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◇フランスの学生が騒ぎ始めた。1968年、セーヌ川左岸のカルチェ・ラタン(学生街区)から、瞬く間に世界の学生運動に飛び火した、あの「5月革命」の勢いに広がる可能性はないものか。ソルボンヌの学生たちが立ち上がると、それは確実にある歴史的変化をもたらしていた◇深刻な就職難からの学生たちのプロテスト(抗議)。だが、同国では先にアラブ系の若者たちがやはり「職」を求めて、人種差別への怒りを露に駐車している自動車に無差別放火するという暴動を起している◇フランス政府は下手をすると一気にこれらの若者たちの「怒り」に立ち向かわざるを得ない局面に陥るかもしれない。ド・ビルバン首相の政治的手腕が試されている。イラク問題には外交で際立ったスマートさを示した首相だが、内政に苦慮するのは未来を担う若者たちの苛立ちとの「溝」からか◇かつての左翼青年によるイデオロギー的攻めからの心配は薄れたにせよ、アナーキーな心情に及ぶ青年は何時の時代、どこの国々においても必ず派生し、世の〈混迷時〉に動き始める。こちら日本は間もなく「五月病」の季節だ―。

(3月23・27日合併号掲載)

◇「春分の日」にやっと春が来た。日本国中が内向きの鬱積(うっせき)している気分のときだけに、太平洋の彼方から勢いよく海を渡り空を駆けめぐってきた朗報の「球」は、故郷日本の「野」に春のよき訪れとしてやってきた◇こちらは「野球」で結構。「ベースボール」とカタカナで言い換えなくとも十分世界に通じた。今度はいっそ、こちらがメジャーの気概で、そんな言葉も言ってみたくなる。「スカッ」としたこの気分、はたして何に起因しているのか◇若い記者が「イチロー選手が違って見えた。あんなにナショナリズムを前面に押し出してくるとは思わなかった」と。「それでもいいと思うよ。スポーツなんだもの」と返した。時代がかった視点で、イチロー選手の全身にこれ「武士」(もののふ)の力がみなぎって見えた◇そして春の選抜高等学校野球大会が開幕した。ここまで来れば何が何でも「春」だ、もう冬に戻ることもないだろう。少し薄着にしようかとさえ思う。一気に桜前線が走り出す。この季節、足腰鍛えに呼吸を整え、野山に出で行き、悔いのない春風を―と思う。

(3月23・27日合併号掲載)

◇最近、街でよく見かける介護タクシーや車椅子のステッカーを張ったマイカーが今後より一層増えてきそうだ。新たに発表になる今年度の「山形県の概要」で、なおNPOや県民活動の動勢が明示されよう◇昨年17年度の「概要」によると保健・医療または福祉の増進を図る活動が最も多く、まちづくりの分野を含めて約6割、社会教育の分野で約5割が活動しているという。少子高齢化社会における高齢者や身体の不自由な人との係りが将来ますます増えよう◇車にこだわるが、本人はもとより介護する家族のためのウエルキャブ(福祉車)が山形県内には一体どのくらい登録されているのか、詳しいデータとしては把握し得ない。ただ、日本自動車工業会の福祉車両部会がまとめた、平成14年度における小型福祉車の販売台数は、全国レベルで2万7502台、軽福祉車が9491台、平成15年4月から9月の上半期の販売実績では小型1万3276台、軽が4149台だという◇ウェルキャブ購入時、市町村の窓口に申請して証明が得られれば自動車税や取得税は減免になる。

(3月20日号掲載)

◇「たかが野球」、「されど野球」などと言うつもりはないが、しかし、このたびのWBC「日―米戦」をみて「これが本場での野球か」と思った。と途端に妙に腹が立ってきた。まるでイラクに〈屁理屈〉をつけて無理やり攻め入ったときを思い出した◇理屈の通らない〈屁〉を放ってアメリカが息巻く姿は滑稽でもあり、実に愚かしい。黒も白と言い張る無茶苦茶な超大国そのままだ。何でも「野球規則9・02(C)は、判定を下した審判員から相談を受けた場合を除き、審判員は他の審判員の判定に批評を加えたり、変更を求めることはできないと定めている」(時事)というではないか◇この不愉快な思いから一転しよう。大新聞もあまり大きく取り上げていないトリノパラリンピック。本県出身の太田渉子選手(16歳)の大活躍は健丈者のフィルターを一度外さなければならない。ひた向きにその競技に臨んでいる姿に混じりけのないこの人の真の心の美しさや強さが現れている。この感動は太田選手の人間的魅力そのものかもしれない。この人の語る言葉の美しさにメダルも一層輝いて見えた―。

(3月16日号掲載)

◇日銀による「量的緩和策の解除決定」のニュースは、ことお金に直接係ることだけに、勢い国民の関心事となる。景気に左右される日常生活に一体どのような影響が及ぶのか。即座にピンと来る性質のものでもない◇5年に及ぶ金利ゼロの「規制」はバブル崩壊後のまさに「異常事態」であった。その恩恵に預かれたのは、実は多額の不良債権を抱え込んでいた金融機関そのもの。一般庶民にとってゼロ金利の色濃い恩恵などは、なけなしの財布からの預貯金者にとっては無きに等しいものであった◇政府が50%出資している日銀には、中央銀行としての協力が不可欠として「政治」と「経済」の繋がりに景気下支えの思いを抱く。時に政策上、異なるタイミングの計り方もある模様。日銀内の各銀行の当座預金残高は、通常は合計で5兆円。最低でもその金額は維持することが求められているという◇ところが現在は、何と30兆円から35兆円にまで膨れ上がっているというのだ。量的緩和をしてこのお金を全国の銀行本来の、企業や一般向け貸付業務に活かせたらよい―と日銀は踏んだ。「金利」は景気のまさに調整役となるか。

(3月13日号掲載)

◇馬見ヶ崎川の上流に早くも渓流釣りに挑む釣り人の姿が見られたという。滑川上流や本流の蔵王ダム直下から入り組んだ川面に沿って釣果を期待した人もいたかもしれない。「解禁日」をよそに釣り人のはやる思いはどうしても先に向かって膨らむ◇西川町大井沢周辺ではロッドを弓なりにしならせながら形のよい岩魚をタモに引き寄せている新聞など見ただけで、「遅れをとった」とばかり気もそぞろの人もいよう。晴れた先週の土・日、雪を頂いた奥羽連峰の稜線がくっきりと長く南北に連なって見えた◇春の陽気に誘われるようにスポーツの世界でも活気が。パイオニアレッドウィングスが2年ぶりのリーグ優勝、チームのスター選手栗原恵が今季MVPも手にした。プロの厳しい世界で勝ち抜くこと自体容易でないだろうが、花形選手を抱えて力を出し切れるチームの活躍を見るのはやはり気持ちが良い◇近所に野球の公式審判員の資格を持つ人がおり、部活で学校に向かうユニホーム姿の中学生に雪かきの手を休めて「どうだ、調子いいか―」と声をかけると「今年こそ優勝!」と元気よい返事が返ってきた。まずは春一番の出塁から花咲く本塁に向かおう―。

(3月9日号掲載)

◇川崎市登戸に「登戸学寮」という小さな学寮がある。鶴岡出身で書家黒崎研堂の長男黒崎幸吉(祖父は庄内藩家老酒井了明)が建てた学寮である。全国から首都圏に学ぶ若い学生が今も集っている。寮生のひとりに日本史専攻の先輩がいた◇小柄な体に似合わず熱心な人で『文学に現はれたる我が国民思想の研究』(津田左右吉著)という大書に挑んでいた。はじ巻きをしながら何を学んでいるのかと何時も不思議に思いながら眺めていた。それぞれが個室の狭い空間であった◇マイペディアによると津田は「日本書紀」と「古事記」の文献学的考証を行い、その説話が天皇を正統化する意図でつくられたものであることを論証したが、一連の著作が官憲に触れて発禁、有罪となった。後に天皇制擁護の立場に転じ、文化勲章を得た◇混迷している今日の日本に「記紀」が国民にどれほど拠り所となり得ているのかは、無意識にも現代人にとっては想起だけはする。天皇家や天皇制を政治が利用することはままあり得ることながら、天皇家の人々の「個」の尊重は当然で、かまびくしい世はさぞ迷惑なことであろう。

(3月6日号掲載)

◇「桃」の季節に悲しみを透き通るように歌った八木重吉の詩、〈息をころせ/いきをころせ/あかんぼが空をみる/ああ空をみる」(「息を殺せ」)を思いだした。「人形」というタイトルでは、〈ねころんでいたらば/うまのりになっていた桃子が/そっとせなかへ人形をのせていってしまった/うたをうたいながらあっちへいってしまった/そのささやかな人形のおもみがうれしくて/はらばいになったまま/胸をふくらませてみたりつぼめたりしていた〉◇重吉の子どもたちは二人とも幼くして死んだ。自身も短い生涯であった。この「桃子」の名がいかにも可愛らしく、身近にもし女の子が生まれたらこの名にしようと決めていたときもあった。男の子ばかりとなり、それがかなわなかった◇しろ酒は東光の濁り酒とこの冬、雪降りしきるあいだ口にした。身辺の雑事に追い回されるのを避け、酒店の決まったコーナーに足だけが速まった。濁り酒はよく売れていた。似たような人が他にもいるのだろう。待ち遠しい春、〈病む友の一人子の雛寄り合ひぬ〉(酒中花)

(3月2日号掲載)

◇荒川静香の「金」メダル獲得には安堵した。メダルに手の届きそうな選手たちの「悔しさ」を包み込むほどの大きな金と思いたい。水を差すわけではないが、オリンピックを目指す限りはメダルを、と国民は期待している。もちろん、そのときの「運」のあることもわかる◇今回のオリンピックで気がついたことは、多くの選手の口から「楽しんで」とか「楽しむつもりで」とか「楽しめた」の言葉が連発された。「緊張」を解きほごす一種の自己暗示の言葉とも聞こえたし、「弁解」のようにも聞こえた◇結構安易に使われているな、とこちらは冷めている。若い人の言葉遣いの変化かもしれない。サッカー選手や野球選手、芸能人にも言える。語尾に「し」をつけながら、後の言葉に続けていく。そして、止めるときには「うん」と自分を納得させる◇抜きん出ているその世界の若者たちが、カメラの前でインタビューアーに語る口調や表情から、少しでも選手たち本人の情報を得ようと見る人は観ている。それこそ視聴者自身が獣のような鋭い眼と耳で感得しようとしている。

(2月27日号掲載)

◇「この映画だけは観ておいたほうがいいよ」と友人から電話が入った。昭和33年頃の時代そのままの日本が映っているというのだ。『ALWAYS三丁目の夕日』というのだそうだ。話のスジは聴かないことにした。想像を膨らまし過ぎるのも不味いし、冷ややかになりすぎて無感動というのも味気ない◇映画はその人が良いと思ってもそうでない場合がある。「テレビで十分」とも言い切れない。『氷壁』と『出雲阿国』と『功名が辻』だけで一週間が終わるのも情けない。かといって時間をコントロール出来るほど目的があるわけでもない。なお情けない◇ほとんど統合失調症の様相である。『氷壁』は井上靖の同名小説を原案にしたドラマ。時代背景も場所やストリー展開も原作とはかなり異なる。それでもスリリングでついつい見てしまう◇確か主人公の名が魚津恭太(テレビでは奥寺恭平)と死んだ友人小坂乙彦(同・北澤彰)、その小坂の実家が原作の小説では酒田市に設定されていて、日和山公園内には『氷壁』の石碑もある。やはり登場する山形市の後藤又兵衛旅館は今はもうない。

(2月23日号掲載)

◇日本アレルギー協会が1995年(平成7)年に「アレルギーの日」を制定した。今日がその日。1966(昭和41)年に免疫学の世界的権威、文化勲章受賞者の石坂公成博士(山形市の名誉市民で同市蔵王在住)が照子夫人とともに、ブタクサによる花粉症の研究からアレルギーを起こす原因となる免疫グロブリンE抗体(lgE抗体)を発見した日に因んでいる◇雪が溶け始めるとたちまち「クシュン」とくしゃみをする職場の仲間。そういう自分も人ごとではない。ブタクサは北米原産の帰化植物、7月から10月の花期にかけてアレルギー鼻炎を発症する人が多いという◇今が美味しい日本そばを食べられない「そばアレルギー」の人もいる。呼吸困難や血圧低下など全身的な反応を生じ、生死に関わる重篤な症状を伴う人も。学校給食のメニューも一様にはいかない。子どもの体質に合った献立が用意されるところが多くなっている◇学校や幼稚園に子どもを預ける以前に、親は十分に気を付けて見極めていかなければならない時代。大らかとなれない微視のうごめき。親も病む異常さ。

(2月20日号掲載)

