19年度の展望台へ  17年度の展望台へ

GALLERY INDEXへ




colmun

◇「病院での治療で余計に症状が悪化した。家族が手術後に死亡したが、医療ミスではないか」(「医療過誤」より)。山形市内の総合病院に「検査入院」した友人が退院時には亡骸(なきがら)となって家に帰った◇健康には細心な人で、頑健なスポー好きの、正にこれからが人生の彼だった。「人間ドック」にでも入っていたのか、と誰もがその急逝に驚いた。4月15日には仲間と「花見」の約束までしていたのに◇この冬季間、蔵王に40回もスキーに出かけ一級のバッジテストを目標にしていた。それ故、彼の急逝に納得する人はいない。何かの原因で救急車に運ばれたというのでもない。我々は「専門家でもないし、何をどう主張すればいいのかわからない…」◇もしかして、何か、病院で手違いがあったのではないのか、何ヶ月も入院して病と闘って逝ったというのならば話もわからないではない。「検査入院してそのまま亡くなった」では、説明の中身がつかめない◇「医療ミスは、氷山の一角。小さな医療ミスを入れれば、日々、それこそ無数の事故が起きている」、と先のホームページでは述べている。「毅然と真実を追究することが大切」という。

(3月29日号掲載)

◇「河の向こう岸」、広辞苑は彼岸(ひがん)をそのように記す。こちらの岸を、此岸(しがん)とも。特に生死を超越しない、この世界―と説明する。彼岸も此岸も仏教用語。生きている人びとは、みな此岸の人。春の彼岸に合わせ、先祖が眠る墓に花を手向けた◇墓石の下に眠る過去帳の中の人びと、彼らがこちらの夢に出てくるのは、たかだか三代前ぐらいまで。それ以前のご先祖さまともなれば、もはや顔形はおろか残された僅かな遺品や文字で思いなぞり、想像を浮かべ、それをもって偲ぶしかできない◇「―錬兵場(霞城公園)の周辺、変わったなぁ」、「―んでも、やっぱりあの千歳山、昔のまんまでえぇなぁー」という。「―んだがっす・・・」と、こちら。「―家の周りの植木鉢、ひび割れてんの、うがいんねぇが」と、来たばかりでぼやいた◇「―さぁ、まず早ぐ上がて、ゆっくり休んでけらっしゃい」と。すべてお見通しのことを、こちら愚にもはぐらかしたつもり。「―そちら様もこちらも、お互いに此岸での時間、余りないんだものね―」と、忙しい春である。

(3月22・26日合併号掲載)

◇友人の送別会に出席した日、「頂きものだが」とマルメロ酒をすすめられた。作った人の家の樹木の実、事情でその木が切り倒されたためこれが最後のものという。何だか神妙な思いで味わった◇すすめた人が「カリン酒」と似ているね、というが何かが違うような味。後で図鑑を見みた。カリンとマルメロが同じバラ科の落葉高木と知った。やはり実によく似ている。しかし異なる原産地ということで、味より興味はその方に向いた◇マルメロの原産地はイランやトルキスタン地方という。カリンは中国東部が原産とか。東トルキスタン地域は今、中国新疆ウイグル自治区にあたる。イランの方に近い果実がマルメロ、そう覚えることにした◇マルメロからナツメヤシ、オリーブの実る地へ向かっていきそうだ。いくつかの砂漠を経、やがて黒海に出るとそこはトルコ。テレビでは大成建設が今、そのトルコでヨーロッパと東洋を結ぶボスポラス海峡下、海底にトンネルを掘っているという◇太陽が昇る東の国日本、陽が西の海に沈む月星の国トルコ。親日国のトルコ、寒河江のチェリーランドにでも行ってみようかなと思う。

(3月19日号掲載)

