも一定区間車両の進入を禁止し、自由に子供たちが自転車で遊んだり、鬼ごっこでも出来るようしてやりたくなる◇子供は本来、自分の家の周りで遊ぶことが何よりも好きなはず。道路上での遊びは禁止―、だが、逆の発想から再度身近な道路を見直して、制限つきで子供たちに今様、「辻子」(ずし)の袋小路を意図的に創出してやってもよさそうに思う。若いお母さんが、大きなワゴン車に一人だけ乗ってのお買い物など考えものだ―。

(11月24日号掲載)

◇スタッドレスタイヤに代えた。ひとまず雪に備えることができた。それでも安心は出来ない。乾いた道路での急ブレーキは、夏用タイヤに較べて制動距離が長くなる。最初から急ブレーキをかけるようには設計されてはいない◇それだけに、スピードと前を走っている車との車間距離には気を使う。雪をグリップするように出来ている冬用タイヤの溝襞(ひだ)が、雪のないときには札束でもめくれるように路面に接することを想像すると納得がいく◇積雪時、タイヤにゴム製のチェーンを着けて走ったこともあったが、すぐにチェーンが切れ後悔した覚えがある。脱着が簡易で、しかも耐久性に優れた滑り止めは年配者には必需品ではないのだろうか。扱い易い安全で利便性の高いしかも低廉価な滑り止めがあればいい◇今では冬靴の底に滑り止め用のセラミックなどは当たり前になっている。さすがに野球やゴルフのスパイクシューズのように靴底に僅かの突起物でもあればそれが気になって歩きにくくなる。冬山用のアイゼン使用時も慣れないと自分の脚をも傷つける。

(11月20日号掲載)

◇朝靄(もや)に霞むと見慣れた風景が一変する。隣家の屋根に翼を広げると2bにもなるアオサギが一羽止まっていた。こんな市街地まで一体何しにと思う。南の地方にはコウノトリも居づき、佐渡のトキも順調に繁殖しているという◇久しく「探鳥会」に出かけていないが珍しい鳥に出会えるのは嬉しい。先月馬見ヶ崎川原でつがいのカワセミを目にした。秋の中頃、朝日山系の上空にイヌワシがゆっくり旋回していた。さすがに興奮した◇こういうツキはめったにない。ヘビマニアではないがくねる舗装された山間の道路に本物のくねる「ヘビ」のお出迎えである。上空から狙われているヘビではないだろう。道のほぼ真ん中を横切ろうとしていた◇都会のマンションなどに住む毒蛇マニアの心情など、こちら理解に苦しむだけだが、大自然の空高く飛ぶ猛禽と地上を這う狡猾な智者との一騎打ちなどよくテレビでは目にするが、どちらも必死で壮絶極まりない。池の金魚はすでに冬篭りに入った―。

(11月17日号掲載)

◇「SARS」という病いを知らなかった。2003年に中国で流行した。日本語では「重症急性呼吸器症候群」というのだそうだ。『ウィキペディア』によると、新型肺炎であること、恐ろしいのは新種の〈感染症〉であるということだ◇「後天性免疫不全症候群」(AIDS)、いわゆる「エイズ」とアルファベットのAとSが付いているというだけで頭の中は混濁しそうだ。問題の「SARS」は、その主な症状が38度以上の発熱、咳(せき)、呼吸困難等◇病原体そのものは新型のコロナウイルスであるともいわれ、正式に「SARSウイルス」と命名されたのだそうだ。「肺炎」を軽く見るわけにはいかない。人に心配をかけないとの気遣いから、「ただの肺炎」という言葉もうっかり使えない◇冬となり、会社で石油ストーブ利用を開始した。ガソリン・石油価格高騰に明け暮れた年であった。この冬、風邪の予防には例年以上に神経質になりそうだ。体力と意欲と気力、それに今年は免疫力だ―。養老孟司先生によれば、人間の死亡率は100%という。なるほどそれすら忘れがちになる―。

(11月13日号掲載)

◇第44代アメリカ大統領に黒人初のバラク・オバマ氏の就任が決まった。アメリカ建国以来の歴史的な出来事となる。そのオバマ氏が、いみじくも奴隷制度に反対した第16代大統領エイブラハム・リンカーンの有名な、「人民の人民による人民のための政治」を引用した◇そしてキリスト教・イスラム教・ユダヤ教という宗教の垣根を越えよー、とのメッセージをアメリカ国民のみならず世界の人々へ呼びかけた。これまでの国際紛争の大半が、この3つの宗派に絡むように人類抗争に明け暮れてきた◇人類発祥の地アフリカから米国初の国家元首が誕生するのである。当然のことながら、民主々義の国を標榜するアメリカがこれだけの時間をかけて選んだ大統領なのである◇どこぞの、まだ貴族制度のようなものを温存させている国の、高名な女流ノーベル賞作家ドリス・レッシングが「オバマが大統領になると暗殺されるわ」との不吉な予見まで行っている◇ビートルーズを生み、奴隷貿易港として栄えたリバプールの暗い悲しい記憶を熱狂的・暴力白人主義者たちが時代遅れの偏見差別を自戒できるかアメリカが世界に実証して見せなければならない。

(11月6・10日合併号掲載)

◇10月16日、ウィルコムと山形県が「地域活性化包括連携協定」を締結した。同社のプレスリリースには、「地域情報化の推進、防災・災害対策、県産品PR等4分野で相互連携開始」と記されていた。県のホームページにも締結までの経過を含めた記事が22日付で掲載されている◇〈今後、本協定書に基づきウィルコムと山形県は相互に協力し、2009年からウィルコムが開始する次世代PHS「WILLCOMCORE」のサービスも踏まえ、PHSを活用した情報通信サービスを通して、山形県内の地域社会の振興に取り組んでまいります〉、とウィルコム◇そして県も「次世代無線高速通信は、山形県から幕を開けることになりそうです」、と期待を膨らませている。何といってもPHSは無線局の設備投資額が、ケイタイの比ではない。遥かに安くて済むのが一番の魅力。距離に関係なく、移動中でも、将来ハイビジョンなみの動画送受信の可能性があるだけに、利用者は一気に広がるだろうとの見方が現実味を帯びてきた。インフラと多様なサービスの可能性を峻別した総務省の結果であるともいわれる。

(11月3日号掲載)

◇イギリスのチャールズ皇太子が来日した。日英両国の外交関係樹立150周年記念に合せてのものという。テレビでイギリス国家が流れていた。〈おお神よ我らが慈悲深き女王(国王)陛下を守りたまへ〉と女王が一番に歌われていた◇民主主義国の国民が一番に歌われてはいなかった。まさに、〈王権神授〉の歌に思えた。さらに勇ましい戦闘的な文字で埋め尽くされていた。まるで戦争中の歌のようであった。そのチャールズ皇太子夫妻が長野県をも訪ねるという◇長野は日本の皇室との縁が深い。偶然に10月30日は日本の〈教育勅語〉(1830年)が発布された日。この日、長野の地ではイギリス国歌と「君が代」が流れることだろう◇国歌といえば、長野の隣県、岐阜の国立岐阜大学付属中では幻の国歌『我ら愛す』が今も歌われ続けている。白鷹町出身の教育者で詩人の芳賀秀次郎氏がそれを作詞した。〈みすずかる/信濃のやまべ/われら愛す/涙あふれて/この国の/空の青さよ/ この国の/水の青さよ〉と。信濃には〈松代大本営跡〉もあり、玉座もある。千歳(ちとせ)の岩はさざれ石ではない。

(10月30日号掲載)

◇「売れない本」を買う快感というものがあるという。余り人が読んでいないものをあえて買う。本読みの名人が掘り出し物を手にしたときの嬉しさは格別のようで、まるで幼子のように心躍るものらしい。ベストセラーのみが注目される昨今、書店を経営しているプロが「本読み」を目利きするという◇「読書の日」に真新しいインクの臭いに触れただけでも心地良い。黙読、味読、熟読も速読術でも身に着けていればまた違う時間を過ごせるのだろう。取り敢えずという場合のときもある。飛ばし読みや斜め読み、それでいて読み違いがない本読みさんは、最早達人◇目の不自由な高齢者には、音声・拡大読書機なるものも市販されている。また、パソコンによる点字ソフトの進歩から、点字図書館利用者の貸出し待機期間を短縮しそれを解消するという希望が拡大している。活字中毒の人には「目付きがきつい」人が少なくないとも◇それはともかく、次第に〈灯火親しむ秋〉が深まっていく。印刷業も出版業も大小様々な新聞社も格差拡大、淘汰の機運に拍車が。だからこそ細く長く生き続けることが意味を増すこの時代の生き方。苦しいのは皆同じ。何に目覚めるかだ。

(10月27日号掲載)