◇ここ一番というときに日本人選手の底力が出し切らずに萎(な)えるのはなぜか。トリノオリンピックの現時点での感想だ。特別の場、独特の雰囲気の場だからこそ、勝利の女神よりミラクル(奇跡)をも自在に操れる魔神の方にいっそ身を委ねたらの無慮の声◇しかしこれはオリンピック精神である参加することに意義がある―、の甘く崇高な思いと勝負の一点で背中合わせとなる。世界は厳しくあり続けるが、競技場のフィールドは擬似戦場でもなく、スポーツ競技の祭典◇メダル獲得に一喜一憂するのもいいが、その数には限度がある。それを手に出来ること自体一つの明暗の機運。最終日まで希望は捨てないことにしよう。報われぬ最善もある。4年に一度のチャンスはめぐってくる◇しかし若い選手たちの人生ドラマは刺激的でハラハラするものだ。より速く、より高く、より強く、弾(はじ)けるほどの逞しさが彼ら自身を支え、崩れるときも立ち直り、真の美しさ強さのためには休むこともしないだろう。アスリートたちの辛苦を超えた超絶の楽しみ方も自身には備わって居ようから―。

(2月16日号掲載)

◇自然番組でよく使われるナレーターの台詞に「強い子孫を残すため」というのがある。展望子などは「またか」と思う。ワンパターンで安易な説明になり過ぎているからだ。動物が自分の子孫を残すため、雌をめぐり牡同士が壮絶な闘いを繰り広げるというシーン◇獣ではないが琵琶湖で繰り広げられる「淡水魚」たちの産卵風景を以前テレビで見たときも確かに壮絶であった。夜半、浅瀬の雌の周りに普段は愛嬌顔の牡たちが何処からともなく集まって来てはバシャ、バシャと撥ねる◇そのうちカップルとなった牡は雌の胴体に蛇のように巻き付き、まるで昆布巻き状にして離さない。生物界における「種族保存の法則」は、人間社会のそれとは大分趣をことにしている。自然界は一面単純といえば極めて単純だ。人間社会においてはそうはいかない◇個体としての個人は孤独と裏腹にまず男と女に、夫婦となってファミリーを形成する。ファミリーの持たない人もいる。おだやかな日本に不思議な言説が飛び交う。今の世に一夫多妻を標榜する反社会的人間もいる。複雑系として互いに絡まり過ぎると碌な事はない。


(2月13日号掲載)


◇ある仏事後の斎非時に、「御立(小立)の鳥居」と西蔵王「三百坊の鳥居」のことが話題になった。平安の代852年に慈覚大師が開山したという西蔵王「瀧山寺(霊山寺)」が、約300年間(御立の鳥居の建造は973年頃)にわたり一大修験場として栄えていたという。そこに至る鳥居◇後の鎌倉幕府5代執権北条時頼が僧に身をやつし独り諸国を行脚したとき、当地三百坊の僧坊たちの権勢を目にして憂慮、1258年に幕府は閉山に追い込んだという。時の中央政権絡みの廃寺の運命◇謡曲『鉢の木』に描かれる時頼があの三百坊の地に実際訪れていたかは疑問。それより約100年前に佐藤義清(西行法師)がここを訪れているのを、執権時頼は脳裏に思い浮かべていたのか、大いに興味のあるところ。源氏にゆかり深い東国、しかも北面の武士であった西行が「瀧の山かへりまうでの袖ふれていしの石居も細らぎやせし」と書き残していたとも。如月に『西行桜』(梅若謡本習物第一番綴)を読んでみた。「埋もれ木の人知れぬ身と沈めども、心の花は残りけるぞや」と。いま深雪に山桜の萌芽が包まれている。


(2月6日号掲載)


◇建築・デザインを含む1920年代のモダニズム(国際建築様式)から80年代のポスト・モダニズムを経て今日の世界建築思潮はどの様に変容しながらこの先定位するのだろう。3次元CAD導入によるデジタル・アーキテクチュアは形態や色彩のみならず光や音をも取り込み、変貌し続けていきそうだ◇90年代の潮流、21世紀の「建築空間」として何が時代の本流になり得るのか、実のところはっきりとはしていない。おそらく引き続き建築概念の一つとしての背景や周辺状況を都市や居住空間それ自体が模索し続ける。細胞が結合し分裂するように、また異物として突起しながらボーダレスの世界全体を覆うのかもしれない◇このたび国交省の社会資本整備審議会が答申した「人口減少等社会における市街地の再編に対応した建築物整備のあり方について」では、「都市構造を転換し、一定の都市機能が集積した都市構造を目指すことが必要」と記している。多様な人の価値観と異なる目線の交差は、過密・過疎の概念にも及び有機的な結び付きを損なうものがあってはならない。

(2月6日号掲載)

◇1日にスタートした「生活習慣病予防週間」が7日まで続く。地域によっては節分の夜に「海苔巻き」を食べるという。その年の吉神方位(今年は南南東)の方向に向かって太巻きを食べると幸せになるというのだ。「恵方(えほう)巻き」と呼ばれ、関西方面に伝わる風習とか◇「犬も歩けば棒にあたる」、あたったことによる幸不幸は紙一重。季節に起因する不幸なニュースが目立つ。ロシアでの想像を絶する大寒波、マイナス60度など日本人なら血管の血も瞬時に凍ってしまいそうだ。ポーランドでは周辺諸国からの入場者を巻き込んだ大規模展示場の屋根が崩落し大勢の死傷者を出した◇ルーマニアでは野犬に左足の静脈を噛まれて失血死した邦人も。不幸な出来事そのものだ。同国での野犬の数200万頭ともいわれる。ルーマニア政府は野犬の一斉捕獲を打ち出しているが、動物愛護団体がそれに反対しているとか。その野犬の3割が狂犬病となれば、大女優B・バルドーが「反対」しても、日本人の感覚からは「もっと人間を大事にして」と言いたい。福は内と外にも−。

(2月2日号掲載)

◇その世界で「うり坊」と呼ばれている25歳の青年デイトレーダーがテレビに映っていた。「株」の「日計り商い人」である。上手く当たると瞬時に大金が転がり込む。もちろんその逆もだ。機関投資家と呼ばれる投資信託や保険会社、年金基金などの市場で資産運用を行っている法人とは組織や運用に捉われることの無い「自由」さがある◇毛糸の丸キャップを被り、無精ひげをはやし、薄汚いだぶだぶのズボンのその青年はPCのキーを素早く叩く。「買い損」が底なしのように続く。それでも買い続け耐えていた。這い上がる兆しを逃さず追って行く。そして「ここぞ」と思った瞬間、反転して「売り」に出た。数十分も経ないうちに数百万円の金が彼の懐に。一日で数千万円の儲けはザラとか。まさにマネーゲームだ◇フランスの戯曲家モリエールが描く『守銭奴』や『タルチュフ』ばかりがさかしまな世界ではない。皮肉と諧謔(かいぎゃく)が現実のものとして踏まえ、軽い乗りで、しかも真剣にいまや日本の、そして中国の老いも若きもこの金満投資ゲームに力注している。

(1月30日号掲載)

◇今年届いた年賀状の中に中学校の『学年合同クラス会』の案内状が入っていた。学年といっても1学年が11組もある。600人近い同い年の卒業生だ。3年前天童で開催したときには約200人が集まった◇その幹事会に呼び出された。夏に行なうというのである。これまで5年に1度の間隔でやってきた。3年に短縮したのは、「元気なうちにまた会おう」という単純な思いからという。「この先どうなるか分からない。待てない」と強硬派◇元々クラス単位でいいと思っている我がクラス、腰は最初から引けている。それでも毎回2桁の同級生が参加している。動員数はかろうじてセーフ。ところがあるクラスが冒頭、「うちのクラス今回はパスします」と宣言した◇慌てたのは事務局、「何も北朝鮮のように独善発言しなくとも」と。聞いていて、「パス」組みの心情が痛いほど良く分かる。「全体はどうも」という人、その逆の人も。何百人もいればなおさら。牽引力となっているリーダーは皆心身ともに元気。「生き甲斐」すら感じているようだ。とても先が短いなんて見えない。同窓会も事情のある人々にとってはある一面残酷な催しに変わる。

(1月26日号掲載)

◇人事院が平成17年8月15日現在で調査した「民間から国への職員の受け入れ状況」結果が17日、公表された。それによると受入者総数は839人となり、前年に比べて159人増えた。この数字が多いか少ないかは見解が分かれる◇民間から国への人材の確保状況を把握するとともに、民間企業から国への職員の受け入れの透明性を確保することが目的の調査だが、一定期間国家公務員として勤務する身分はさることながら官と民の人事交流には意味がる◇専門性の高い民間人の登用、弁護士・公認会計士や大学教授からの受入は、経済産業省の241人をトップに、内閣官房108人、外務省102人、金融庁92人、内閣府80人、財務省48人、国土交通省48人と続く◇警察庁、防衛庁のゼロは分からないわけではないが、宮内庁のゼロは国民へ開かれた皇室というイメージからすれば、まだまだ旧態の特別な役所。国民との乖離(かいり)を役所自ら黙認しているかのようだ。大学教授等28人のうち13人を厚生労働省が受け入れている。「医療」、「福祉」、「年金」と省庁が抱えるテーマも大きいからか。

(1月23日号掲載)

◇明日は二十四節気の一つ「大寒」。まもなく暦の上では春になる。屋根からの雪で友人が背骨を折った。6カ月の重傷だ。命には別状はなかったが、今後の日常生活に不安が残る。雪によるこれほどの死者や負傷者、記憶にない◇元気に道路や駐車場の雪掻きをしていた人が気分悪くなり、そのまま亡くなった人もいる。重い雪の除雪は心臓に負担がかかる。出勤前の家での雪掻きに加え会社に行ってからもう一度、これは高齢者ばかりではなく若い人にとっても油断は出来ない◇寒行、寒中稽古、寒さの中での諸行事をこなすには、心身の鍛錬もそうだが思わぬ落とし穴がないとも言えない。落とし穴ではないがスーパーでの買い物時、きれいに除雪されたアスファルト目掛けて何度も木の実のようなものを空中から叩き落す寒鴉(かんあ)を目にした◇身を翻すように地上10数メートルほど上昇したかと思うと、硬いものを空中から落として割っていた。それを何処で見ていたのか、別の一羽が目ざとく脇から掠め取って行った。周りの白い雪に濡れ羽色のカラスの鳥集が鬼気迫る動きに見えた。

(1月19日号掲載)

◇「戌(いぬ)年」の今年、愛犬家にまつわる話は今に尽きない。小学校のとき学校の図書館から借りた『南総里見八犬伝』を夢中で読んだことがある。この正月に放映された同名テレビ番組を二日続けて見た◇日本で最初に原稿料だけで生活が出来たといわれる小説家曲亭馬琴(本名滝沢馬琴)の作。世は乱世足利の末から戦国時代はじめにかけてのこと、安房(千葉県)の里見家を主軸に繰り広げられる「八犬士」の活躍する伝奇物語だ◇仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字が浮きでる八つの霊玉。東千代之介演ずる犬塚信乃、中村(萬屋)錦之助演ずる犬飼現八の東映時代劇黄金時のシリーズも完結まで見た。「犬」は単なる主人の番犬でも猟犬でも鷹犬でもなく、パートナーとしての力を備えている◇戌の年に物語の甲斐犬「八房」のように、人間にすら果たせなかった戦時の国難に敵将の首を取り救済、主君義実との約束でもある「伏姫」をわが妻にとの希望を果たす。史実とフィクションが織り交ざるドラマ展開は馬琴が28年間も要して完成させたという。どこぞの「ポチ」、属国「犬」と蔑まれぬ誇らしい「戌の年」でありたいと思う。

(1月16日号掲載)

◇子や孫に借金を残さない。誰もが思うことだ。ならもっと以前に手を打つべきではなかったのか。政府はあぶくのように国民そっちのけで国会議員を先頭に金権腐敗のとんでもない政(まつりごと)を繰り広げてきた。住みにくい・生きにくい・希望が持てない・誇りが持てない◇そんな国に誰がしたかだ。福祉社会の到来を教科書でも教え「揺り篭から墓場まで」などとその気にさせられ、そう信じて、きっと良いことが先にあるだろう、と皆で歩んできた◇何時から自分の身は自分で守ること―と身構え、当てに出来ない世である、と教科書にさえ出てこない教えがまかり通るようになったのか。企業エゴは弱肉強食のむき出しの営利主義で善悪など何処吹く風、ただ需要・消費者の欲望と思いを刺激し、「売った買った」、「損した得した」の単純な二極往復の繰り返し◇その結果が膨大な赤字か。「甘えの構造」がもどかしい。「甘え」は「つきはなされてしまうことを否定し、接近欲求を含み、分離する感情を別のよりよい方法で解決しようとすること」(「甘え」の構造)という。眩しく虚ろな金権の空―。