◇今から733年も前の話。時の鎌倉幕府が本気で外国武力による外圧を必死で防衛しようとした歴史的出来事、モンゴル帝国の世祖チンギス・ハーンの孫フビライによる日本への侵攻(文永の役・1274年、弘安の役・1281年)のこと◇教科書では少なくとも日本が本格的に外国から圧力を受け、攻められたと教えられた。あの「元寇侵攻」の記載を確かめたくなった。史実の解釈はもとより色々ありそうだ。わが国の時の為政者にとっては、今でいう危機管理能力が問われる出来事であっただろう◇「元」は日本に好(よしみ)を通じたかったとしても、こちら日本にはその気はなかった。今日、世界のグローバル化の中で堺屋太一氏は、モンゴルの広大な大地に育った一人の歴史的人物像を今に呼び戻す。森村誠一氏もやはり描いてみせるがその原作による映画、モンゴル建国800年記念作品『蒼き狼』をみる。30億円を投じたという角川春樹製作。映画はそれ自身映画であり、そこから胸に響いてくるものは、少なかった―。それでもモンゴルの自然が見えた。

(3月15日号掲載)

◇「右」からも「左」からも選挙候補と思しき人々から合法的に郵便物が届く。統一地方選挙のための動きが活発となり、「白ばら隊」をはじめ関係者は無関心層の若い人々への呼びかけに懸命だ◇「うざい」「面倒くさい」「政治家が多すぎる」「平身低頭は選挙の時だけ」「市会議員の年報酬1000万円以上なんだって」、「わかる訳ないよな、俺らのこと」「それってどこの市?」◇大学生たちは幾分というより、実に「いやけ」を率直にあらわにする。世の中、格差が広がるばかりだ。それでも、日本は物が豊富で一見食いそびれることはなさそうに見える◇政治家がいくら調子良く、さも庶民の暮らしぶりに理解ありそうな演説をぶっても、足元現実とのズレをトコトン見たら、ふやけた天ぷらの衣に覆われただけの言葉◇選ぶ方も選ばれる方も、ふやけた思いで出向くわけには行かない。一生懸命に地域の人々のために自らを捨てるほど行動してくれる人を選び、悔いのない一票を投じたい―。

(3月12日号掲載)

◇年度始め前に県のホームページから「山形県の全国ベストワン」をおさらいしてみた。まだ破られていない「国内最高気温」40・8℃(昭和8年7月25日山形地方気象台)、「ブナ天然林の広さ」15万f(全国の16・3%、平成12年)と、これは凄い−ことだ◇さらに、枝が折れて心配されたが、地元の人々と樹木医による手厚い治療・保護でなお健在である「東根の大ケヤキ」、幹回り16b、推定樹齢1500年以上(国特別天然記念物・東根市東根)という。それに「川西町ダリア園」のダリア650種、1万8千株(園内約1万平方b・川西町置賜公園内)、キク科の球根多年草◇国宝五重塔の神々しい光が導く「羽黒山の石段」2446段(江戸時代以前の石段で最も長い・羽黒町手向)も。そして住宅に囲まれるように、長い歴史と共に風雪に耐えて建つ「石鳥居」2基、建造推定年代、平安後期〜鎌倉初期(日本最古の石鳥居と推定・国指定重要文化財・山形市鳥居ケ丘と同市蔵王成沢)。「即身仏(ミイラ仏)の数」8体(全国に十数体)と、いわゆる全国1の記録である−。

(3月8日号掲載)

◇私たちは覗かれている−。人工衛星の機能が驚くほどの進歩。宇宙から地上10cmほどの物まで識別できるという。ならば誰が歩いているかすら分かるというわけだ。日本がこのほど打ち上げに成功した衛星でも、60cmの物体識別は可能という◇仕事でよくPC上の地図を開いてみる。同じところを今度は「航空写真表示形式」をクリックして確かめる。そして拡大するとたちまち画質が大きくなり形状もハッキリ◇もしこれが常時、それ以上の高機能・高精度の衛星による写真配信などのサービスにでもなれば、「あれあれ、雨降りだというのに、あそこの家の洗濯物外に出しっぱなしでだ」とか、「へぇーっ、屋根の色塗り直したんだ!」などと、極めてプライバシーに係る視覚的情報もごっそり他人に知られることになる◇そのことを知ったら「見ないで欲しい」だが、「見たくなくとも見えてしまう」相反する思い。精密でしかも速度の早い情報化時代の、それこそ宇宙から届く情報に、地上の一人ひとりは「安心」に思えるのか、それとも「不安」と感じるのかはなかなか識別できそうにない。