◇「安かろう、悪かろう」では人はそっぽを向く。「良いものを安く」これは庶民にとっても有難い。国内生産物の高値感から敬遠されるもの、粗悪な輸入製品のみに走ることの危険性が今現実となってきた。ならば、はじめ割高感でも品物の良い日本の生産物を何とか日本の消費者に多く安定的に購入し、生産者・消費者双方の値頃感のよい方向に導いていく方法はないものだろうか◇工夫し実践的に挑戦し、現実の無駄のない安全で割高感もない生産・消費システムが日本に果して未来永劫存在しないのか。不可能なことでは決してないという明確な展望、それが出来ることこそ切実に求められているのではないだろうか。食に関して思うことは多くある。無農薬・有機農業による生産物については、海外に大半を依存するわが国の食材生産のありようとして対極の関係に◇「日本人の日本人による日本人のための食材生産」がなぜ現状不可能なのかだ。生産規制と規制緩和、生産者と消費者双方の適正価格の整合性の問題、それに流通メカニズム。ここでも国内外の市場との関わりや消費者の嗜好の多様化のままでよいのかの議論もあってよいはず。

(10月23日号掲載)

◇古くなった都市ガス用ストーブを地区点検に訪れた係りの人に無料で引き取ってもらった。あまり使わなかったもの。磨けばたちまちピカピカになりそうだ。安全と効率の面から、しまい込んでいた。記憶というのは自分に都合のよいように残る◇「確かに、余り使用されなかったようですね」とその人。しかし、製造された年月日を聞いて恥ずかしくなった。今回は点検のみで、ガス風呂や給湯器の元栓の部品交換そのものは来年の10月なのだという◇何しろ市街地の契約している対象戸数が相当の数であろうからか、点検に要する日数がかかるに相違ない。例年より季節の境目の少ない年、雪の降る前に、と見苦しいコンクリートブロックのひび割れにセメントを捏(こ)ねて埋めた◇上を見ると剥げてきた軒下や柱の塗装、これも楽しみながら刷毛で塗ろう。ついでに、朽ち果てる寸前の目隠しの袖垣を建仁垣風に替えてみようか。ホームセンターが一層身近に感じるこの頃である。

(10月20日号掲載)

◇クアラルンプールにある国際海事局海賊情報センターによると、今年4月−6月期の海賊発生件数が1月−3月期に比べ、19%増の計62件を記録した(CNN/AP)という。ソマリア、ナイジェリア沖合での増加が主因だが、前年同期の85件からは一応減っている。21世紀に海賊とは◇劇場映画として人気の『パイレーツ・オブ・カリビア』には、呪われた海賊たちの文字が並ぶ。映画と現実世界で起きている事件を並列しては語れない。しかし、今、「テロ対策特措法」をめぐり、再び、物事の本質が問われてもよい時期に来ている◇インド洋を含めアジア・アフリカ・中東のあの一帯の航路の危険度は、船舶関係者には特に神経を使うだろう。世界恐慌の様相を呈して来ている折、各国の巡視船や駆逐艦、航空母艦、潜水艦、果ては給油絡みの自衛艦がさらに大きな戦となって、あの広大な海洋をまさに火種の海洋に塗り替えることになる怖れはないものか◇そもそも、アメリカによる湾岸戦争からはじまり、あの「9・11」を境にテロリスト討伐を旗印に彼の地に。戦(いくさ)から平和が生まれる訳けがない。

(10月13・16日合併号掲載)

◇インターネットの情報は欠かせない。こちら個人的には「Yahoo」を使用しており、人によっては主に「Google」という人もいる。検索の種類により人様々、ページのトップを飾っている写真の見出しに「秋空の下、稲の天日干し」(毎日新聞)とあった。その左側には俳優緒方拳の訃報を知らせる見出し◇クリックする前に一瞬ためらった。見覚えのある写真を先にクリックした。拡大された写真は懐かしい山辺町大蕨地区の棚田の風景であった。この棚田を目にしたかは分からないが、名優は山形の田園風景を亡くなる以前、何回かは目にしている◇2年前の10月、田園に囲まれた川西町フレンドリープラザで、彼のひとり舞台『白野』を演じる姿を見た。有名なフランスの戯曲、『シラノ・ド・ベルジュラック』(エドモン・ロスタン作)が原作。主人公をはじめ、演ずる役の幾重にも重なるシーンを思い浮かべ、人生という舞台を役者として演じるもう一つの舞台が現に存在するということ、そして観客一人ひとりに魂が伝心され、劇場空間に満ち溢れたとき、おそらく役者冥利に尽きるという事かもしれない。好きな役者さんの一人であった−。

(10月9日号掲載)

◇同じ敷地内に棟2つ、世帯2つ、住居表示も2つ、これは日常普通に見聞きする。何かの事情で世帯が1つだけになり、あとに残された世帯には「空」で主(あるじ)のいない住居表示も残された。そこで、残された者はそれをどちらか一つだけにしようと役所に出かける◇山形市役所に出向く際には、市民課のD番窓口に行く。手続きは簡単で、身分証明書もハンコも不必要である。「住居表示番号変更手続き」の申請書類に自分の住所・氏名及び変更の理由と変更したい番号を記入するだけの簡単な手続きである◇余りに簡単なので不安に思うくらいである。この手続きが、もし、本人以外の赤の他人によって故意に行われでもしたらどうなるのだろう、事件や面倒なことに巻き込まれるようなことはないのだろうか◇せめて免許証の提示ぐらい求められてもよさそうに感じたが、システムにおいて「安全」がキープされているからなのだろう。おそらく、土地の分筆とか所有名義変更手続きなどと異なり、簡便なのかもしれない。しかし、手続きはスムースにいったが、当然のことながら郵便局との連動はないという。

(10月6日号掲載)

◇日本全国各地の神々が島根の出雲大社に集まるのが、この10月であるという。各地の神々が留守になるから「神無月」とも。神々は、出雲で一年のことをいろいろ話し合い、相談をするのだそうだ。人間界のような「会議」なのか。会議の議長はどなたなのか。おそらく、出雲の主神である大国主神(大黒様)であろう◇天の頂きから天照大神が大地を象徴する出雲での会議を、目を細めて見守っておられるのか、それとも諸神に苦言を呈しておられるのかは知る由もない。田の神といわれる豊受媛神(とようけびめのかみ)や穀霊神である大歳神(おおとしのかみ)も、会議に臨んでいるのだろう◇生身の人間界においては「国会」で、天下国家の在り様をめぐり議論が白熱しそうである。はじめに内閣総理大臣より、「安全・安心・強い」の鍵語(キーワード)が発せられた。天と地にそなわっている風景の「美しさ」など情緒的言葉を廃し、極力2大政党よろしく相手方に向けた強気の所信◇きっと「美しい東北」など彼の辞書にはなかったのだろう。闘いこそが心情と。大黒様がシバ神の化身ともいわれ、怒ることをも怖れない五穀の神。人が神になるという怖さもある。

(10月2日号掲載)

◇平成の世に巨大な「黒船」がやってきた。これに抗議する市民団体の声、聞こえるはずもない鉄の船。この目で一度見てみたくなる。洋上遥か遠くに停泊するのではなく、岸壁に横付けであるから、北朝鮮から飛んでくるミサイルの標的にされたら、当たり損ねても周辺には相当な被害が出るだろう◇中国の潜水艦だって、ヒョッコリ真近かまでやって来ないとも限らない。米ソが今、グルジア問題を拗せているだけに、それこそ昔のように北からの南下政策だってあるかもしれない。歴史は繰り返すという。日本は「篤姫」ではないが、国中右往左往するおそれも◇有り得ない様な話が刻一刻と近づいてきているようでもある。「太郎」さんの国連訪問に、世界からの反応が果してどのような形で出るかだ。さしあたって、小泉元宰相が郷里横須賀に赴き、「黒船」に客人として乗船するのか注目したい◇まさか、ジョン・ヘイリー艦長と甲板でキャッチボールはしないだろう。テーブルを挟んで、ワイングラスぐらい傾けるかもしれない。政界引退の花道に原子力空母ジョージワシントンでの独演会か?。

(9月29日号掲載)

◇相撲の仕切りは両者が狛犬のように、お尻は土俵に付けないまでも、両手は双方しっかり仕切り線に付けたまま、そこからの取組み開始のはず。そのように決めたばかりなのではなかったのか。厳しい勝負の世界で求められる阿吽(あうん)の呼吸、吸う息・吐く息・止める息、いつ止めて立ち上がるかだ◇何のための仕切り線なのか、妙に不自然で、しかも美しくもなんでもない。干乾びた土俵の亀裂、溝を埋める手入れもしない。阿吽の呼吸などは程遠い。ぶざまな仕切り直しが今後も続くことだろう。仕切りの所作に駆け引きなぞない方がよいに決まっている◇片方の手だけ付け、立ち上がる際の弾みに残りの手を一寸だけ土俵に付けたような取組み、両者の「両手」が土俵に同時に付いていなければ成立しないはずの相撲が一向に解消されていない。肝心な立会いの問題は、いたずらに駆け引きの多い注文相撲を招く◇〈相撲に現はれたる我が国民思想の研究〉などという資料にでも出くわせば、きっと責任の所在すら、その白黒もつけられない世界にたどり着くおそれも無いとは言えない。神々が黄昏ているのかは判らない。