(12月22日号掲載)

◇規制論議が活発だ。しかし、負担軽減の方向とは逆の論議がほとんどであるだけに、先行きが思いやられる。消費税については、増税止む無しの雰囲気作りが進められ、庶民も諦めムードが漂う。道路特定財源の一般財源化についても、首相が国交所に指示する一方、自民党道路調査会長の首を替え外堀を埋めつつある。◇税を負担するのは国民として当然ではあるが、大多数が納得できるものでなければならない。まずは歳出を徹底的に見直し、削れるとろこを削り、責任の所在をはっきりさせた上で負担を求めるのが筋であるものの、最初の増税ありきの議論では、到底納得できるものではない◇道路特定財源の一般財源化は財務省の長年の彼岸。浮かんでは消えてを繰り返してきたが、首相の国交省への支持、自民党道路調査会長の交替など、官邸を味方に今回は押し気味だ◇道路整備が終わったとは決して言えない状況下、無理を承知のごり押しを通してはいけない。交通手段を自動車に頼らざるを得ない本県は特に、〈一般税源化断固反対〉の意思を示すべきだ。

(12月19日号掲載)

◇小泉内閣が推し進める改革の一つに、「官から民へ」という柱がある。昨年8月、政府の規制改革・民間会報推進会議が「市場化テスト」の18年度からの本格導入を提言し、今年度からはローワーク関連など3分野8事業をモデル事業として選定、試行を開始した◇市場化テストは、「官民競争入札」とも呼ばれ、様々な公共サービスについて官と民がコスト及びサービスの品質両面で競い、優れた方が落札する仕組み。民間との競争により、コストや人員削減はじめ、自治体職員の意識改革につながるものと期待されている◇民間にとっては新たなビジネスチャンスが生まれる一方、官側にとっては死活問題。民へ事業が移った場合、職員の処遇という大きな問題が発生する。導入に対して「はいどうぞ」とはいかないものと見られている◇官の仕事を奪いかねない行革手法だけに、官の抵抗は相当強いものが予想されている。官の抵抗を受けず、官と民が対等に競争できる仕組みが整えられるのか。これからが正念場。

(12月15日号掲載)

◇生涯勝敗785勝764敗(これは誇らしいこと)。幕内戦歴608勝657敗84休、怪我に耐えながら幕内在籍の記録保持者になった。元関脇琴ノ若(尾花沢市出身)が九州場所を勤め上げ現役を退いた。郷土の生んだお相撲さんにまず「お疲れ様」と言いたい◇国技大相撲衰退の兆しのなか、隆盛を誇る佐渡ヶ嶽部屋の文字通り総師、親方として今後は後進の指導に。心根優しい琴の若というお相撲さんは、目線を長い相撲人生という、今一つの「土俵」に粘り強い生き方を示してくれた◇現役勝利のときの打ち上げ花火の音が懐かしい。代って部屋頭大関琴欧州の勝利時に再び聞こえるのか、それはわからない。「郷土出身力士を育てたい」と新親方は意欲的だ。テレビで初めて親方夫人と息子さんを見た◇お父さんのようにお相撲さんになりたいという。大相撲を日本の文化と明確に協会は謳っている。確かに長い歴史を有している。江戸時代になってはじめて土俵が現われた。それも四角、円になったのは17世紀末の元禄時代だという。囲いの圓が円形の様式美に。

(12月12日号掲載)

◇何故このようにいたいけない子供たちが怖い目にあわされ、生命まで奪われてしまうのか。鬼畜生にも劣る狂気人間が潜んでいる今の世の荒みよう。肉体的に力の弱い者に向けられる暴力や殺意をニュースは追う。連鎖反応のように新たな事件が発生する◇広島市安芸区の女児殺害、栃木県今市市の女児殺害と目にあまる凶悪犯罪があとを断たない。人の残虐性は形を変えて人の数だけ潜んでいるのだろうか。計り知れない心の闇(やみ)が恐ろしい◇トンボの羽をむしり、ハエを潰して顕微鏡で眺め、幼い子の頬っぺたをつねって、吾にかえる。そこは異常と正常の心が行き来する交差の空間。そんな意識と経験を意外と多くの人が持っている。人はどの様な生い立ちと環境にあったのか◇幼い者たちへの歪んだ性衝動。〈性〉と〈倫理〉と〈犯罪〉は人類のはじめより、解けぬ糸のように絡まって人間にまとわりつく。ネット社会の虚の空間に現実の寒々としたアナログな社会が渾然と同化していく。空恐ろしい人の呻き声と、救いを求めている声が地を覆う。闇が淵の表―。

(12月8日号掲載)

◇身近な資格に自動車運転免許がある。資格マニアと呼ばれる人もいる。取れるだけの資格を取ってしまうという、何とも異彩の趣味人も中にはいる。車のハンドルを握った途端、人格が変わる人も。気短になり自身を正当化してしまう◇「免許」はその目的の内容にふさわしい人だけに与えられるべきもの。「士」や「師」が付く有能資格者も、ときにその本来の目的から反れた結果をもたらす。今世間を騒がせている耐震強度の偽装問題はことの他ユーザーにとっては見えないところ。「性善説」云々は通じない◇いわゆる「手抜き」であってはならぬこと、してはならぬこと、見過ごしてもならぬこと。そう考え受け止めると、専門性の高い内容の資格であればあるほど、社会的・道義的責任は免れない◇「構造」という建築の覆われる部分が人為によって覆われてしまうことの恐怖。まさに臭いものには蓋(ふた)となってしまう。制度上チェック機能の構造的問題が明らかにされようとしている。仮に震度5以上の地震が発生しても崩れないという問題ではない。

(12月5日号掲載)

◇過去のカレンダーを見ると12月はのっけから不穏な事柄で始まっていた。1941年12月1日、御前会議で対米開戦決定。8日に太平洋戦争突入。43年12月1日、第1回学徒兵入営と日本は最悪の道を歩み始めていた◇12月は日米が相敵対して戦いはじめた月。それが今や「米国」なくして日本は存立しないとまで言われる気味の悪い親密さ。米国の防波堤としてますます日本が位置する構図が明確になってきた。「安保」の際どい恩恵の中、その「体制」に一見綻びは見えない◇しかし眠れる獅子中国が目覚め、肥大化する大陸力としての力を米国は見逃すはずがない。それを不安として隠すこともしない。東シナ海を含む東アジア全般、その海洋全般にわたり、きな臭い情報収集の動きはエスカレートするばかりだ◇一連の米軍再編問題の動きは、「日本」を抜きにしては考えられない深い絆としながら、究極のところ、こちら「捨て石」になりかねない危ういところで地球的規模の「力」の論理の行使に組み入れられていく。米中の覇権と日本の事大主義が見える月だ。

(12月1日号掲載)

◇「感謝」の心が足りない、とよくこの歳になっても咎(とが)められる。「勤労感謝の日」の23日、何事もなく休日を過ごした。戦前の「新嘗祭」に当たるこの祝日、皇居では天皇が新米を天地の神に供え、自らもこれを食する祭事という(岩波国国語辞典)◇アメリカの「感謝祭」も何故か11月。イギリスから移住してきた人々が先住民族のインディアンからトウモロコシやジャガイモ、カボチャなど土地に合った栽培方法を教えてもらったことと、入植時苦労した先祖や神への感謝の祭りとも◇しかし先住民族への感謝があまり伝わってこない。祭りは伝統と形式によって後世に長く引き継がれていくにしても、はじめの精神を忘れがちになる傲慢(ごうまん)で弱い人間は、感謝よりも先に不満が出てしまう◇今をおだやかな気持ちで謙虚に感謝できること、そういう世界の到来を心から祈り切れる人は多くない。後進国の多くの人が食べるものにも事欠く有様、先進国でも失職や雇用の受け皿が手薄、そのことを知ることもせず、知らされもせず過ぎている。五穀・五福は夢か−。

(11月24・28日合併号掲載)


◇ウィルスなど病原微生物によって空気伝染する飛沫感染は、物に触れて感染するのと違い〈触覚感〉がない。仮に触れなくとも小鳥を家の中で飼っている人の家を訪ねたとしよう。鳥篭を見た瞬間、脳裏に何か危険信号のようなものを感じてしまわないものだろうか◇同様に養鶏所など家禽(かきん)施設のそば近くを通らなければならないときなど、出来るだけ素早く通り抜けたい思いにはならないだろうか。そういう不安が押し寄せて来ている。「鳥インフルエンザ」の襲来◇不安をかき立てるつもりは毛頭ないが、安穏としてはいられない。ヨーロッパに比べるとワクチンの「タミフル」の確保が遅れているという。とりわけ東北が。県は直接国に交渉するとしている。想像を超えてその猛威が心配されている◇首を絞められるような「フィーッ、フィーッ」とヒヨドリが会社の窓際で鳴き騒ぐ元々がそういう声だとしても鳥が怖くなる。空飛ぶ鳥にすら夢を見ることの出来ない時代になってしまったのか。ヒッチコックの「鳥」とカザルスの希求する「鳥」が混然と黙示する歯車の狂いのようなもの―。

(11月21日号掲載)


◇皇統譜(こうとうふ)、これは皇室の日本人一般の戸籍に当たるものといわれる。この皇謄譜から15日、紀宮さまが皇籍を離れ黒田家の人となられた。お雛様がそのままシルクのドレスに身を包まれたように見えた◇式場の写真も放映された。神前式の誰もが経験できる空間のように見え、一般の人と変わらない婚儀が行なわれたとの実感を国民はもった。人はその人にふさわしい伴侶にめぐり合い、寄り添い、人生を共にするのだろう◇新たな戸籍はわれわれ庶民と変わらない。明治の少し前までは降嫁と呼ばれた。しかも嫁ぎ先はお公家様や殿様。黒田清子さんとなられた紀宮さまは黒田慶樹氏と共に新たな戸籍に◇朝廷の力が強まり、大化の改新後(670年)につくられた古代の戸籍、庚午年籍(こうごねんじゃく)から時を経て明治4年制定の日本の戸籍制度に。この戸籍事務も電算化により、コンピューターで管理する自治体が徐々に増えているという。若い記者が黒田氏の系図をホームページからコピーして持って来てくれた。それより実に慎ましい披露宴の模様であった―。

(11月17日号掲載)


◇向こう三軒両隣から何かと頂き物に預かる機会が多かった。市民農園や自宅の庭で栽培したナスやキュウリなどの野菜だ。広い庭というわけでもないのに、上手に栽培し育て上げたものばかり。感心してしまう。こちら狭い庭木の冬支度の思い。全てが庭木では味気ない◇いっそ畑に変えてしまいたい気にさえなる。年寄りの世界を無視することも出来ない。その狭い庭の隅に、植えた記憶もない紫蘇(しそ)の葉が自生した。この狭い空間に姿を現してくれた。シソ大好き人間にとってはあり難い◇山の紅葉が今ひとつの今年、しかし市街地の畑作物の収穫は悪くなかったようだ。なぜか来年の「収穫祭」に早々と予約招待までされた。そんな中で、真っ赤な唐辛子を食いきれないほどもらった◇辛さに目を白黒はしたが、醤油とラー油に漬け込むようにして日を重ねると、適度に辛さが溶け込んで美味となった。贅沢を言わなければ楚々とした豊かな食材に恵まれる。無駄な飽食の時代はもう過ぎた。都会の巷(ちまた)に捨てられる塵芥。まだ孔雀の羽根を口に入れるというのだろうか―。

(11月14日号掲載)

◇「個人情報保護法」が平成15年5月に成立・交付され、17年4月1日より全面施行された。個人の人権に係る護られるべきものと社会に係る重要な局面での齟齬(そご)・くい違い、その取り扱いの困難が一方で進行しているという◇例えば病院通いをしている人が事故に遭ったり、起したりしたとき、公的機関が書類作成しなければならないときなど、以前のようには簡単に病院側からの協力が得られなくなっているという◇このこと自体「法」が効いているということではあろう。関係者にとって作業の難易度が一段と増したということでもある。ある小学校の社会課授業で「家の宗教、お寺さんの宗派は何ですか」と児童に質問したとしてPTAで問題になったという事例もある◇また、会社の面接試験で「あなたの血液型は何型」の質問が今では問題視される状況。「血液型」が差別につながるというわけだ。昨年、テレビで血液型について放映された。その中で、「マイペースなB型と、それに振り回されるA型。つかみ所が無いと言われるAB型。そして、大雑把と言われがちなO型」、とやはりこれは問題になる類型かもしれない。

(11月10日号掲載)