(9月25日号掲載)

◇〈事故米〉という言葉すら、こちらよく知らなかった。作家有吉佐和子は、すでに30年も前、『複合汚染』で毒性物質の複合がもたらす汚染の実態を預言していた。そして今、世間を賑わしている輸入米の流通過程で露見した、〈三笠フーズ〉事件は、わが国農政の、まさに貧困ぶりを象徴する出来事となった◇米穀流通業界に〈怪〉ありだ。悪い経営者がいるものだ。人体に影響がないというような問題ではない。拍車をかけるように、肝心の農政事務所の検査システムが機能麻痺の状態で、業者との馴れ合いと言われてもしょうがない◇WTOの取り決めにより、日本が仕方なく輸入せざるを得ない米、それが事故米に。よもや汚染米を承知で輸入している訳ではないだろう。承知しての輸入なら、工業用糊などの原料として、たとえ出荷するとしても、〈事故米〉を「米は米、もったいない、毒素も大したものでない、普通のお米に混ぜればごまかせる」などの手合いを予測し得ない訳がない◇売れたら即、それは「金」になる。大阪の米問屋よ、人を食いものにし、人の会社をもこけにする悪人ども。農水省のお偉いさんよ、また知らぬ存ぜぬの重ね塗りか。一人、善良な人を自殺に追い込んでしまったんですぞ−。

(9月18・22日合併号掲載)

◇役者が出揃った自民党。虚実入れ混ぜたような舞台(画面)であった。歌舞伎でよく演じられる、「白波五人男」のあの有名な浜松屋の場面を思い出した。たちまち、小池さんを弁天小僧菊之助にみたてた。劇中の役者は女装の魅力溢れる美人局のはず◇現実、画面では男性に引けをとらない紅一点。巷(ちまた)に〈原野破麻子〉さんとか、また〈麻茂野百石〉さんとか、虚名も一人歩きした。五人衆をもじるなら、やはり白波に限る。ことのほか、海に浮かぶお船が気になる御仁ばかりだ。その〈白波五人衆〉、揃って乗船したいのは「日本丸」◇インド洋にも紅海にもアカバ湾だって、航路は気にしない。中東の得意な人も複数。冒険家「マーメイド号」堀江謙一さんの単独航路とは訳が違う。それだけに、安心と安全の標榜は国民を巻き込む性質のもの◇徒党を組むのをいぶかしげにみる野党連の支持率下落もその実績のなさのゆえ、どこもここもピンとこない。長いものには巻かれ、面倒臭いものには手を出さない、それでいて何かにちゃんとおさまっている。所詮同じ党でも皆他人、国民不在の浮世舟。キャプテンクックとな−。

(9月16日号掲載)

◇小泉首相在任時より、首相が総編集長を務める内閣メールマガジンの読者の一人として、「配信中止」の文字は熱心な読者ではなかったが、また、主義主張はどうあれ、いつも定期的に届くメールの主(あるじ)の姿が見えなくなると、読者としてはやはり、「ああ、そう」とばかり簡単には言えないものだ◇〈[ありがとうございました。福田康夫です。]〉、と最後のメールが届いた。さて、「この1年間、メルマガを通じて、読者の皆さんからたくさんの率直な声をいただきました。今振り返れば、厳しいご批判も、温かい励ましも、毎週寄せられるご意見は、私が政策を進めるための大きな原動力でありました。」、と述べている◇「過去のものは古いと蔑み、今のものは新しいと愛でる、しかし今の新しさが真に新しければ、その新しさは必ず時間を貫いて、いつまでも新しい」とも記している。ここはよく分からない記述である。日本の古人が好んだ言葉として、「永遠の今」と言う文字も記されていた◇自民も民主も新たなこの世の〈生き地獄〉を決して招かぬよう、政治・行政の機能不全のなきよう、それこそ国民の目線に立ち返って、真に元気な日本となるよう、体質改善を図ってもらいたい−。

(9月11日号掲載)

◇稲刈月(いねかりづき)にしては、天候不順が続く。この先、黄金色の田んぼにお目にかかれるのだろうか。澄んだ青空の下に広がる田園風景を油絵で描いた事を思い出す。あの頃は絵に夢中で、硬質の豚毛の筆を使い、キャンバスに色を重ねていく感触が実に心地良かった◇五感のすべてが自然と一体となって過ごせる時間がたまらなかった。高校で教わった美術の先生が名物教諭で、兄貴のように皆から親われた。シャンソンを授業中に口ずさみ、身にはいつもルバシカを着けていた。油絵の技法にグリサイユ画法という下塗りの技法がある。それと異なる独特の地塗りのノウハウを所持していた◇マチエールは重厚、特に工場の壁や聳える煙突の質感から漂ってくる哀愁感がたまらなかった。何人かの先輩が高校在学中、並み居る大人たちに伍して「県展」入選を果たしていた。稔りの秋に実るものを探しに出かけよう。子供たちのお絵かき遊びには、大人もなぜか無心になれる。地に積む稲穂も、おそらくその作り手の思いには刈穂の願いとして天に向かって捧げている祈りの季節のようにも思えてくる。

(9月8日号掲載)

◇「自分を超えていきたいという思いが大事なんであって、それがわかって生きていることと、何もわからないでやみくもに時間を生きていることは、私は大きな違いがあると思うので、無限ではなく有限であるこの命という時間を生きていくのであれば、私は少しでも人間性を高め、仕事を通じて社会に少しでも貢献した一生であった、と思いたいですね。」◇タレントで女優のエド・はるみさんのブログに記されていた彼女自身の言葉である。こういうことは、中々言い切れるものではない。何か食べ歩き番組で、気仙沼周辺でフカひれ料理を、これでもかこれでもかと口に入れていた彼女◇ただ者でない女性タレント、これが彼女への第一印象だ。芸名の由来は、彼女が尊敬していた「サリヴァン・ショー」で有名な、あのアメリカの作家・テレビ司会者、エド・サリヴァン(1974年没)に因んでいるという。女性の向上心は、鏡に向かって対自し化粧に時間をかける分、男性よりは即時的にも優れて哲学的深淵の世界に強く生きられるという。最近の女性の活躍は目を見張る−。

(9月4日号掲載)

◇85年前の9月1日には関東大震災、7年前の9月11日にはあのアメリカ同時多発テロ、9月は最初から被災の目立つ月だ。そのアメリカが進攻して国土を崩壊させたアフガニスタンの復興のためにと志を持って活動してきた(NGO)「ペシャワール会」職員の伊藤和也さん(31)が何者かに誘拐され、殺された◇「そんな危険なところに行くから」などと言うことは出来ない。それはあまりに無慈悲、故人に失礼な言い方、気の毒である。再びやり切れない思いがあの7年前に戻る。ブッシュ親子2代にわたる米国の失政のつけが未だに世界各地で燻っている。それがなかったら彼もアフガンに行かずに済んでいたかもしれない◇「子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。」、伊藤青年のこの初心の深い思いばかりでなくその命をなぜ虫けらのように殺してしまったのか―。卑劣極まりない◇新自由主義やシカゴ学派の経済理論からはこの地球、まして貧しい荒野の国々の大地では、爆弾は落としても人の脚を狙う蠍(さそり)や毒蛇の毒から人を護る血清すら供給されはしない。白人主義者から既に狙われているオバマ氏の命とも、アメリカのこれまでの蛮行はいつまで続くのか−。

(9月1日号掲載)

◇最近、気になる造語がある。たぶん書籍の題名などから使われ始めた言葉のようだ。「お一人様」とか「お二人様」を、ことさら額縁で囲むように使用する使われ方、多くはメディア側から発信される。そして、「セレブなお一人様」などと、妙な形容詞までが付く。こちらことさら、人は皆一人なのだ、などと言うつもりもない◇ここでは、配偶者がいる人は「おひとりさま」を語る資格はないかもしれない。しかし、もう遅いと指摘されようが、問いかけられているのは勝手にこちらの方だ、と思い、さて、老いる準備は本当に出来ているのか。足もと、家の周辺から自身のこれまでを振り返ると、ほぼ愕然とすることばかりが目立ってきた◇そこで「おひとりさま」のことを思い出した。前から気になっていた上野千鶴子教授の発言が気になってきたのである。この先生の著作のタイトルは、いずれもがインパクトの強いものばかり◇音読できる平易で楽しい物語を自分に聴かせるように読むのもよい。長雨のあとには、ショパンの「雨だれ」だ。細胞の一欠けらまで浸みこませよう。短い夏の終わりの秋のはじめには、静かな時が一番だ―。