◇化学の好きな女の子が小動物を飼育し、猫と母親に毒を盛った。成績優秀な女子高校生が年若くして毒婦に転じたのは何故か。犯罪心理学者の一人は、家庭での母親の存在が、女性徒からみて中性的としか映らなかったためではないかという◇「中性的存在の母親」の意味がどうしてもわからないまま、こちら存在が酸性でもアルカリ性でもない存在、それが母親だったのかと思い、無味無臭のタリウムを母親に摂取させていたのかとさえ。そして観察の対象に選び、冷酷に少女はその記録まで残す◇なぜ踏み越えてはならない異常な世界にのめり込んで行ってしまったのか。狂気が渦巻いているとしか言いようがない。「薬はお薬屋さんに」などと風邪薬すら幼い子とは一緒に行くのも憚れるようだ。今ではスーパーに隣接するように「ドラッグ」のチェーン店も◇何とドラッグは中学生にもすでにはびこっている、と「夜回り先生」の名で知られる水谷修氏の危惧は想像以上の実態。少年少女たちの病み疲れは地方へも広がっている。毒消しも薬、薬も毒。無味無臭の怖さタリウムも。

(11月7日号掲載)

◇第3次小泉内閣が発足した。後世この「平成の改革」が成功だったと歴史的に評価されるための布陣であると国民は託して信じるしかない。「改革なくして成功なし」としても、時制から今の段階で将来の判断はできない。予測や想定すら変幻万化の時代、一層困難なことだ◇そのなかでの改革である。改革には「痛み」が伴うとわれわれは何度も耳にした。すでに伴ってもいる。もちろん予定通りに成功するとは限らない。国の赤字財改解消への努力と経済の回復、少子高齢化社会が抱える矛盾層の深まり◇船出した船は先行き船長が変わったとしても目的のところまで行かなくてはならない。左舷、右舷のシャジならぬ操舵加減一つで、先の距離が長ければ狂いも大きくなる。改革は世の動きと不可分に進められるわけであろうから、誤謬は許されまい◇行財政・外交にまとわりついている病根課題を乗り越え小さな政府・骨太の骨格に仕上げるという。「島国」日本が島国根性よろしく自ら八方塞がりになることはないように。海上広しといえど封鎖されればそれまでだ。面舵いっぱいにならぬよう。

(11月3日号掲載)

◇数年間隔で歯科医院に通わざるを得なくなった。歯と歯肉の間に細い測定針のようなものが次から次と入れられた。奥歯の2本が歯周病という。歯と歯肉の間の溝(何でもポケットというらしい)に「先から7ミリすっぽりと入りました」と言われた◇重度の歯周病である。1から3ミリまではまだ歯肉炎で〈病〉の文字はつかない。それ以上の段階になると紛れもない歯科2大疾患の一つになる。耳元では「遠心側、近心側、舌側」など測定値を確認する衛生士の声、丁寧だが針が当たる個所によっては痛みが鋭く走る◇まな板の鯉と思っていると、ドクターが「加齢により歯と歯の間の隙間は防ぎようがない」と追い討ち。内心「それなら先生、加齢臭はどうですか」と聴きたかったが、ジャンルが違うだろうから、こればかりは気恥ずかしくてさすがに押さえた◇最近、東北のある歯科医師が治療で歯を削る時の不快な音の解消に成功したという。発生する震音波形にコンピューターで操作、同じ波形を反対方向から逆にぶっつけて消波し治療の軽減に当たるという。医療技術前進―。
(10月31日号掲載)

◇山寺芭蕉記念館から一寸奥まった馬形の集落をすぎ、二口林道手前の少し広まった道路に差しかかったとき、犬か猫のようなものが道の真ん中に横たわっていた。てっきり車にでもはねられたものとばかり見えた◇それが20bぐらいまで近づくと、急に二本足で起き上がった。一頭の雄猿だった。日光猿軍団の役者猿のように両手を胸元に縮め、キョロキョロあたりを眺め回した。こちらの車の様子をじっと見据える。その間数秒◇あわてて逃げる様子もない。とっさに「これはカメラだ」と思い、携帯を取り出した。するとその雄猿、ガードレールにゆっくり近づいて行き、その上に座った。そればかりではない。姿勢を変えると今度は両足でたちあがるサービスまでしてくれる◇こんな人里近くで猿に、さほど車を恐れる様子もない。後にも先にも雄ザル一頭、仲間の姿も見えない。孤立無縁の離れ猿、はぐれ猿か。風貌にいくらか疲れ荒みが見え、ボス猿の威厳も感じられない。寄り添う家族はいないのか。最後まで仲間を守っていたのかどうかは分からない−。
(10月27日号掲載)

◇19日の夜に茨城県に住んでいる同級生に電話をした。その最中、受話器の向こうから「あっ、地震だ―」の声。「ガタ、ガタ」と物が揺れる音も聞こえてきた。数秒後、今度はこちら山形の方が揺れはじめた。受話器を一端置いた◇五分後、「大丈夫だったよ」と折り返しの電話。テレビで震度5弱のテロップが流れた。地震波が電話線を伝って山形まで届いたような妙にリアルな錯覚。村山地方は震度3、そのとき思わず「こっちにも来た―」と叫ぶ◇山岳地帯のパキスタンの地震は悲惨である。400万人以上の地震難民という。せめて食料や毛布・テントがいきわたって欲しい。自衛隊の小型ヘリが小回り効く救助活動を行なっている。可能な限り多く行って救助して欲しい◇目まぐるしく変わる地球号。地殻そのものが変動する恐ろしさ。天変地異、人の世も。世界への目配りも内と外とでは容易でないのはわかる。小泉さんは良くやっている―の声も。前回、その小泉さんと石原都知事が慶応の同窓と誤記してしまった。お叱りを受けた。祈願、安心と安全の人の世に―。
(10月24日号掲載)

◇鎮魂靖国に戦友・独立守備隊の歌・抜刀隊の歌・皇軍大捷の歌・紀元二千六百年・紀元二千六百年頌歌・道は六百八十里・皇国の母・婦人従軍歌・凱旋・北満だより・南京みやげ・北京だより・上海だより・愛行馬・歩兵の本領など、昔歌われた軍歌が再び響きわたるのか◇千鳥が淵ではなく靖国の秋の大祭礼に照準を併せるように小泉総理は一直線に拝殿に向かって歩いて行った。公約だからとある人はいい、憲法違反とある人はいう◇神宮の森に二度と軍靴の音がないようにと小泉さんは詣でたのだろう。刺激的である。渾身(こんしん)のパフォーマンスという人もいる。平常心という人もいる。石原都知事は「結構なことでないですか」という◇挑発という言葉がある。一国の総理の言動が外の人には挑発と受け止められることを承知しながら。それでも構わない、行かなくては、傘も差さず―。涼しげに鎮魂の社殿に向かう。公人必ずしも公益に結びつくとは限らないのがよくわかる。このたびの参詣では、ささくれ外交に拍車をかけた。
(10月20日号掲載)

◇入札・契約制度がまたまた変わる。国土交通省が入札談合再発防止対策の一環として一般競争入札及び総合評価方式の拡大を打ち出した。また、品確法の施行に伴い総合評価方式案件はさらに増加する気配。同法により、地方公共団体も今後、入札契約制度を改正せざるを得ない状況にある◇品確法は、価格と品質が総合的に優れた内容の契約とするよう、公共工事を発注する全ての発注機関に求める法律。罰則規定がないほか、地方分権の流れの中で、地方公共団体がどの程度対応するのか疑問は残るものの、各県レベルでは法に沿った入札契約制度を探るものと見られている◇価格競争はシンプルなだけにわかりやすいものの、ダンピング等の弊害も生まれる。しかし、〈価格競争+技術力評価=総合的に優れた契約〉となるのだろうか。各企業も研究し、技術力評価項目で差が出なくなる事態も想定される◇これまでも業界は、提出書類の多さに閉口気味。総合評価方式は、さらに輪をかけることとなる。この面倒くささが品確法の陰の主旨なのかもしれない。いやなら公共工事の入札に参加しなければよいのだから。
(10月17日号掲載)

◇「体育の日」の連休は、まさに県内が催物で目白押しだった。土曜日の午後は生憎の天気、それでも友人一家などは家族挙げて庄内の方に泊りがけで出かけて行った。県芸術祭期間中、あちこちの会場に出かけて行くという◇「半分仕事だから」と本人は言う。半分であれ仕事となれば大変なことだ。こちらは会社で日直当番、しかし午前中だけ勤めて午後からは遠方からの客人を七日町まで案内した。「ほっとなる広場」では各国の民族衣装に身を包んだ出番待ちの出演者たちが◇雨に打たれながら無心に神楽を舞い踊る少年たち。その一生懸命な演舞に「そうだ―、いい調子―」と心の中で声援を送った。力強い太鼓の音が腹の底まで響いてきた。広場の周辺にはボランティアの人々が文字通りそれぞれの持ち場で奮闘◇何日も前から準備し臨んだ当日のはず。進んでいる国は自分の家を誇るより、まず自分の住んでいる街を誇るという。身内の垣根を取り払い、他者を迎え入れる自信の醸成は未来に希望をつなぐ。未来に希望がつながれば住む所が一層心地よくなる。
(10月10・13日合併号掲載)

◇西暦2020年には世界人口の3分の2がムスリム(イスラム教徒)になるとの見積もりも―、という宮田律静岡県立大学助教授は、『中東迷走の百年史』(新潮新書)のなかで、「世界で最もムスリムが多い国は東南アジアのインドネシアである」と述べている。その数およそ2億人◇インドネシア総人口のおよそ90%がムスリムだ。バリ島は少数のヒンドゥー教徒の島。テロはそこで起こった。2002年の惨事に続く2度目の出来事だ。日本からも近年観光客が多く訪れており、小紙の姉妹会社(『建設福島』)も最初の事件の一年前に社員研修旅行で出かけた◇思えばぞっとする。東南アジアのイスラム過激派ジェマ・イスラミア(JI)による犯行との見方だが、平和な島を反米の思いに駆られるテロ集団が、この島を彼らのかっこうのアピール場所に変えた。自爆テロによる抗議の先に見えるものは◇それにしても洋の東西南北、左手に経典・信仰・イデオロギー、右手に銃・刃・TNT火薬とは時代の何が一般市民をも巻き込むテロとなっているのか。世界の矛盾、差別・格差拡大の生き地獄の原因は。
(10月6日号掲載)

◇携帯電話によるテレビ電話をはじめて職員と交わした。こちらが機械音痴でもやれば出来る、と少し自信を持ちたかったが、操作をすぐに忘れてしまう。忘れてしまうほど機能満載の〈道具〉を活かす術(すべ)を知らない◇PCの達人もいれば携帯電話の達人も増えている。若い人に負けられない、などと気負ことも無いが、使いこなせない無力感は残る。情報通信技術が仕事や日常生活で簡便に使用されるのは、それができる人にとってはこの上ない重宝な道具◇先日、大正琴を学んでいる人たちの合同発表会があった。観覧に誘われた母親とその友人二人を送り迎えしたのはいいのだが、そのときも携帯悲喜劇。せっかく持参したはずのA夫人、電池切れで使えなかったことがあとで分かった。そのうえ二人とも小銭を持って行かなかった◇公衆電話からの連絡も来ない。迎え時の約束場所にもいない。80歳超のご婦人達よ―、街中をどのように歩いていたのだろう。こちら焦りながらじっと待った。Aさん曰く、「家族3人の番号からしかかからない」と。最初から通じなかったのである―。
(10月3日号掲載)

◇ナチスに嫌悪感を持ったドイツの牧師マルチン・ニーメーラーという人が「共産党が弾圧された/私は党員でないから黙っていた/社会党が迫害された/私は党員でないからじっとしていた/学校が、図書館が、労働組合が弾圧された/やはり私はじっとしていた/教会が迫害された/私は牧師だから行動に立ち上がったがそのときはもう遅すぎた」◇小学校の恩師は「そんな状況が二度と来ないようにするためには付和雷同するような生き方はしないことだ」と。カトリック教徒の立派な女の先生だった。中学校の恩師の家を訪ねたときには、奥の部屋から何やら大事に手に持ってきた。日本刀で首を刎(は)ねられている中国人が写っている写真だった。家では特務機関員だった義父が中国人に成りすまし、懐にモーゼル銃と匕首(あいくち)をしのばせ、中国・ロシアの動勢を探っていたと◇その子の実父は比国北フェルナンド北方約37マイルの地点で斬り込隊にて戦死。あっけない29歳。高校の恩師は戦争を肯定するような生き方だけはするな―と。強権・覇権より民権・人権。隣国ともに仲良くと。
(9月29日号掲載)