(8月28日号掲載)

◇何事もそうなのだろうが一芸に秀でるということは容易なことではない。スポーツの世界はことにそうだ。ソフトボール悲願の金には泣けた。勝利の女神がいずれの方に微笑むのか、そのシャジ加減に一喜一憂する。ツキも、調子もある。もちろん、ツキや運もコントロール可能な強靭な競技者もいる◇だが、大方のアスリートは敗者に。もちろん、人生の敗者でないことは言うまでもない。これまで歩んできた一筋の道の誇らしさを誇って、輝きは消えることはない。その人の値打ちが試される再スタートの日は敗れたその時からはじまる◇今回のオリンピックで感じるのは、その競技振りから男性より女性の力強さを、いつもより以上に印象深く思ったことであった。例えが適切でないことを承知で、オリンピック発祥の地ギリシャに思いを馳せ、その神話から女性競技者がその神話に出て来るアマゾネス(女族)の勇姿を連想した◇特に陸上競技の黒人女性選手たち、何れもが理知的な顔立ちとその女性らしい装いを忘れない凛とした姿が立ちはだかるハードルを越え、ゴールに向かう姿が、実に華やかでまた美しかった―。

(8月25日号掲載)

◇小国町に高見盛ら東関部屋の一行が夏合宿に来たとのニュースはつい最近のこと。しかし、大変な事件がまた大相撲の世界で発覚した。国技がさ迷い続けているとしか言いようがない。ほんとに日本相撲協会は一度解体して出直さないと手がつけられないところまで腐れてしまったのか◇そう、思われても仕方ない出来事が多すぎる。今回は大麻である。陶酔作用を起こすこの大麻はマリファナとも呼ばれている。まさか阿片者はいないだろう。盆休みに旧日本軍が中国でしきりに阿片を極秘裏に扱っていたときのドキュメント・フイルム映像を見た◇心・技・体という極めて天の高みを目指すような精神層を国技大相撲自ら伝統を引っさげて今に来たものの、薬物に侵されている相撲部屋など、相撲道を唱えるプロ集団にしてはいかにも精神そのものが表皮的で蹲踞(そんきょ)や塵(ちり)の所作も上辺だけ。力士の重量感が途端に軽薄に見えてくる◇名作「一本刀土俵入」に登場する主人公駒形茂兵衛が踏む四股(しこ)には四方の神々も目を細めるのだろうが欠落し、転げ落ちるような薬物の土俵上には深い亀裂のみが一層際立って見えてくる。

(8月21日号掲載)

◇何かと話題の豊富な北京オリンピック。一生に一度見られるかどうかの人類最大のスポーツ祭典、そう思う地元の人の気持ちはその通りと思う。中国の若い青年の一人が「ありのままの中国を見てもらいたい―」とのコメントが好印象であった。舞い上がりそうな雰囲気の中で嫌味のない冷静な口調◇東京オリンピックの開会式の模様は、わざわざ友人が車に積んで運んでくれたテレビ、入院先のベッドで見ることが出来た。会場の歓声が手に届くほどよく伝わってきた。忘れられない。日本がまさに高度成長期の真っ最中であった◇中国にもきっとあのときの日本のような歓声が。しかし開会式の演出は大掛かりで当時の比ではない。4年ごとの開催は、世界の変わり様を映し出す。オリンピックはまた人間讃歌のシンボル、重なるオリンピックの輪に五星紅旗と日の丸も、ユニオン・ジャックも星条旗も丸ごと包み込む◇アジアに人間讃歌の響き、しかしこの地上から一切の戦禍・惨禍が消えるまで、平和への灯心は消えることなく、また、万国旗に残る怨恨の染(し)みも心して抜かねばならない。主権国家以前の未達な地域、経済域、民族域がある。

(8月11日暑中特集号掲載)

◇休日の夕方、日中からの猛暑が幾分風を呼んで過ごしやすくなるのかと思い、窓越しに西蔵王の山々を眺めた。飛行雲が空高く一筋の線形に。もう8月、「暑中号」の季節である。隣家から香ばしい魚の焼く匂いが窓からわが家にも伝わってきた◇その時間帯、テレビでは美味しそうな料理番組が流れ、人によってはそういう番組を見ながら食事している人もいるはず。食べながら食べ物の番組を見ることの妙な取り合わせ、食事の時にはテレビを付けない厳格な家庭ならともかく、あり得ることに一々細かい反応ばかりしてはおれない◇朝・昼・晩と毎日の献立、買い物、下ごしらえ、調理をまかされている人は大変だ。昔に較べたら料理する男性も結構増えている。あたり前のこととして、仕方なく復活してきているのだろうか、少子高齢化社会は食生活の変化をも。コンビにばかりでは味気ないはず◇食は元気のはじまり、愉しい食事は、また活力に結びつく。野外の食事は一層そうなのである。野外だからといってバーベキューだけではあまりに単純だ。創作料理の腕試し、いよいよ好季節、野に山に森に出かけて美味しいコーヒーを飲んで暑気払い、秋に備えることにしよう。

(8月7日暑中特集号掲載)

◇WTO(世界貿易機関)は国連機関の一つ、スイスのジュネーブで開かれていたこの多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)が決裂した。やはり世界は欧州連合EUとアメリカ合衆国それに発展途上国との間の対立の図式に変わりはなかった。一筋縄でいかないのがWTO◇貿易が世界経済の要であり、とりわけ関税をめぐる取り決めは各国経済を大きく左右する。それだけ、多角的貿易の自由化には、〈自由〉の名のもとに、何とも〈不自由〉が付きまとう。日本の農業を守るためには、農業部門だけ〈鎖国〉にすべきだ―。と真剣に思いたくもなる◇狂っているマネー市場を引き金に、最終消費者に跳ね返ってくるあらゆる商品値上げのオンパレード、それがストレートに食品に帰着する。怒るすべを知らない消費者は、ひたすら防備の切りつめと倹約に。わが国の工業には農業と違う世界経済拡大へのインフラがある。しかし、国内農林水産業にはそれがない◇皆無ではないが、ほぼ皆無に近い。工業優先、農業後回しでは自給率どころではない。日本人から魂までが失われそう。

(8月4日号掲載)

◇8月9日(土)・10日(日)、文翔館で創作劇場オペラ『ジャンヌ!』を千円で観られるという。フランス・ノルマンディー地方をめぐる英国と仏国の王権・領土奪取の攻防を繰り返した100年戦争、そこに登場するフランス救国の少女、ジャンヌ・ダルクを舞台でどのように描くのか。後代、オルレアンの聖女に列せされたジャンヌ◇21世紀が生んだ大女優、イングリッド・バーグマン主演の映画、『ジャンヌ・ダーク』を鮮やかに思い出す。今は「ミューズ」と名を変えている映画館、「霞城館」で観る事が出来た。総天然色、敵の城砦に梯子でよじ登るジャンヌ、今少しで城壁を乗り越えようとしたとき、一本の矢が彼女の鎧帷子を貫いて喰い込んだ◇イギリスとフランスの国境をほぼ現在に見られるドーバー海峡を挟んだ両国に、鉄の女サッチャー女史とジャンヌは時代や抱いた使命、果たした役割も当然異なる。しかし勇ましさにおいては共通している◇このような〈強さ〉に経済の市場原理が絡んで、今様、アメリカ帝国やEUヨーロッパ帝国など、とかつての東西ローマ帝国やオスマン帝国以上に分派軋轢、境界無き無差別の金権暴力が地球を覆ってしまうかもしれない。

(7月31日号掲載)

◇万葉集で有名な歌人大伴家持が「鰻」の歌を詠んでいる。当時、「鰻」を「武奈伎」と記していたようで、武奈伎は古代から中世にかけてのウナギの古名であるとも。そこで肝心の歌であるが、「石磨尓 吾物申 夏痩尓 吉跡云物曽  武奈伎取喫」と漢字だらけの並び、おおよそ和歌のように流暢でない字面◇しかも、鰻は流暢以上のヌルリ、ニョロロの掴みがたい生き物。だがこれが夏には打って付けの食材である。家持さん、すでに熟知していた風。「石麻呂に吾れもの申す 夏痩せに よしといふものぞ むなぎとり召せ」、と歌に託して知人に進言しているのである◇「土用の丑の日」、鰻は国内・国外問わず一度は疑って食しなければならなくなった。食糧の生産流通過程での怪談が続く。有名料亭・有名水産会社の欺瞞振り、愛想も尽きるというもの。子供の頃、川に潜ってヤツメウナギを獲ったのが懐かしい◇眩しい太陽の下、夏が空いっぱいに広がっていた。鰻も鰌も口に入れるのは苦手だったが、いい加減に歳を重ね、カサカサの思いのままでは草臥れる。一丁、ここら辺りで越中国守・家持のように、「えいっ、一串、蒲と行きやるか、行くまいか、行くまいぞ」、と狂言風に鰻が大蛇に変幻するもまたおかし。

(7月24・28日合併号掲載)

◇「海の日」だという。県内の各海水浴場は18日に海開きしたところが多い。この10年海で泳いでいない。泳げないからでないが泳ぐ思いに駆られない。その限りで「海彦」には程遠い。どちらかといえば「山彦」の方に近い。太平洋と日本海のほぼど真ん中で毎日寝起きしている。このあたりは休活断層のほぼ真上◇日本は島国で周りが海だからいかにも海洋民族のように思えるのだが島国根性という根性があるだけに海洋民族でないことだけは分かるような気がする。大体、船に乗って旅をしたり通勤・通学で利用したりという地域でもない。陸に上がりっぱなしの農耕民の流れだ◇ところが、「海の日」に船にも乗れず、毎日が仕事のため海の幸を生業としている漁業に従事している人々が、船の燃料費高騰でついに決起、海の男の心意気を不健康な世界経済の歪みによってそがれている◇こういう危急存亡のときに、塩釜市は行政・全国自治体のトップを切って、支援の具体策を明示した。稀に見る英断だと思う◇旅客バス・貨物運送業界にしても燃料の値上げは手痛い打撃、至る所に割り切れない政治・経済・社会−。

(7月21日号掲載)

◇「山びこ学校」といえば無着先生、その無着先生が赴任した山元中学校がある狸森地区に行ってみた。「国道348号」の魔のカーブ下に身を伏せるように、細長く旧小滝街道に通じる通過点でもあった集落が見られる。そこから白鷹の方に向かって行くと、やはり旧道沿いから右に進んでいくと「境」という美しい山合いの集落にたどり着く◇木霊が跳ね返ってきそうなところである。「山びこは」山の神の意という。「こだま」は、山の神が応えるのだと考えられていた(岩波国語)、とも。狸森(むじなもり)は狢森(むじなもり)とは書かず、また、「たぬきもり」とも呼ばせないあたりが面白い。この呼び名は戦国時代からの地名だという◇戦国といえばこの狸森の地を流れる本沢川下流には長谷堂城跡公園がある。出羽の関が原ともいわれた「長谷堂合戦」があった古戦場。山形市街地が一望できるこの一帯、来年放送の大河ドラマ、「天地人」の主人公直江兼続が陣取ったといわれる菅沢山と対峙している。この一帯の山々を超え、領地を守るための戦いがこの地にもあったことが嘘のように緑が青々と繁っていた。

(7月17日号掲載)

◇やっと梅雨らしい雨が降り始めた。テレビ「美の壷」で薔薇を特集していた。「オフェリア」という名の種類があるという。薔薇にまつわる物語やエピソードの類(たぐい)は少なくない。悲劇「ハムレット」のヒロインで余りに有名なオフェリアは、画家ミレイも描いている。さすがに「水に浮かぶオフェリア」はぞっとする◇知人の前庭が多くの薔薇とシンビジウムの鉢植えで足の踏み場もないほどだ。この庭は南に面していて実に明るく、家のつくりも洋風そのもの。旅したときに奥さんは高価なイコンを買って帰ったという。山形にも西洋と東洋の架け橋のような人がいる◇彼ら夫婦はよく海外からホームステイの若い人を招くという。古風なヨーロッパ人の躾の一つに、少女は花に顔を近づけ、しげしげと眺めるものではない、と以前、他の友人から聞いたことを思い出した。それは薔薇とは限らないのかもしれない◇それほど美しい花、たとえば薔薇など多くを眺めすぎると、それこそ美しいものには棘がある、と反射的に身構える。棘ではなく、夥しい剣による〈薔薇戦争〉も遠い昔、イギリスにはあったし、中国・日本からたとえばノイバラがヨーロッパの方に渡ったことなど、初めて耳にすることであった。

(7月14日号掲載)

◇かかりつけの医師の話、「サミット開催中、霞ヶ関は夏休みというでないですか―」、と真顔で言う。主(あるじ)のいない省府庁、首相官邸などはさもあらん。留守部隊の心境やいかに。主がいたときよりもいない方がまた別の神経を使うのか、かえって居てもらった方が良いという職員も中にはいただろう◇北海道のこの時期、霧の摩周湖ではないが洞爺湖とてそう変わりはなかっただろうに。会議が霧の中に漂うことなく、日本国のメッセージが世界へ明確に通じたのか、手ごたえは今一つレベルまで届くこともない。国民は高騰する諸物価に青息吐息なのである◇国益のため、あらん限りの知力と気力と体力を駆使し、日本の存在感つまりは〈指導力〉が十分に発揮されたのか、貧困と飢えに苦しむ国々と先進国と呼ばれる国々の思惑にもスクリーン・セーバーのように、指導者たちの描く枢軸形が現れたり消えたりまた交差したり、やはり頂上を目指すには「シェルパー」なしでは登れないそれぞれの頂上◇俯瞰するほど余裕のある国も見当たらない。まるで指導者たちのネゴシエーションは、〈交渉〉よりもやはり〈商談〉のよう。

(7月10日号掲載)

◇ある演歌歌手の「自伝」編集作業を終えたばかりの友人から、演歌歌手の最大の目標は、何といってもNHKの「紅白歌合戦」に出場すること―、と聞いた。そういうものかな、とこちら。演歌でなくとも歌手ならジャンルを問わずにそう思う人が多いのでは、と一般的には思われているのか◇彼によると歌手もそうだが、演歌の〈歌詞〉そのものが研究の対象になるほどの世界だという。理屈抜きに、その曲が、そして唄われる歌詞が、その時代に直結するというのだ。また、それ自体の様式をもって表現されているからという。演歌とえば、〈カモメ〉、〈港〉、〈酒場〉だけではないのか、とこちら◇しかし、出会いも別れも演じられる歌と解すれば、この一曲3分間ほどの短い時間の中に、人間が込められる世界は強い―のだそうだ。降り出した雨、夏に思う冬である。そして、冬にも七夕があるという。それもまた詩の世界、何に向かって詞(ことば)は切り結ぶのか◇歌い手がひのき舞台に夢を追い求めるのも、そうでない人でさえ、東北の夜空には、賢治が描いた「銀河鉄道」がやはりよく似合うような気がする。北上も最上も隈(すみ)に天の川―。

(7月7日号掲載)

◇怪しげな文書が本社のファックスに入ってきた。差出人名もなく心当たる節はない。配信先FAXの局番からは市原市0436がいかにも発信源。ただ、文書2枚の内の一枚目には『日本テレビとCIA』(新潮社)の書籍の表紙と思われる写真とやたら大きな読売新聞グループの総師、渡辺常雄氏の顔写真が載っているもの◇これは、一種の怪文書なのか。なぜ本社に送られてきたのか不思議である。文書末尾近くの「※」印のあとに、「全国の新聞社、テレビ局、警察、検察、裁判所、公安委員会、・・・・横須賀市関係者に配信中」、とある。横須賀市にはこちら親戚はあるが、市に関係しているわけでもない◇綴り全体の文脈からはあくまでもアンチ読売、アンチ渡辺一色に塗られていること。その点で首尾一貫しており、先の同名書籍の宣伝と解せなくもないが、もしかしてこれはなりすましのやらせ怪文書の一種かもしれない◇7月は「文月(ふみづき)」、昔風に一筆啓上・・・、なら間合いもとれる。いきなりの投げ込みでは、主張はどうあれ面食らう。庭の隅に竹が伸び、空に向かう。七夕近し、〈文月や六日も常の夜には似ず〉(芭蕉)とか。

(7月3日号掲載)

◇拉致の問題では埒が明かないのが日朝間に根ざしている深い過去の傷が物語る歴史。このことを踏まえないと全てのことが先に進めない。拉致とは順序がまるで逆なのだから、いくら日本人が街頭で署名運動しても相手には届かない。核の問題で彼らの「申告」には何処かに偽りあり、とする受け止め方は至極自然な思い◇私的シナリオ1、米朝間で合意を得た事柄がある時期にきて「あの申告は欺瞞であった」ことが証明されれば、北はたちまち世界の非核化網の網にかかる。網を噛み切るサメの凶暴さを露呈する時、彼らはまず、この日本にその牙を向けてくる。それで日本が少しでも傷を受けたとしよう◇シナリオ2である。その時が北の運命の分かれ道になる可能性が高い。牙を抜かれた狼のようにしおらしく、世界もまたその変貌振りに驚き、あの独裁体制が廃されれば、民主の国に近くなる◇世界から分かりやすく受け入れられ、平和への道が見えてきたとき、日朝の長いわだかまりが解消され、拉致問題もその道程で鮮明になってくる。ヒステリックになれば彼らの思う壺である。