◇れっきとした自民党支持者の某社長が座るなり「日本人は何時からこんなにバカになったのかね」という。選挙結果とその後の小泉首相支持率アップに不快感をあらわにする。言わなければ良いものを、こちらつい調子合わせて「中学校で生徒会長を選ぶときよりレベルが低い」と滑らした◇夕方、家に帰ると電話が鳴った。彼岸で墓参りに来るという叔母からだった。「何これ、どういう現象?新聞社なら分かるでしょう」。アンチ小泉なのである。「そんなこと聞かれても―。それが今の世のすべて」と逃げた。気まぐれ選挙人、気まぐれに選挙に行った結果とばかりは言えない◇改善でなく「改革」、その改革がスタートしてから庶民には「改悪」ばかりが目立った。若い人に聞いたら「そんなもんですよ」といかにもクールだ。クールというよりしらけた受け止め方。なるほどそれほど熱くなるほどのことでもないのか◇政治は一寸先が闇と昔から言われているではないか。「自民党不滅」は「巨人軍不滅」と同義でこれ以上の日本人的感性はない。それと同じ感覚で虎には見えない若い民主党の前原新代表が一方に。なんだか頼りない◇出雲のお国がやってきそうだ。われら庶民は歌舞音曲が大好き。山形では阿波踊りの一行がすずらん街をねり回ったとか。お祭り盛ん、踊る阿呆にみる阿呆・・・。損なら踊らにゃ。でも踊らされないように―。
(9月22・26日合併号掲載)

◇総務省の人口推計月報(17年8月1日現在の概算値)日本の総人口は1億2760万人。うち65歳以上の高齢者は2547万人と総人口に占める率が20・0%になっている。今年は4年に1度行われる「国勢調査」の年、少子高齢化現象に歯止めがかかる様子もいまのところはない◇「敬老の日」、全国に元気なお年寄りが大勢いることは喜ばしい。歳を上手に重ねられることそれ自体幸いなことだ。しかし病を抱えて寝たきりの高齢者が3カ月ごとに病院や施設をたらい回しにされている現実も一方にある◇最早、社会の矛盾は足元まできている。老いと病の問題は今に始まったことではないが、隣近所が年寄りばかりでは薄ら寒くもなる。そうでない地域やそれぞれの家でありたい―。そう思っても肩身の狭い老人天国となってしまう危惧はある。国の勢いがこの辺で削がれる◇若者の健全な自立のため社会経済環境の整備は欠かせない。彼らが結婚し子供を産み育てやすい国に変えていかなければ「敬老の日」がお題目だけの味気ない日になってしまう。高齢化社会の少子化対策は相互に不可分のはず。改革の施策は国民に夢と希望がみえるものであって欲しい。
(9月19日号掲載)

◇自民党の大勝である。行・財政改革の突破口として郵政改革一本に絞り、まるで幕末の志士のように首相は選挙前に「殺されてもいい」との台詞を吐いた。「これほどまで」と、まず国民は一番に総理の信念が本気であることを知らされた◇これが分かりやすさの第一点ではないはずだが、聞く者の耳に響く早いテンポの言葉が次から次へと飛び込んできた。ところが「投票に行かずに民主主義を放棄する若者、一番損をしているのは自分自身なのに―」。こういうのは評論家の大前研一氏。その彼が続ける。「これまでの選挙では、25歳の投票率は25%、つまり4人に1人しか投票していない」と◇そして、「彼らは自分達が一番損をしているという単純な事実を知らない」と。「これでは政治家が若者に有利な政策を打ち出すはずがない。そうしたところでペイしないからだ―」と言い切る◇劇場型選挙といえば確かにそうだ。その方が人の目を惹き付ける。今回の衆議院解散から選挙投票日までの一連の選挙戦を総合演出した人は誰なのだろう◇もちろん世界の蜷川幸雄氏ではなさそうだ。なら宮本亜門か野田秀樹か、いやいやそうではない。劇団四季ならどうか。浅利慶太氏かもしれない。若者から年配まで動員できるノウハウがある―。これも憶測。本当の所は総理自身とも―。?―。
(9月15日号掲載)

◇人間の思考プロセスや思考パターンをコンピューター概念としてとらえる「認知心理学」がいまビジネス界で活用されている。それとは別に、一口に自己認識過程や経緯の形を足もとから始めたとして、また、遥か彼方宇宙の世界にまで及ぶ人間の思考として、有限と無限の間を行き来するとしたら、まさに小宇宙のそれは人間そのものを象徴し暗示する◇「2005年宇宙航空技術がもたらす理想社会」と宇宙航空研究開発機構は標榜している。宇宙産業を将来の日本の基幹産業へ―と。これはSFの世界ではない。現実に科学者・技術者を動員して取組んでいる事業だ◇自然災害や地球環境問題に活かされるという単純なものばかりではなさそうだ。認知心理学で「ガリレオ・ガリレイはそれでも地球は回っていた」と発言する政治家を科学的にどう分析するか◇宇宙での軌道間輸送や有人宇宙活動がそのまま産業に?ソクラテスの叡智は自らの知らなさを知ることにあった。しかし宇宙での開発が軍需戦略をも内含する謎の空間ならば賢者はさらに毒杯を仰ぎ続けるのだろうか―。
(9月12日号掲載)

◇アメリカのニューオリンズでのハリケーンによる死者、行方不明者の数が未だもってはっきりとは掌握されていない。犠牲者は車も所有していない貧困な黒人層が多く住んでいる地域の人々とも。確かにルイジアナ州にはかつて奴隷としてアフリカから連れて来られた彼らの先祖が眠っている◇60年代にジョーン・バエズがベトナム反戦歌とともに「朝日のあたる家」を唄った。公民権運動の指導者キング牧師の暗殺の記憶も消えることはない◇遠く南北戦争時にさかのぼる南部の古い人種差別の歴史は、そのまま黒人霊歌を取り入れてのジャズとなってその彼らの魂が世界に広がった。人種のるつぼアメリカ合衆国が今に抱える自由と人権の大道に寄り添い隠れるようにミシシッピーの川面よりも低い街が形成された◇自然の猛威は容赦なくこの低い地を狙い撃ちして去った。これは気象学でいう「大西洋、カリブ海、メキシコ湾方面で発生する暴風を伴った熱帯低気圧」(マイペディア)との説明で納得とばかりは言えそうにない。事前の備えに直後の「人家給足」の手だても―。
(9月8日号掲載)

◇甑岳(こしきだけ)の頂上から村山市内を一望したことがある。偉人最上徳内はこの山の頂きで青雲の志を胸に刻んで江戸に向かったという。今日がその徳内翁の命日。村山市は「最上徳内生誕250年、むらやま徳内まつり」を終えたばかり。その余韻の中という人も◇翁の偉業を記念して「地理学・天文学・探検・探査・国際交流活動・徳内に係る活動分野において業績が顕著な者」に贈られる「最上徳内賞」も設けられている。探検家はそのベースに学問的蓄積が求められた◇幕府の命により蝦夷(エゾ)と呼ばれた北海道を検分すること9回にも及んだという。それも択捉、国後の諸島を。ロシアの南下政策に幕府も戦々恐々としていた。その北方での検分である。いまは4島をめぐる未解決の問題となっておりさぞ無念の思いはあろう◇その徳内記念館にはアイヌの館が併設して建っている。海一つ隔てたこちら内地(ないち)にも諸所にアイヌ語に由来する地名も。また動植物の名にも。ビッキはカエル、美味しいニシンも。秋刀魚の季節に―。
(9月5日号掲載)

◇「立秋」になった途端庭でこおろぎが鳴いた。「虫は鈴虫、ひぐらし、蝶、きりぎりす、はたおり、われから、ひを虫、蛍」と清少納言は『枕草子』に記す(第41段)。誰かもコラムで書いていた◇確かに「蓑(みの)虫、いとあわれなり」。この季節に時空を超えてみよう。「風の音を聞き知りて、八月(はづき)ばかりになれば、ちちよ、ちちよとはかなげに鳴く、いみじうあはれなり」と◇「鬼の生みたりければ、親に似て、これも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて、今、秋風吹かむとする。待てよと言ひ置きて逃げて去(い)にけるも知らず」◇鬼が生んだ子にみすぼらしい着物を着せて置いていった。けれどわが子可愛さには違いない。「待っていなさい秋風が吹くまで」というその親の行方も知らず、子は「ちちよ、ちちよ」と心細く鳴く◇母親の亡骸(なきがら)に寄り添いその母の乳房を吸い続けている乳呑児が今もこの21世紀の地球のどこかにいる。こういう悲しい現実がある人間社会。「いみじゅうあわれなり」本当にかわいそうだと清少納言は虫にも思う。
(9月1日号掲載)

◇韓国のテレビ番組で話題になった『チャングムの誓い』のドラマ展開がなかなか面白かった。12月に再び物語の後半部をまとめて衛星放送で放映予定という◇さしずめ日本でいえば時代劇の大奥物か。しかし時代や宮廷と幕府の違いもあるわけだから一緒くたには出来ない。日本の単に着飾ったお局・お女中・腰元が出てくる類いのドラマではないことだけは確か◇いま、韓国料理が一つのブーム。この番組の影響もあるようだ。レシピまであってチョゴリを着ての即席料理番組まである。最近、上山市に普通の住宅をそのままに韓国料理店にしている前を通った。どのようなものを食べさせてくれるのか興味を持った◇テレビでは多くの食材がわんさと登場し、料理に無頓着な者にもその取り合わせとセリフに込めた意味づけが適宜で簡潔だ。これが一つの魅力。鉈(なた)のような包丁も日本人には珍しい。はては漢方にいたるまで宮廷料理人(女官)チャングムは医女になる。〈台所〉での女官たちの腕の見せ所や善悪の役回りもそれぞれが真に迫っていて何とも続きを見たくなる。
(8月29日号掲載)

◇東北農政局のホームページに食料自給率についての記載がある。読んでいて愕然とした。概ね内容は次の通り。カロリーベース食料自給率は、昭和40年度の73%から50年度には54%と短期間に大きく低下して現在は40%に◇このところほぼ横ばいで推移、主な先進国と比較すると、オーストラリア230%、フランス130%、アメリカ119%、ドイツ91%などとなっており、主要な先進国の中で最低水準と◇日本は世界最大の食糧純輸入国とも記している。何故そうなってしまったのか。食生活の変化だけでは済まされるものではない。将来を考えての自給率アップは国民的課題◇「不測時の食料安全保障マニュアル」もある。不測時のレベル0、レベル1、レベル2のステップがあって、2の場合国民が最低限度必要とする熱量の供給(一人一日当たり2000キロカロリー)が困難となるおそれがある場合◇不測の事態とは、大不作、事件・事故・貿易等の混乱、輸入の大幅な減少など。「戦争・戦乱・紛争」などの文字は見えない。しかし、マニュアルには物価統制令や農地以外の食糧生産をも視野に入れている。自給率低減は今、自ら海外からの食料侵略を招いているとも思える。
(8月25日号掲載)

◇「通りゃんせ、通りゃんせ、ここはどこの細道じゃ」。天神様の細道ではなかった。およそ御用のないものが通る道ではなかった。怖いMPの門衛が立つゲートを山形市立第一小学校のこども合唱団は米軍さし回しのバスに乗せられてくぐった◇小雪降るクリスマスの日、将校とその家族の前でわたしたちは歌わされた。各テーブルに座らされ、交歓会のようなことをやらされた。子供心に緊張し切っていた。「この子の七つのお祝いに、お札を納めに」行ったのではなかったが、何故かこの歌を歌わされた◇あれから50年、その神町で「戦後60年を考える」催し、地元が主催する「若木山防空壕一般公開」にでかけてみた。終戦記念日の8月15日、大勢の人が防空壕を目指していた。テレビ取材のクルーも壕の中にいた◇昭和20年の8月9日午前6時、米軍グラマン機が来襲、機銃の音、爆弾の音、神町は空襲にあった。焼け跡から日本軍人など30人程の死者を寺に運んだ―、と故武田重郎氏の日記が資料に記載されていた。世界に誇れる日本の「憲法」が今世界から注目されている。
(8月22日号掲載)

◇『夏の夜の夢』ならぬ、真昼の悪夢―と思った人もいよう。性格がスパッと単純で判りやすい総理と思っていた人もいよう。会議は踊らなかったが議会はバケツをひっくり返したように確かに踊った―。どちらにしても先行き困難な日本であることには間違いない◇「古い自民党はぶっ壊す。新しい自民党を―」と絶叫した総理であった。構造改革・行政改革を旗印に登場した小泉さん、見栄えのよいポスターやグッズまで出た。分かり易さが分かりにくい形で政策が提示され閉塞感に拍車がかかった◇友人の祖父が小泉さんの祖父に仕えていたことがあったという。男気に富む人であったとか。孫の小泉さんは総理として座右銘に「無信不立(信無くば立たず)」を掲げている。政治について孔子は「食料を十分にし軍備を十分にして、人民には信頼を持たせることだ」と答えたという(「首相官邸」より)◇中国春秋時代のこの言葉を国民はどう受け止めるというのだろう。内に政争、外に転じて戦争などないことを政治家は真に追い求めてもらわなければ民は闇路に迷う―。
(8月11日号掲載)