(6月30日号掲載)

◇今年の大河ドラマの『篤姫』が面白く殆ど毎週見ている。政略結婚の最たるもので、徳川13代将軍家定の御台所に。日本が大きく揺れ動いた時代、難局に直面する幕政、ドラマもいよいよ佳境に入っていく。見えてきたものが一つある。主人公が次第に徳川の人になっていく様子である◇蜜命を帯びて入嫁して来たはずなのに、ドラマでも女性の生き様を現代人にも分かりやすいように描いている。ホームドラマ仕立て、と評する人もいるが中身が濃いだけに飽きもしない。老中の佐倉藩城主堀田正睦が御台所の名と「篤」の一文字が同じであることは恐れ多いー、と後に改名したというナレーション◇その堀田家は最上、鳥居などの後に続き山形藩の領主となった家、後に佐倉藩に転封になっているが、幕末維新まで4万石ほどの領地がこの県内村山地方を中心に所領していたとも。山形市蔵王堀田の地名もかの佐倉藩領堀田家の名に因んでいるとも◇開国か鎖国か押し寄せてくる欧米の圧力と国家を2分する政争の渦中に、やはり一人の女性として翻弄されながらも日本女性の芯の強さのようなものが描出されるのかもしれない。

(6月26日号掲載)

◇今年の2月22日、厚生労働省で「全国児童福祉主管課長会議」が同省雇用均等・児童家庭局の主催で開かれた。その時の会議資料が公表されている。その中に「児童相談所等の体制強化について」次のような記載がある。「本年4月から施行される改正法において、児童相談所の役割と責務は、従来よりも増して重要となっている。国としても、その体制強化のため支援を行う」と◇平成19年4月現在、児童福祉士の有資格者が各自治体に2263人配置され、体制強化が図られてきたという。「しかし、虐待対応件数の伸び率はこうした体制強化を上回る勢いとなっている」とも記している。国は、虐待を受けた子どもなどへの支援の強化として、当初848億7100万円を計上した◇発生予防対策の推進、早期発見・早期対応体制の充実はもちろんだが、そのための地域・隣人の協力は不可欠だ。子供を大事にしているためなのか、していないためなのか、数字からは両方が読み取れる。しかし、ワーストの冠がそれ自体悲しい−。

(6月23日号掲載)

◇岩手・宮城内陸地震で県人が複数犠牲者となった。死亡者に占める県人の割合が多いのも最上地方が震源地に近い宮城や岩手が人々の仕事や観光も含め、相互に交流圏域であることを裏付けた。一早く、本県からは消防隊の応援が向かった。このニュースにどれほど心強く感じさせられたことか◇錦秋の栗駒山を目指し東北自動車道を一気に北上した記憶がある。投宿した宿も倒壊した駒の湯温泉に近い新湯温泉くりこま荘、肌寒い大広間での夕食であった。ここは、大丈夫なのか。地震発生の当日、少し遅い朝食の最中だった。第一報がテレビのテロップに流れた。地震発生予告、直後にぐらっと揺れた。家の柱の間隔が割りに狭い洗面場まで逃れた◇上の部屋からガタンと何かが落ちる音がした。棚においている小物がいくつか床に落ちていた。割れ物はなく、また元のところに収めた。筋交いは入っているはずだが、母屋より比べ住んでる部分は車庫の上で揺れも大きいことが分かる◇耐震診断は欠かせない。文科省は学校校舎の耐震化を速やかに進めるべく関係機関との連絡を蜜にしていく姿勢。県有施設においても同様、地震への備えに踏み出している。栗駒一帯に逆断層型の地球のエネルギーが余震となってまだ続いている。

(6月19日号掲載)

◇『一般国道112号霞城改良事業「山形城三の丸跡」発掘調査はじまる』の投込み資料が届いた。国交省山形河川国道事務所が進めているこの改良事業が、文化財保護法に基づく調査が必要なエリアにあるという。発掘調査というとピラミッド考古学者吉村作治サイバー大学長やポンペイ遺跡発掘の青柳正規国立西洋美術館長、日向洞窟遺跡調査の故柏倉亮吉山大名誉教授らの名を連想する◇興味は地層を形成するその時代その時代の変わり様、浮上して来る出土品からある事実が物語ってくれる世界へ作業に携わる人々の夢も膨らんだり萎んだりするのだろう。県埋蔵文化財センター関係者ばかりでなくここに生まれ育った一人として、何が出土するのか大いに気にはなる◇むしろ何も出ない方が事業の進ちょくを早めるにはよいのだろうか。今はそうはいかない。文化財保護の考え方を、端的に「〈効率化〉に資することのない〈時代遅れ〉なもののなかに価値を見出すようになった。」(『文化財信濃』31−4)と言い切る見方さえある。歴史はそう古くはない、上司の先祖は築城者義光公により滅ぼされた白鳥十郎重臣の子孫、三の丸にもいまだ安らがざる思いかもしれない。

(6月16日号掲載)

◇遠方に住む友人が「小国町の朝日山系にある角楢小屋に是非行ってみたい。一緒に行こう」というので同行した。小屋までは登山道を約1時間、途中、荒川上流部にかかるワイヤーの吊り橋を3つも渡らなければならない◇一つは20a幅程の板の上、一つは太さ10aほどの丸太木をつないだだけのもの。いま一つは橋の板幅それ自体30a程度と狭くはないのだが、その板が橋の片一方側に極端に寄せて敷かれているため、その反対側はワイヤーが張られているだけ◇どんなに太っている人でもバランスを崩し、踏み抜きでもしたらそのままワイヤーとワイヤーの間から抜け堕ち、全身川の石に叩き付けられる。高さ5b内外、侮れない高さである。友人のそのまた友人Y氏らが小屋を再建、登山道を整備し、ワイヤー橋を設置したのだという◇「遊び心を感じる吊り橋だね」と友がいう。こちらは必死でそんな余裕はなかった。高所恐怖症には「怖い」と思った瞬間が危ないのである。途中脚がすくみ、腰も引けたが何とか無事往復を渡り切った。ブナの巨木群の間から太陽光が柔らかく降り注ぐ。ふる里再発見−。

(6月12日号掲載)

◇家族を失うと、その死亡届をはじめ各役所や機関窓口に約30項目の確認作業や連絡、申請作業が待ち構えている。何事も薄っぺらに反応しているような、また、そうでないような妙な雰囲気の鳩山邦夫法務大臣の「無戸籍母子」訴訟に対する「子への温かい対応をする」の発言◇法律の門外漢でも基本的人権に係わることだけに「そう」と思う。しかし、具体的にどのような法律でどう対処してくれるのか鮮明ではない。「300日以内」の子、「300日以外」の子、「一体誰の子」なのか。その判明はそれ自体DNA鑑定で簡単に済むはずだが◇しかし、父親が判明したとしても認めたくない事情が双方に生じるかもしれない。機械的にスムースにこの母子無戸籍問題が解決されるには時間がかかりそうだ。現象としては若い人々の日常生活スタイルの変化などから、これまでの「家」=「戸」から「個」=「世帯」への「家」の変化を意味しているようにも見える◇その限りで従来の「戸籍」が今の時代に直面している、もしかしたら様々な人間模様の整合する部分と不整合な部分の間で「戸籍法」が変わらざるを得ないかもしれない。

(6月9日号掲載)

◇「総選挙は道路問題や高齢者切捨てをすっかり忘れて、麻生ブームに沸く、と。最悪だね。でも実際、そうなる可能性は高い。何しろ、これだけひどい目に遭っているのに今も次期首相にふさわしい政治家アンケートでは小泉元首相が断トツだからね。結局、国民はキャラクターに流されちゃうんだよ。」(「論座」7月号・川端幹人)◇この予測が当たらないことを切望するのみ。レギュラーガソリンがリッター170円超など、「狂っている−」、と言いたい。根源的に食糧危機に等しいわが国だというのに、人様が腹に入れる食材を燃料にするなど、大馬鹿そのものの体たらく◇世界の諸国が「国策」にすべきは、太陽光発電システムに今こそ真剣に取り組み、儲け至上主義を脱し、その研究開発から実用に向けて、機器・機材・製品化とその生産に至る早急なアクションを興すべきではないのか。これを妨げるグループの非人類的射利を庶民は直視したい◇人類存続危機の今こそ、太陽光による発電開発に知的工業所有権の垣根なく、人類皆のものとして、市場原理の介入には一休みして頂こう。

(6月5日号掲載)

◇もう6月、〈六月(みなづき)の頃あやしき家に、夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり。六月祓またをかし。〉(徒然草)と兼好は記す。「六月祓」は「夏越祓(なごしのはらえ)」とも◇「六月晦日(みそか)に、半年間の心身の穢(けがれ)を祓う行事。菅(すげ)や茅(ち)で作った輪をくぐったり、また、人形(ひとがた)を作ってそれを自分の分身とし、体を撫で、息を吹きかけて罪や穢れを移し、海や川に流したり水盤に張った水に投じたりした」「(風俗博物館)より)と◇水無月(六月)は、田植えに多くの水を必要とする月の意という。山形新幹線が通過する「板谷峠」は、北に向かって下り坂になると速度が増し加わり、関根の集落を一気に北上する。盆地に広がる水田の苗が風にそよぐほど、涼しく、また瑞々(みずみず)しく見えるものはない◇兼好法師は皮肉たっぷりにものをいう。ある段では、広い庭のことに言及、もったいないから「畑」にでもして「食べ物」を作った方がどれほどましなことか、というような発言までしている。実にシビアである。

(6月2日号掲載)

◇所用で上京した。千葉県松戸市に所在する都立八柱霊園が行き先である。千葉県にあるというのに東京都立だという。広い霊園、しかしそこまでがまた、遠い。その帰路、車の運転手さんが大相撲夏場所で初優勝した琴欧州の佐渡ヶ嶽部屋の近くに住んでいる人であった◇現役時代の「琴の若」のことをよく知っていた。「蔵前通りを通ってみましょう」という。テレビで見慣れている建物、四股名がはためく幟(のぼり)に目もやらず通勤する大勢のサラリーマン。「この通りのもう一つ向こう側の通りがあの吉良上野介の屋敷があったところ」と運転手さん。本所松坂か◇「回向院」の前を右折するとき、江戸後期から勧進相撲の定場所となり、明治末期まで「回向院相撲」として有名だったという。別名諸宗山無縁寺とも。隅田川に架かる両国橋を渡った。「東京は怖いよー」と彼、怖いところを通るからか◇江戸300年の歴史の流れは、庶民の喜怒哀楽として今なお続いている。「無縁寺」とはー、大勢死んだお相撲さんがこのお寺に葬られているとも。郷里は何処。

(5月29日号掲載)

◇〈「赤ちゃんが生きている!」。救援隊員が叫び、救出作業が再開。生後3〜4カ月とみられる無傷の男の赤ちゃんが毛布にくるまれて発見された。〉(5月20日配信の産経新聞)の記事がホームページに掲載された。中国四川省の地震は未曾有の大災害となっている。人ごとではない、そう思いながら記事を読んだ◇〈救援隊員が母親の体を調べると手に握られた携帯電話の画面に、1行のショートメールが残っていた。「赤ちゃん、もし生き伸びてくれているのなら、私があなたを愛していたことを絶対忘れないで…」。子を思う母親の愛の深さに、救援隊員も思わず涙を落としたという。〉◇ミャンマーでのサイクロンによる被害もそうだが、他国からの救援の手や物資をまともに受け入れ出来ない国状こそ国民にとっては悲惨だ。「人」が一番に「人」を必要としているとき、それが叶わなかったなら直接的被害に加えて、「絶望感」をも加重することになる。中国では二次災害の恐れも◇アジア人同士、国がいがみ合ってばかりいてはそれぞれの国民が置き去りにされるばかり。

(5月26日号掲載)

◇「国際生物多様性の日」とか。生物としての「人間」、ヘビもカエルもミミズもオケラだって、皆生き物。イチゴやサクランボも、百日紅(さるすべり)もドクダミだって同じ。見渡せば、生きている。生きているものが全てこの地上から消える日◇SF映画にもありそうな、地球生物の危機、これが宇宙にまでも及ぶのか。けれど、こちら宇宙の彼方へ逃れる人類など想像する気にもなれない。ダーウィンの「種の起源」やメンデルの「遺伝の法則」など、学校で習ったこともほとんど日常無関係に時間のみが過ぎていく◇なぜか嘘のようなほんとの話がこの地球号を取り巻いている。科学的知見が増せば増すほど、今まで知り得なかった新たな問題が浮き彫りにされてくるこの地球。そして、そこに生息する〈生物〉。進化論が為政者によって利用されそうな恐ろしい〈自然特集番組〉さえも出現してくる◇〈ダーウィンがやってくる〉ってほんと?すでに来ている変化の兆し、我が家の池の金魚の親子が一晩のうちに姿を消した―。ダーウィン先生、この現象の真相は?解き明かして頂けませんか―。

(5月22日号掲載)

◇「格差社会」の是正こそ、政治家や大企業のリーダーには求められている。「ワーキング・プア」と呼ばれる若い人々が「怒り」始めている。日雇い同然に働き続け、正社員の道も険しく、身分の保証も、将来への希望も、生甲斐そのものさえ掴めぬまま◇いっそ、バケツの水などひっくり返った方が、皆な同じように水を被るのなら、浮かび上がれるチャンスも出て来よう―、などと。一度陥った社会の閉塞感からの脱出は一寸やさっとのもとで打ち破れるものではない◇将来を担う若い人々にとって、夢も希望も見つけにくい今の世であるとすれば、なお晩婚の勢いに拍車がかかる。一生独身で通さざるを得ない若者も出よう。そうでなくとも少子高齢化社会。ニート呼ばわりされ、社会の底辺階層に組み込まれていく不安◇たまらないのはその若さが彼ら自身の内部に薄ら寒い予感すら漂わせ、それを抱えさせるように聳え立ちはだかる分厚い「壁」、まるで城壁のような企業という「城」、あるいは「階段」のように階層造りに余念のない「社会の怪物」からの救出策も必要だと指摘する人もいる。

(5月19日号掲載)

◇山形県森林土木建設業協会の平成20年度総会を取材した。総会では、「基本方針」が示され、その冒頭で〈県が先に緑環境税を創設してまで、森林の有する地球温暖化防止機能をはじめ公益的機能維持推進に向けて、間伐施業等の「整備」に力を入れており◇また県産木材需要拡大に向けての「やまがた木づかい運動」等の展開や、森林資源を「バイオマスエネルギー」として有効活用するための、種々の取り組み等もなされております〉、と記している。記者はその後に続く文言の方に、より以上に興味と関心を抱いた◇〈しかし、これら何れの取り組みも、実施上不可欠な「林道」等の必要性には全く触れておらず、予算処置もほとんどなされておりません。現在の林内道路密度で立木を定量・継続的に、一体どのようにして伐採・搬出し市場へ輸送するのでしょうか。また、施業するために道のない現地へ、一体どのようにして行けばよいのでしょうか〉と◇専門家集団としての強い疑念を率直に付け加えているのである。この現地での具体的作業手順と収められた緑環境税の活かされ方、目に見える効果に県民としても見過ごしていく訳には行かない。

(5月15日号掲載)

◇考えてみたら、いや考えなくとも、日本と中国大陸それに朝鮮半島は「日本国」が始まる以前より遠くて近いそれぞれの国を含んでいる。有史以前からの〈交流〉は好むと好まざるとに係わらず、この事実の前に目を瞑ることは不可能なことだ◇後代の大仏開眼に及び到ることが出来たのも、先の地域の国々より直接わが国に伝播されたため。古代のわが国において、陰陽道、儒教、仏教の、特に仏教との係わりにおいて対照的に独自の進展をなしてきた神道。本地垂迹説と◇両部、伊勢、吉田、儒家、垂加、復古、教派の各神道の説は膨大なものという。6から7世紀代、物部氏と中臣氏は共に神道の排仏派として、蘇我氏は崇仏派として朝廷・政権内の祭祀をめぐり覇権を争ったという。神と仏の争いというよりも人間界での人と人との争い◇話題の映画『靖国』を右も左も関係なく冷静に見ることが出来るなら有難い。自ら作り育て、生産した農産物を農家の人自ら直販する自由は自立心を育む。昔の物言わぬ農民と様相が一変し、強制より共生、そして自立への表れが人の尊厳により通じる。

(5月8・12日合併号掲載)

◇国民は〈政治〉から誤魔化されないようにしなければ泣きを見る。戦前の大政翼賛体制は国の方向を見誤りやすく、多党・小党乱立も頼りない。構造的には3大政党ぐらいが調度よいのでは、などと勝手な思いを抱く◇2大政党に遠いような近いような自民、民主の動き。成熟した〈政治〉を1票の重さから確かめられるような手応えある政治を待望したい。1票の権利が国民の声としてどれだけ各政党に浸み込むかを見定める〈眼力〉が国民に今求められている◇その意味では〈政治学〉の絶好の学習が今の政局ともいえる。幸いテーマが国内問題に絞られた〈揮発油税〉と〈医療・福祉〉に係わる事柄が柱。国際紛争など民族的感情など余計な思惑や信条など気にせずに済む◇内閣支持率など「国民意識調査」やアンケートで今や日本放送協会・朝・毎・読・日経の巨大メディアの先行指標と目されはじめた〈YAHOO!みんなの政治〉が政党からもメディアからも大いに注目されているというのである。ここでは、庶民ばかりでなく、政治家たちの気になるページとなっているとも。