◇8月8、9日付の各新聞は憲政上一つの歴史的記録になるに違いない。郵政民営化法案をめぐる自民党内の賛成、反対両派による党内抗争の結末がそれだ。衆議院議員は普段から国会解散を視野に選挙の七つ道具を各自選挙区に備えているという◇陰りの見えてきた内閣と無力感阻止の野党はこれまで離散集合の繰り返し。「国は一体何をやっているのか」と白々しく思いながら生きるための術として人々は日々心身を労してきた◇そこに「実存」することの意味を自らに納得させて。おおよそ「個」の社会への「参画」を経済活動に即自するように、対価である報酬に置き換えて営為してきた。結果、大衆は一つの愚暗消費に組みこまれ「勝ち組・負け組」などと皮相な文字があてられる。人のもつ根源的なエネルギーをも消波し職種・職域各階層に振り分け分散されて◇かつてある地方議員の一人は「昼は社会党、夜は自民党」と自嘲気味に自身を言い放った。人間が表裏する仮面を二通りに使い分けて過ぎた時代、内側から制度疲労する組織、自由と民権は―。
(8月8日号掲載)

◇主要地方道七ヶ宿線(楢下バイパス)と一般県道楢下高畠線(赤山バイパス)が供用開始された。一方は上山市から宮城県七ヶ宿町へ、一方は上山市から高畠町へ。歴史国道に指定されている「楢下」の集落は旧羽州街道宿場町のおもかげを今に伝えている◇この夏から秋にかけて観光客の一層の往来が期待されている。しかし大動脈である国道13号上山バイパスの赤湯までの4車線延伸も待ち望まれている整備区間。この区間で交通事故が発生すれば、たちまち車は長蛇の列となり時間的・経済的損失を招く◇仮にJR「羽前中山」や「中川」あたりでこの渋滞に巻き込まれたとしたら身動きがとれず迂回路まで辿ることもままならない。踏切を渡り前川ダム湖を半周するように前後に出るか、高畠や上山まで戻り迂回するにしても、迂回路の「標識」や渋滞情報が十分に得られる区間ではない◇冬期間の山越えの迂回はさらに困難だ。盆暮れ時の人の往来、貨物自動車の余裕のない運行、救急時の円滑な路線確保はすべて道路の整備にかかっている。道草なき道のために−。
(8月4日号掲載)

◇ノーベル賞受賞者の肉声を生れて初めて直に耳にした。至近距離でその表情をも目にすることができた。実に親しみやすいユーモラスな話し振りと内容の濃さであった。この方の書かれる文章は回りくどく、読みにくいとかねがね思い敬遠もしてきた◇県教職員組合の招きにより作家大江健三郎氏が山形市の山形国際ホテルで講演を行なった。演題は〈『人間らしさ』の力―教育・平和・福祉〉。将来の希望として最初、郷里愛媛の森林組合に就職を希望していたという大江さん◇新制になったばかりの高校一年生のとき校長に「これからは民主主義の時代だよ」と聞かされた。自由に誰もが意見を述べることができると。「憲法」と「教育基本法」に守られてきた自由と民主の教育は戦後60年を経ていま、その屋台骨が崩れ落ちそうな勢い。「平和」、「反核・非核」、「弱者との共生」が講師の話から窺える◇怖い時代の再来を事前に一人ひとりが自らに真っ直ぐ立つことのできることが大事だと説いた。
(7月28日・8月1日合併号掲載)

◇ある総会の席上で今井栄喜県議会議長の発言が面白かった。「齋藤知事ってどんな人や?」とよく人から聞かれるらしい。県民は新しい知事に関心を持っている。直接一度、知事に会って聞いてみる事に◇今井氏は「県民は新知事に大きな関心を抱いている」と切り出した。そして率直な疑問を投げかけた。「長野の田中知事が応援に来たけど、ああいう公共事業へのやり方すんなだべか」に対し、「そういうことはございません」と◇「なら宮城県の浅野知事みたいなやり方をすんなだべか」に対し、「浅野さんは浅野さんでしょうね。あの方は政党から全然推薦をもらわないでやられる方、極めてパフォーマンスの上手な方ですから、浅野さんとも一寸違いますね」と◇「では、土木建築関係に極めて力を入れている秋田県の寺田知事みたいなのは何たもんだ」に対し、「寺田さんとも若干違うな」と齋藤知事。そこで今井氏は思ったという。「齋藤さんは齋藤さんの〈色〉を付けていくということではないのか」と。確かに齋藤知事は県民の期待を背負いながら独自の県政を歩んでいくに違いない。〈隣県外交〉も今のところ順調だ。
(7月25日号掲載)

◇「海の日」に川に出かけた。馬見が崎川の唐松観音堂で一呼吸、二呼吸、そして三呼吸。息を吐くと、あたりが穢れるようで気が引けた。ここは「五番札所」、ゆっくり川沿いの遊歩道を自転車から降りて下った。三段滝と呼ばれていたあたりで親子が釣りをしている◇それより離れたところに腰を下ろした。魚影はあまりなかったが対岸の葦の茂みと石の間からバシャッと魚が跳びはねた。20aはあった。岩魚か山女かと一瞬目をこらしたが確任はとても出来そうにない。上流の釣堀から下ってきた鱒かもしれない◇そうこうしていると手前の岸近くで赤いものがチラッと動いた。金魚が一匹泳いでいる。これは初めての経験。川に棲みついているとも思えないが、現に泳いでいるのだからこの川が棲みかということなのだろう。たった一匹、これは仕方なくなのか。不思議な気がした◇帰りに寄った喫茶店の店主が、「夏休み前や連休で家を空ける人がいて、可哀想と思って川に放すみたいだ」という。金魚鉢で酸欠死させるよりということらしい。隣り近所にも頼めない、頼まない。いっそ川に。そのうち噛みつき「亀」や「ワニ」もか。
(7月21日号掲載)

◇夏休み、お盆休暇前の連休。この季節、水の事故には十分な注意が必要。できるだけ心臓に遠い足のほうから、徐々に水を体にかけていく。泳ぎには体調や天候、気温・水温・水深・水流・水圧に至るまで配慮が。蔵王のお釜で泳いで新聞沙汰になった人も昔いた◇今では遊泳禁止になっている「沼の辺」や「霞城」のお堀でもよく子供は泳いだ。プールでの泳ぎと違い、心持ち足が底の方から引っ張られるような気がした。泳ぐたびに薄気味悪さがついてまわる◇水深の浅いところでも、藻や水草が足に絡まる。その感触はヌルヌルとしかも下手に足をバタつかせるとしつこさを増す。油断禁物だった。「海の日」に海水浴はいかにも健康的な夏のレジャー、砂浜の茶屋は一つの風景◇自動車の大きなタイヤチューブの浮き輪、これが懐かしい。伊勢横内(鶴岡)のやや下流の赤川で泳いだときには、澄んだ水がきれいで水中めがねをかけなくとも、はっきり小魚たちと一緒に泳ぎ遊ぶという感覚だった。「蓴に身しばられために溺れしと」(宇佐美魚目)の句は怖い夏の出来事である。
(7月18日号掲載)

◇七日町大通り沿いに花笠まつりの提灯が張られた。かつて花笠ボードや花笠大うちわなどには各スポンサー名が記された。今でも山車には広告主の名が。意地の悪いスポンサーがいたもので、わざわざ同業者の店の前を指定して広告に協賛するということも◇結果、パレードの最中、目の前に広告を出された店主は猛烈な剣幕で事務局に抗議なども。上司が早い者勝ちというから、その気になって申し込み書をもらって来たのに。若さだけのいい訳も通るときと通らないときがある◇責める上司あれば、助ける上司ありで、あり難いことであった。そういう現場を共にした友人たちが花笠の夏になると心境、ききこもごも。高瀬地区では今が見ごろの紅花の彩り。これがシルクロードと無縁でないとなれば、ただの花ではない、とはいえ花は花。何に視点を置くかだ◇中近東原産、やはり砂漠か。紅花に雅(みやび)な時代を砂漠に映す。芭蕉の「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅の花」はあまりに有名。けれど「紅花や婉語(えんご)も重き出羽訛り」(秋本不死男)、と遠まわしだ。
(7月14日号掲載)

◇2012年オリンピックの開催地がロンドンに決まった。さっそく英国大使館のホームページにアクセスしてみた。セバスチャン・コーIOC委員長が「6つのオリンピック競技の開催を予定するエクセルや、ドームなど、既存の会場や施設を幅広く活用することで、IOCの考えに沿いつつ、しかも質的な面で妥協せずに、2012年のオリンピック及びパラリンピック大会の開催費用を削減し複雑さを軽減することが可能である―ロンドンは浪費なしに素晴らしい大会を開催することができる」と述べていた◇「G8サミット」もこの話題で賑わったことだろう。そこでこそ人類が共通する難問題を祝典の日に併せ真摯に忘れず継続的に討議しなければすべての意味が薄れる。オリンピック然り。世界の富める者と貧しき人々の格差に政治家がどう向き合うか。オリンピックの開催の喜びとともに為政者はこれに向かわなければ意味がない◇イラクにミソをつけたブレアさん、おそらくオリンピック開催までに首相を務められるかは分からない。テロとの戦いかも知れない。
(7月11日号掲載)

◇「七夕」の五色の短冊の五色は何々?青・赤・黄・白・黒という。中国では乞巧奠(きこうでん)と呼ばれる七夕行事が楊貴妃と玄宗皇帝の時代に宮中行事になった。わが国でも朝廷の織部省に「葛城」姓の機織集団がこの七夕説話と何らかの関係を持ったらしい(「星の神殿」より)とも◇星々の話しは一面浮世離れしていて罪がない。たとえ人間的には残酷な悲恋にみえても、説話や神話はそれ自体がそもそも人間的な成りたちだ。五色の色そのものは、五惑星の木星・火星・土星・金星・水星に対応する◇仙台の七夕まつりも有名だが、むかし一度だけ平塚の七夕を見たことがある。飾りの大きな拵えがたいそう立派に見えた。各地に残るそれぞれの七夕祭り。これも長い歴史のなかで今に伝わる季節の行事と思うとまたなつかしい◇755年に宮廷の清涼殿でこの星祭が行なわれたという。また、万葉集に七夕を歌った歌が多く見られるが次の歌は意味深だ。天漢(あまのがわ)梶音聞(かじおときこゆ)孫星(ひこぼしと)与織女(たなばたつめと)今夕相霜(こよいあふらしも)と。
(7月7日号掲載)

◇宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信らが主演・共演する映画、黒木和雄監督の『父と暮らせば』(井上ひさし原作・新潮社刊)の予告編を見た。文部科学省選定、山形県知事推奨、青少年映画審議会推薦、日本PTA全国協議会推薦など多くの団体お薦め映画だ◇7月16日の土曜日、山形国際ドキュメンタリー映画際2005プレイベントとして山形市中央公民館大ホールで上映される。〈これはひたむきな魂の再生の物語り〉とのコピーがチラシに記されている◇〈うちはしあわせになってはいけんのじゃ〉、と図書館に勤務する美津江(宮沢)は、「ヒロシマ」の空に炸裂した原爆により父を失った。〈おとったん、ありがとう〉、愛するものたちを一瞬の閃光に奪われ、自分は人を好きなったりしてはいけない、と美津江は自分の恋心を押さえる◇そのとき父の亡霊が現われて娘の恋の応援団長に。〈愛くるしい父娘のあたたかい掛け合いに、絶望の淵に花開く希望の光を〉と。そして〈最悪の状況下でも、人間はしっかりと未来を見据えるちからがある〉と上映実行委員からのメッセージも記されていた−。
(7月4日号掲載)

◇建築基準法関連の法改正が続いている。「避電設備の構造方法」(雷撃によって生ずる電流を建築物に被害を及ぼすことなく安全に地中に流れることができる避電設備の構造方法を定める件)の動きもそうだ◇国交省に寄せられた意見の中から拾い出す。〈電撃から建築物を保護するためには、外部電保護システムのみではなく、内部電保護システムにも適合した構造とするべき〉、これに対し国は〈内部電保護システムに関しては、その必要性等について建築主、設計者等に任意に判断して頂きたい〉と◇〈日本工業規格A4201―1992に適合した避電設備を改正後も認めるのであれば、WTO/TBT協定に反する〉との意見に、国は〈WTO/TBTの協定の目的は、貿易の障害となるような規格制定を回避することにあり、本改正案では国際規定に整合した日本工業規格A4201・2003について、これに適合した避電設備を新たに認めるものでありますので、WTO/TBT協定の目的には反しないと考えている〉と。〈雷〉にも地球規模での対策なら面白い。
(6月30日号掲載)

◇夏至が過ぎた。けれど一向に〈梅雨〉らしくもない。暑すぎて雨が降らない日が続いている。昼時にラジオから少年の声で詩が朗読されていた。用事で外に出た。太陽が真上からギラリ照らし一瞬目眩した。夜が寝苦しかったからか。水を飲もう◇水が欲しい。血液ドロドロのこの身にはなお。夏は血にも〈地〉にも欠かせない◇〈ざわわ/ざわわ/ざわわ/広いさとうきび畑は/ざわわ/ざわわ/ざわわ/風が通りぬけるだけ/今日も見渡すかぎりに/緑の波がうねる/夏の陽ざしの中で〉(寺島尚彦作詞『さとうきび畑』より)◇ラジオから聞こえてきた少年の詩はこの歌を思い出させた。その夜、テレビでは老婦人が石碑に身を寄せて涙を流していた。〈むかし海の向こうから/いくさがやってきた/夏の陽ざしの中で〉、夏はこの詩で一層哀しい季節になる。〈あの日鉄の雨にうたれ/父は死んでいった/夏の陽ざしの中で〉、そして〈ざわわ/ざわわ/ざわわ/風が通りぬけるだけ/知らないはずの父の手に/抱かれた夢を見た/夏の陽ざしの中で〉。反戦の唄と思う。人と地球の“環境破壊”の最たるものが戦争−。
(6月27日号掲載)

◇「父の日」、老父が家人の手づくり散らし寿司を何事もなく平らげ、やおらベッドに横たわる。80歳を超えた老人に孫からのメッセージはない。それはそれ、彼らは子供ではないのだ。はだけた開襟シャツからやけに鎖骨が浮き上がって見える◇〈三位一体〉とやらの大臣さんたち、「父の日」に「父」らしく振舞ったのかは分からない。何やら〈クールビズ〉でなどと隣国に乗り込んで行こうとしたわが宰相。途端に〈首を絞めて仕切り直し〉とピシャリ。なるほど、〈開襟シャツ〉の雰囲気ではないだろう◇涼しいお顔の小泉さんよ、「アバ、父よ」の〈三位一体〉を知っているのはどうやらお隣の国の方のようだ。〈忘れてもよいことを忘れないのが韓国、忘れてならないものまで忘れてしまうのが日本〉か。なるほど、この違いがいまの状況のようだ◇星亨という明治の政治家がいた。代言人(弁護士第1号)で後に2代目衆議院議長。東京市会疑獄の黒幕で最後に刺殺された。哲学者ジャン・ポールサルトルは第3国を終生支持し、ノーベル賞すら辞退した。彼は6月21日生れ、星はその日死んだ。20世紀の後と先−。
(6月23日号掲載)

◇(財)道路システム高度化推進機構専務理事の田崎忠行氏(元東北地方整備局局長)が東北建設業協会青年会連絡協議会通常総会で講演した。演題『元気を出そう建設業』のなかで、〈公共事業というと枕詞(ことば)として必ず「無駄な公共事業」という、〈無駄〉の言葉がついて回る◇これは不本意とばかり二つの先駆的事業を紹介した。世紀の大工事と後世に呼ばれる「大河津分水」(新潟県)と「岩木川水戸口突堤」(青森県)の事業を大型スクリーンに。そして〈兎(う)に勝る業や心の花盛り〉(大谷句仏)の句碑を紹介する◇禹(う)は中国の黄河を治めて人々を救ったと伝えられる皇帝と。越後平野の人々の福祉(しあわせ)を願う心の中から開かれていった事業。地域全体のことを考えた青山士(あきら)と宮本武之輔、そして岩木川の長濱時雄はそれぞれの事業にかけた。青山はあのパナマ運河を測量設計した偉人◇〈萬象ニ天意ヲ覺ル者ハ幸ナリ〉の言葉はそのまま彼が旧制一高時に出会った内村鑑三の教えが一生を通じての指針となっていたとも。先人の偉業。
(6月20日号掲載)

◇東北芸工大での「薪能」を近くに住んでいながらまだ見たことはない。庄内の「黒川能」や松山の「薪能」、伝国の杜での能舞台しかり、毎年夏に行われる小国の白い森での国際文化フェスティバルにも。出かける予定がいつも都合で計画倒れになる悔しさがずっと続いている◇芸工大には来年こそ出かけてみようと思う。新聞やテレビに報道されていよいよその思いが強くなる。能管の「ひしぎ」の鋭い音色に心えぐられてみたいと思う。想像しただけで何と至福なことか◇ここで〈常盤腹には三男。毘沙門の沙の字をかたどり。御名をも沙那王殿とつけ申す。〉(梅若・「鞍馬天狗」より)と「義経」が幼名を、〈頼めや頼めといふ影暗き。頼めと。夕影鞍馬の。梢に翔って。失せにけり〉と響き聞けばどうでも東北がなお一層身近にかんじられよう◇京より落ち延びる若武者、瀧山の麓、三百坊も修験・修行の山。今は昔のまさに幽玄の世界に飛んで、このせわしない現世から少しばかり離れるのもよいことではないかなどと。花散里になぞらえて小立街道をいざ歩まん、いざ―。
(6月16日号掲載)

◇『島歌の奇跡』(吉江真理子著・講談社)の書籍広告のコピーが気になった。〈差別と偏見をのりこえて、唄の力が奇跡を呼ぶ!〉とあった。退社時間が迫る夕刻、何故か昔懐かしいヒットソングや歌手の名前が職員間で交わされた◇歌を忘れたカナリヤではないが、声を出して心地よくさえずり真似る〈百舌(もず)〉になる機会も最近はほとんどない。世代の遠さを感じながら彼らの話を聞いていた。南国の哀しい唄のことは出てこなかった◇この東北で生で耳にすることも少ない島唄、終戦直後の石垣島で結成された音楽バンド「白百合クラブ」のメンバーが残した唄の謎―、となると一層困難なこと。「島唄」が尾を引くように響いてきそうだ。〈白百合が奏でる恋物語、そしてハンセン病〉、西表島で農業を営む先輩に聞けばすぐに分かりそうだがいつか出かける機会もあるだろう、そう思い広告の文字のみ追った◇それに連なるように今年も台風の季節を迎えようとしている。若い記者が「屋久島」に行きたいと言っていたのを思い出した。太古の縄文杉に会いに―だろうか。
(6月13日号掲載)

◇気味の悪いことがあるものだ。ガードレールに何故このような危険な金属片が全国にまん延しているのか、あのような形で放置されていたのも不思議なことだ。ミステリーの世界だ。原因が自動車との接触によるものだとか種々、推測の段階で話題になっている◇専門家の科学的究明がそれぞれの機関で進められている。東北6県で6月3日現在、山形県内41箇所47片、福島県内111箇所129片、宮城県内98箇所100片、岩手県内36箇所45片、秋田県内24箇所35片、青森県内22箇所28片という◇原因が明らかになれば〈唖然〉とするかもしれない。考えも及ばないところに〈原因〉となる何かが〈潜んでいる〉、いまはまさしく〈潜んで〉と言ってよい〈因果〉の〈因〉は無差別に日本人に突きつけられる〈刃〉のようだ◇気がつきそうなガードレール、目に付きやすいあのガードレールに人の目が止らなかった。〈盲点〉というしか言いようがない。責任の所在を明らかにする段階ではないのは分かる。だが何故、いままでそれが発見できないでいたのかそれ自体が〈奇怪〉である。
(6月9日号掲載)

◇内閣府が5月30日に発表した『地域経済動向』によると北関東、南関東では〈緩やかに回復している〉と。これは鉱工業生産などを理由として。四国では、個人消費、雇用情勢などから〈持ち直している〉と明るい。それぞれ上方修正は羨ましい◇これとは逆に東北は、個人消費も安い商品ねらいで、買い回りしている状況などもあって下方修正と陰る。その他の6地域(北海道、東海、北陸、近畿、中国、沖縄)については前回調査(17年2月)と同じだという◇東北地域は、やはり〈景気はやや弱含んでいる〉と前回よりはトーンダウンだ。〈雇用情勢は依然として厳しい状況〉だが、〈持ち直しの動きが続いている〉にいくらかの希望か◇〈景況判断〉と〈個人消費〉の下方修正には「やはりそうだろうな」の思いは強い。それでも〈住宅建設〉で前回〈増加〉から今回が〈大幅の増加〉というのを素直に喜びたいところだが、実感としては奇異な響きだ。〈分譲、貸家が前年を大きく上回った〉からという。建築業者に潤い感がないばかりでなく経営不振をぬぐい切れずにいる企業も多い。
(6月6日号掲載)

◇各地にセレモニーホールが出現し、地域の人に密着するように結構利用されている。それも檀家寺で葬儀をすますよりは何かと便利と思えるかららしい。寺院の畳にじっと座らされるよりは椅子のほうがほんとのところ有難い。こんな他愛のない理由だけではないはずだが◇そういうわが家もある葬儀屋の会員に全員がなった。華美にならずそれこそしめやかに、交通の便利なところで駐車場の心配もなく、隣近所の人のあまり手助けも借りずに行われれば◇かつて隣近所、総出で冠婚葬祭が行われた昔。今もそうかもしれない。地縁血縁深いところは特に。しかし今住んでいるところは幸か不幸か方々からやって来た人たちばかり。〈葬〉もいたって簡便になってきた◇檀家寺の祭礼に年老いた父母を置いて一人出かけた。離れ離れになっていても檀徒の当番エリアが割り当てられて、出向くことが踏襲されている。家の誰彼か何十年もこの日のために心にとめて通っていた寺の祭り。出向くたびに子供の頃を思い出す。なぜかこの頃は墓の前に立ってタバコを必ず吸うことにしている。
(6月2日号掲載)

◇首相をはじめ頭の良いはずの人たちの愚かさ加減が対中国外交をことさら猥雑(わいざつ)なものにしている。国民としては迷惑千万なことだ。簡単なことではないか。メッカに祈る人々は何処でもその気持ちに従いメッカに向かって祈っている◇祈りたいなら小泉さん、見習って何時でも何処でも「靖国」に向かって祈ればいい。執務室でもいいのだ。一々、口に出して子供のように「今年も行く、今から行く」などと口に出すからあのように中国は反応するのだ◇そんなこと子供でも分かることではないか。それを「分からないですね。野党の審議拒否が伝染したのかな」、などと来日していた呉副首相の突然の帰国に口を滑らす。この人、ほんとに「分かっていないのでは」と思ってしまう◇これで首相を務めているとなれば「日本丸」も危うい。あの時、いっそ「失礼千万」と発言すべきではなかったのか。その方が外交的に問題の所在がはっきりしたはず。「わからないですね」などと白を切るあたりが総理の言辞としては怪しい。軽さが「不信」の元凶。個人の「靖国」詣で、その〈拝礼予告〉に国民を巻き込まないように―。
(5月26日号掲載)

◇いよいよ田植えのシーズン。今では大都会の子供たちも体験ツアーの一員として田園地帯にやってくる。山形市内の小学校でも学校の敷地に小さな田んぼをつくり田植えを行っているところもある。貴重な経験になるにちがいない◇高校のとき初めて田植えをした。田植え機などまだ普及していない時分である。三本指で苗を挟み込んでの手植えが忘れられない。後ろ向きになって真っ直ぐ足を運ぶことがなかなかできなかった。生真面目な隣の列の級友に近寄り過ぎたり離れ過ぎたり、蛇行しながら。するとたちまちリーダーの叱咤(しった)の声◇休憩で畦(あぜ)に上がると脹脛(ふくらはぎ)には思い切り血を吸って膨らんだ蛭(ひる)が黒いゴム管のように喰らいついていた。学校は「田植え休み」と称して一週間も休校した。ウツギの花がきれいな季節―◇だが「ここではべんじょっぱなというんだ―」と通学生が教えてくれる。それでもきれいだった。休日や放課後には裏山での山菜取り。作業の時間は若い生徒たちには「労働」というより運動に近い感覚だったかもしれない。萌黄の里も若葉に薫る。
(5月23日号掲載)