(5月5日号掲載)


◇山小屋同然の部屋というより、物置小屋同然のわが部屋には足の踏み場もないほど、古新聞や古雑誌、古ぼけたコンピューター3台、ペトリの一眼レフ、オリパス・トリップ、ペンタックスの一眼110カメラ、オリンパスOM1・2・4と痛ましい仕草でぶら下っている◇専門家の目に触れでもしたら、怒鳴りつけられあきれ返られ、一笑に付されるかもしれない。しかし一台一台に思い出はある。手放すわけには行かない。整理の極意は捨てること、と言われる。文房具類でその方が良い場合はあるが、カメラはそうはいかない。カシオのデジタルコンパクトカメラ、これが小回りが効いて重宝、2万円以下だが、プリンターも付属に付いている。メニューも分かり易く、動画もいける。プリントの仕上がりもよい。メモ帳代わりに使うには携帯と同様、十分すぎる。いかに使い込むかが勝負。乱雑といえば部屋同様、PCの中身も乱雑極まりない。その場しのぎのO型作業が続き、それでも浮世の付き合いや諸手続きを何とか捌いてきた。捌き切れぬ自身。

(4月24日号掲載)

◇18、19日の週末はお天気に恵まれず、せっかく「桜」の見ごろのはずだったのに、雨風に晒され、行楽にも少なからぬ影響が出た。それでも、元気な人々は公園や河原の桜並木を心持ち、残念に思いながら通ったかもしれない◇県内の『桜回廊』は、まだスケールの点でこれから将来に向けた息の長い事業のはず。それだけに、連続する〈桜・路〉の繋がりに夢を見たい。一個所一木主義から、それこそ川上から川下、河口近くに到るまで、視覚が寸断されることなく、繋がりの延伸空間となって欲しい◇人は繋がりに心慰められる。千年桜の一つ所での観桜には、その場での時空を含んだ学習想念が、かえって疲れとなってしまう場合がある。樹木との余計な感情交流の結果でもあろう。〈桜の精〉など、樹木にまつわる伝説や伝承はもちろん意味深いが◇それだけに、『桜回廊』は川の流れのように千年桜のような物語がなくとも、延伸して行き、それが繋がって初めて桜回廊の新たな物語が、その所どころで生まれてくるかもしれない。〈春雨はいたくな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも〉(万葉集)

(4月21日号掲載)

◇オリンピックに政治をもち込まないというのは賛成。しかし、中国がチベット人民に対し抑圧的に振舞い続けてきたということに、世界の人権を尊重する立場の人々が苛立ち、抗議のデモを起こしているのである。敬虔な仏教徒の多いチベット◇ダライ・ラマ14世がチベット人民を煽動し、暴動を唆しているのではない。むしろ、その逆で「暴力」は「絶対」いけない、といっているのであり、彼は全身全霊平和主義者なのである。それにも拘らず、中国の強権力はかの地を抑圧している◇チベットの歴史・文化・住んでいる人々の人権を強引に引き裂き、中国政府の思い通りにさせようとしているのだから、中国にはオリンピックを開催する資格はない、と言い切る人がいてもおかしくはない。中国の動きを見ている人はきちっとみている◇差別と抑圧は、オリンピックの精神にも反する。平和主義者の多いチベット人民の訴えは、これまでの中国政府軍・警察、行政がもたらしている強権力行使そのものへの反発。中国政府に対する世界各国での抗議に中国政府の馬耳東風は続く。

(4月17日号掲載)

◇お昼の弁当に鯨の大和煮が入っているとばかり、口に入れたら馬肉(さくら肉)、日本の調査捕鯨船が保護活動家らの妨害に。缶詰となってスーパーに出回っているはずもないか◇馬肉に当たって死んだベルリン生まれのフランス人画家、ボルスの神経だけで描いたような絵を思い出した。非定形で具象ではない。純粋に抽象的でもない。半具象というよりまさに非定形な絵画、アン・フォルメルの画家たちの先駆者と目された◇彼を一早く見出し、世に送ったJ・P・サルトルは、自身も同様に『嘔吐』で主人公ロカンタンをして、公園の樹根のその絡まり合い、動めくような態様に眩暈(めまい)し、激しく嘔吐させた。現代人の病み疲れた神経は、すでにあの2度の大戦を含み人類の「狂気」の乱舞のはじまりのよう◇咲いた桜と馬肉、その肉を食して死んだ画家ボルス、不条理とも思える人間社会に向け精緻で鋭いメスを入れ、人間実存の根底に迫ったサルトルは明日、そして最愛のパートナー、シモーヌ・ド・ボーボアール女史は今日が命日。パリの桜はまだつぼみでしょうか―。

(4月14日号掲載)

◇梅が咲き、枝垂桜の蕾(つぼみ)も膨らみ、池の金魚も元気に泳ぎまわり始めた。我が家にもやっと春の到来。向う三軒両隣、小学生の娘さんが中学に、そのお隣のお兄ちゃんが早くも高校生に、ついこの間までよちよち歩きだった隣の孫さんが大学生に◇ここまで来ると、もう、時の廻りの早い遅いとの感覚すら、覚束ない。そして、もう4月、8日には山形市で一番早い「大竜寺」の縁日、釈迦生誕の〈花祭り〉には、朝早くから出店の屋台づくりが始まっていた。そう広くない境内に、昔は舞台が設えられ、旅回りの一座が手品師らとともにやってきた。歌謡・演舞、股旅物の軽演劇が子供ながらに愉しかった◇国分寺薬師堂境内の参堂には、やはり花見客を迎える屋台テントが設置された。山形市はこの週末辺り、昼夜問わず桜見物人で賑わうことだろう。「植木市」はもう少し先。穏やかに日々を過ごせることがどれほど大事なことか。それがそうでない世の出来事が余りに多く、自由な世界が不自由に規律の世界が無秩序に海の底から天上遥か彼方まで、混沌が渦巻く現世―。

(4月10日号掲載)

◇最近、携帯電話を換えた。ワンセグでテレビも見られる。値段が安かったせいもある。ナビも付いているのである。こう記すと、いかにも今ふうで「ナウ・いかな」などと、あまり使われなくなった言葉を思い出し、勝手に使ってみたくなる。たかが携帯、「ナウ・い」もヘチマもあるものか、などと◇しかし、これ一つあれば、本来退屈する暇もないはずなのに、それがそうでないのである。退屈で仕方がないほど、退屈はしていないが、気分だけが妙に退屈なのだ。どうもそれは確かだ。身近に目玉ひんむくほど忙しそうな人間もいない◇余り使わない携帯ではあるが、機能満載だけに「宝」の持ち腐れにになりそうだ。持ち腐れと思う気にもなれないほど退屈病が進行していると考えるべきか。いや、そうではない。忙しそうにしているだけかもしれない。贅沢この上ない無駄時間、そういう感覚の持ち主は特に目覚めるべきは「春」の季節である◇よくよく情緒不安定にならぬ程度に眠気を覚ますが良い。「ところで御宅、ケータイはこれで何台目なの」、「ポケベルからはじまって6台目さ」、「それはいかにも移り気だぜ」。キャンディーズ大ファンの石破防衛大臣、グループ再編・同窓会のニュースに気もそぞろとか。春蘭と省の桜も散りにけり−。

(4月7日号掲載)

◇主寝坂道路が全線開通した。好天気に恵まれた30日、来賓として地元選挙区選出の国会議員、時局が時局だけに加藤紘一議員の祝辞が印象的だった◇「工事費というものについて思うのですが、東京の一般国道の整備改修費というのは膨大なものでして、四谷見附から新しい防衛省に向かって500メートルほどの道路の拡幅はキロ1000億円に近いわけ」◇「池袋から山手線で新宿までの新しい道路が一ヶ月前ほど開通した。キロ1000億かかっております。要すれば、いま道路をつくるという事は田舎の方の側で、冬は鹿やお猿が通るところにはもうつくる必要はないと、都会育ちのジャーナリストらのガキの言い分」◇そして、続く加藤節が面白い。「おっとドッコイ、道路財源の3分の1は東京都や大阪なんかで使っているんです。そりゃそうでしょう、9000億円もかかるんすから。道路財源が余っているなどというのは嘘でして、小沢さん一体何考えてんのか、理屈は分かるけれど」と。地方切捨てはご免こうむりたいものだ-


(4月3日号掲載)