◇横川ダムの定礎式が21日に挙行される。〈38豪雨〉に泣かされた小国町、国道113号箱ノ口から南に車を進めてダムサイト右岸にある展望台に立った。眼下には次第に高さを増していく堤体と湖底になる河床の砂礫群が◇本体打設のため砂利・砂プラントから上伸して継るコンベヤーカバーが現場の動勢を伝えている。完成を常に念頭においた長い道のりを象徴しているようだ。この技術の〈帯〉のようなラインは春夏秋冬、風・雨・雪をまじえた谷風に晒されないように抗しているのだと思いながら眺めた◇かつて沿川の叶水、市野々地区の住民はダム建設をめぐって賛成派と反対派に二分した。今では〈ダム御殿〉と呼ばれるお城のような家までも建つ。それでも懐かしい山の稜線に遠く飯豊の威容を目にすることができる◇白川ダムの起工式取材時には入社して数ヶ月の新米、寒河江ダム建設時には六十里越えを迂回、湖底の付替道を走らされた。後の月山ダム定礎式では工事関係者の喜ぶ姿が生き生きと目に入った。つくり上げた人たちの喜びはそれに携わった人々の誇りに見えてくる―。
(5月19日号掲載)

◇〈話せば分かる〉、と時の総理大臣犬養毅首相に対して、〈問答無用〉と海軍急進派青年将校を中心とするクーデターが1932年に発生した。「5・15事件」として知られる武力による政府転覆への決起は、その後の日本軍国主義の流れにさらに火をつけた◇あれから75年が経った。〈西洋被れ〉と明治新政府以来の欧米文化受容の姿勢に対し、日本国民本来の長所を重視する〈国粋〉の機運に北一輝や大川周明らの理論的支柱が据えられた。大川周明は鶴岡の医家の生まれ◇〈彼は晩年「安楽の門」で「道は天地自然の道なる故、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己をもってせよ」という西郷南州遺訓こそ、彼の思想の根本である」(「アジアの声」)との見方に注視する◇かって欧米列強による中東・東南アジアへの介入が世界経済の大きな軋みの中で勢いを増したとき、植民地に暮らす現地の人々は一方に就労の道が拓(ひら)かれながらも、一方では人権抑圧に苦しんだ。世界が混迷を極めていたときの教訓を先の人々はどのように今を見るのだろう。
(5月16日号掲載)

◇3日の「憲法記念日」と8日の「母の日」を抱き合わせて考えてみた。つまる所〈9条〉を表裏にして〈戦争か平和か〉、前線の兵士か銃後を守る母親かと。〈戦争〉を肯定する人はいない。これまで歴史では仕方なく、否、多くの人が煽(あお)られて従ってきた◇ここでは人間が〈左右〉に分かれるだけではなく、視点を〈天〉か〈地〉に置き換えることも不可欠なことだ。分かりやすいことは〈守り〉は〈国〉や〈家〉に近く、これが〈平和〉にはほど遠いということだ◇この分かりやすさの点で〈守る〉ということは〈保守〉することで、〈死守〉に通じてしまう。〈平和〉の文字が古来、〈守る〉に程遠いのはこれを〈維持〉することがいかに困難な業(わざ)であるかを示している◇〈国家〉レベルで隣国不信、双方が〈人〉を見失ってしまうのは不幸なこと。〈平和〉は人に最大の叡智を求めるはず。そのことは歴史が繰り返し我々に教えている。〈平和〉が抽象的・理念的・普遍的である所以からその成就が困難を乗りこえるには勇ましい〈声〉より静かな声を〈聞く〉ことの方が〈平和〉には近い。
(5月12日号掲載)

◇庭のチューリップが咲いた。ついこの間までは土の中で厚い雪に覆われていた。この日を目指して葉が出たと思ったら日に日にそれが大きくなり、その葉の間からまさにニョキニョキと蕾(つぼみ)を載いて茎が伸びきった◇遅い春がここに来て一気に爛漫に。置賜の春はやや遅めだが、南陽市烏帽子山公園の桜は調度今が見ごろ。結城豊太郎記念館理事で日本比較思想学会のメンバーである完戸昭夫氏の「シルクロードと日本の宗教」と題する講話を聴いた◇その中で氏は高畠町屋代地区や一本柳地区に古くから伝わる〈妖怪・鬼婆〉伝説や東北の地に多い〈大黒天信仰〉など懐かしい人の歩みの昔を今に繰り広げ示した。民衆の遠い〈神・仏〉への源流ともいえるシルクロードを辿る人の営みの原初に至る話は圧巻◇日本各地に伝わる〈物の怪〉や〈鬼〉の伝説は浜田広介の童話『泣いた赤鬼』を生む風土がやはり色濃くこの置賜の地にあるからなのだろう。〈桜〉に〈物の怪〉はいかにも怪しい彩り、まるで夢の浮橋のように霞たなびく〈桜回廊〉に人酔いしれる季節。しかし人類救済のための宗教が異なることで人が争う愚こそ〈迷走〉の深みへ。
(4月28日号掲載)

◇カトリック教徒の人から不謹慎とたしなめられそうだ。新しい法王を選ぶときの選挙「コンクラーベ」という言葉の〈音声〉から〈根競べ〉の日本語に結び付けてしまいたくなる。辛抱強く息の長い選挙になることを思えば◇〈こじつけ〉もさしたる不謹慎にはならないはず―などと勝手に。言葉の意味そのものがラテン語の〈ラ・コンクラーベ(鍵がかけられる部屋)〉なのだそうだから〈根競べ〉に〈鍵〉の意味を見出すのにはかなり無理がある◇しかしこれも根気よく〈鍵〉を開けようとすれば、また別の〈こじつけ〉と今度はほんとに叱られるかもしれない。13世紀に2年間も法王が決まらなかったとき信徒たちが早く法王を選ぶように枢機卿たちを部屋に閉じ込めて〈鍵〉をかけ、急(せ)かせたという由来のある選挙◇根気よすぎる枢機卿たちに信徒たちが焦(じ)れて、「まだかまだか」と業を煮やして迫ったとも。いかにも賑やかなラテン的気質、現代にもそのまま通じそうなバチカン広場。ともあれ〈鍵〉がやはり〈キーワード〉。白い煙が空に、黒の煙のときは投票用紙に薬品を塗って燃やすという。
(4月25日号掲載)

◇やはり〈靖国〉が大争点になっている。総理大臣がある時期から堂々と〈参拝〉に行く、小泉首相が関係悪化の最大要因だと。〈外交〉で一波乱も二波乱もこの時期起されてはたまったものではない。〈直情〉の美しさにも程度があるというものだ◇こんなことで日本がことさら〈嫌われ者〉として世界中からの物笑いとなったのでは一般国民に申し訳ないではないか。わが国内の〈混沌〉極まりない諸問題を一体どうするのか。歴史は〈風化〉するものだとばかり、時がたてば忘れらると。しかし、忘れない国がワンさとある事実をどう直視するか◇そういう国々との付き合い方に〈無神経〉に向き合うことはできない。キメの細かい日本人的デリカシーを。いわく〈礼節〉をと。日本国自体が浮上し風化してしまわないための知恵を政治家は〈冷静〉にキャッチボールする必要がある◇〈歴史問題〉以前に風化する危険性があるとすればこの〈配慮〉の一点。このことで近隣の将来を左右するのであれば単に〈信念〉だけでは歴史に禍根を残すことになる−。
(4月21日号掲載)

◇事務所の天井からこのところ雨漏りならぬ水漏れが、家に帰ると普段よりかなり高い水道料の請求、とさながら会社と家は〈水難〉の様相。方や天井裏を這う銅製のパイプ、方や地中を這う鉛管、材質の違いは用途の違いと◇築20年の事務所、築30年のわが家、さっそく水漏れ発見のプロのお出ましとなった。その手際のよさは感動もの。漏れている〈場所〉を探り当てるまでがまさしく〈推理〉だ。天井裏には幸い不審な怪物も生き物の痕跡もなさそうだと、親方も「鼠」には太鼓判を◇ところがわが家の近所では「鼠」(ネズミ)ではないが、「鼬」(イタチ)のような動物が深夜道路を横切ったとの情報が。庭に出している金魚槽から4匹さらわれたのもヤツの仕業か、などとつい妄想した。イヤ多忙なはずの〈春猫〉があぶれたついでに金魚を◇などと他愛もないことを夢想している間に、プロの探索方は芸術的ともいえるその〈技〉で〈出水現場〉を突き止めていた。天井裏の銅製は値打ちもの、しかし鉛管となれば朽ちるまで気づかずにいた当方、既に鉛が体中に―か。
(4月18日号掲載)

◇物事をうっかり間違って思い込むことを〈勘違い〉(岩波国語辞典)と辞書はいう。〈思いちがい〉、〈考えちがい〉とも。「独島」と韓国では呼び、日本では「竹島」という。ここにきて海一つ隔てた隣国でのジャパン・パッシングは大きなうねりだ◇1905年(明治38年)以前の同島はどのような状態で日本海に存立していたのだろう。ほとんどの日本人に正確なところ知らされてはいない。「今日の日本が、李氏朝鮮に急速に似るようになっていることを憂いている。日本では、アメリカあるいは中国という大国に対する事大主義がはびこるようになっている」(崔基鎬元ソウル大学教授)と嘆く◇「日韓併合は、世界中の国々に賛成されたうえでのことだった。それに至るまでにはロシアのコリア占領を阻止するための日清、日露戦争での日本の勝利というプロセスがある」(谷沢永一博士)とも◇世界の国々というが、一体当事国の真意はどうだったのか。喜んで統治されたのか。どこの国も本来自国に不利な発言はしない。ナショナリズムが一方に偏狭に盛り上がる危険性はどこの国においてもある。危険な罠はそこだ―。
(4月14日号掲載)

◇「熊・コジラ・サザエさん・ラッキョウ・河馬・花王石鹸・おかめちゃん・レッテル・河童・プチアリン・白豚・かどやり・ブッシュマン・台湾ザル」、中学時に習った恩師たちのあだ名だ。動植物、漫画の主人公、架空の生物?まで。もっともっといた―。「いた」というより、おいでだった◇あだ名のなかった先生はどことなく地味で目立たなかったのかもしれない。またそれゆえ心もちあだ名の付けられない寂さもあったのかもしれない。誠に生徒たちは冷酷かつ残酷で、単純に無邪気な思いから付けたこととばかりは言えないのもあった◇〈サゴジョウ〉という用務員さんもいた。伝説的な人で一度死んだが、棺に入れられる前にアルコールを余分に口に含まされた途端、「ごっくん」と飲み込み、生き返ったというエピソードのお人だった。以来、校長先生黙認の飲酒勤務◇酒が命を救ってくれたとばかり、生徒が側に寄るといつも酒臭かった。仕事に支障はなかったとも−。無表情を決め込む先生もいた。自分のあだ名に不満足に違いないなどと思いも及ばず生徒はいつもお構いなく勝手に元気に呼び合っていた。
(4月11日号掲載)

◇未だもって「郵政」の〈改革〉とやらが分からない。ほんとに国民のためになるというのだろうか。今まで以上に国民は不便にまた不利益にはならないのだろうか。国鉄の民営化でもNTTの民営化でも言えたことだが、まず職員(彼らもれっきとした国民である)の心に〈ささくれ〉を生じさせはしなかったのか◇国民が納得するほどのサービスがどれほどもたらされたのか。〈分社化〉することによる妙なライバル意識は新たな格差と苛立ちと無力感をもたらしはしなかったか。このことの検証をトータルで政府は国民に示さなければならない◇将来の〈営業数字〉を現在に指標として示されたとしても人が未来に向かって〈馬車馬〉のように〈働く〉とは限らない。そもそも価値ある目的意識とビジョンの優れて普遍性がなければいくら飾り立ての数字を並べられても本質的に人の心は動かない◇民営化のもと〈窓口・配達・貯金・保険〉に分けられて、それで小泉さん、一体何を変えようとしてそれがどのように国民に便益がもたらされるのかはっきりと自分の口から論理的に展開して示して欲しい―。
(4月7日号掲載)

◇「相模(さがみ)鉄道」を読み違えて「相撲(すもう)鉄道」と書いてしまったことがあった。鉄道ではないが大相撲の春場所が終わったばかり、しかし嬉しいニュースが続く。来場所には藤島町出身の新関取「上林」(かんばやし・本名・上林義之)が十両昇進を決めた◇レールを走る〈花電車〉も出世街道まっしぐらにと〈花相撲〉も嬉しさに結びつく。喜びが長く続けば一層春めいてくる。大相撲の不人気から本来入場無料の〈花相撲〉は長く興業するわけはいかない◇軌道レールにこだわれば、1964年以降、調度年度末に集中して長野県の松本電鉄をはじめ全国のローカル線が相次いで廃止された。わが庄内交通「湯の浜線」(鶴岡―湯の浜温泉間12・2`)も1975年の年度末で廃止された◇住民の足がそがれるように日本の風景も走る電車やディーゼルカーの車窓から遠のいて行った。「相模鉄道」は健在で首都圏に住む人々のなくてはならぬ足。相撲の出足、〈足腰〉のよさそうな「上林」の二字口(にじぐち)における腕の上げ下げが実に鳳凰のように美しい―。
(4月4日号掲載)