(3月5日号掲載)


◇根雪のないまま「春」を迎えようとしている。たとえば、除雪作業の当てが外れた関係者をよそに、多くの人は家や会社での雪かきをせずに済んだ。珍しいほど気が楽な冬であった◇なごり雪もない季節の変わり目。谷崎潤一郎の名作『細雪』の4姉妹の名を思い浮かべた。「鶴子・幸子・雪子・妙子」と名をなぞり、ストレートに四季に結びつける。たちまち「春子・夏子・秋子・冬子」―。今では女子に「子」をつける親も少なくなったとか◇身近には「鶴子」さんを除いて、親戚・友人・知人を思い浮かべただけで、さながらお雛さまの登場である。「春夏秋冬」、わが「名前雛」のお歴々の御年、これは記さないことにしよう◇おすべらかしで登場でもすれば、まるで冷泉家に集う歌詠みの女人の風か。いや、あの薄暗い灯火での催しに、わが名前雛の面々、すかさず「気持ち悪い―」と逃げ走るだろう。その走る姿の方こそ恐怖にあたいする、といえば失礼か。しかし、頂き物の小さなわが家の「夫婦雛」(箸置き)の風貌が実にのどで「春」なのである。その引き目鉤(かぎ)鼻の絵付けの愛らしさよ―。

(3月1日号掲載)

◇この頃、以前にも増して新聞・雑誌・テレビ界のいわゆる“パクリ”報道、記者やアナウンサーによる醜聞、犯罪がネタになる時代である―。しかも下ネタ絡みの興味本位のものまで◇かつて毎日新聞政治部記者が係って起きた「西山事件」(1972年)は、当時の世間を驚愕させるとともに、後に日本とアメリカ両政府間の政治問題までに発展した◇逮捕された西山太吉記者は、「沖縄返還」をめぐる取材活動で、外務省女性事務官に近づき特別な関係となって国家機密文書を女性から入手したことが露呈した◇真実追求の姿勢も目的のためには手段を選ばないその非人間的な取材報道と世間からは非難を浴びた。取材の対象が国家の命運に係る大きなテーマ、記者魂が深く静かに炸裂したと想像される。女性は国家公務員法に触れ、記者も秘密漏洩をそそのかす罪に問われた◇昨今の報道機関、組織の制度疲労と傲慢に肥大化したアンモラル報道人のエロス思考量産の趣は、世の人間力退化現象の引き金にすらなってはいなか―。中央から地方に至るまで魂の衰退では―。

(2月26日号掲載)

◇きょうは「世界友情の日」、「国際友愛の日」という。「ボーイスカウト」の生みの親、イギリスのパウエル卿生誕を記念して制定されたとも。2015年に開かれる「第23回世界スカウトジャンボリーを日本で開催しよう!」とのキャンペーンが今展開されている◇「ボーイスカウトのメンバーはもちろん、すべての青少年に開かれた大会をめざし、大会を通じて、青少年に身体的、知的、感情的、社会的、精神的成長の絶好の機会を、そして、 世界中に友だち・なかまを作り、ともに〈世界平和〉をめざす―」、と日本連盟のホームページが発信している◇こどもの頃、同じ学年にかならず2、3人ほどメンバーになっているものがいた。独特の帽子と半ズボン、腰にはロープやジャックナイフを身に着けていた。よくデコボコ道で〈釘刺し〉などして遊んでいるとき、彼らがキャンプなど野外活動に出かていく様子を目にした◇何か特別に選ばれて隊員になっているようにも見えた。「規律が厳しいんだど―」の言葉も耳にした。「パッタ」(面子)遊びに夢中になる自由な隣近所の普通の遊びしか思いつかなかったこちら。戦後間もない頃の「鼻を垂らした」こどもたちへの入隊はなかった。「スカウト」されなかったのである。もちろん偵察も−。

(2月22日号掲載)

◇1月1日からスタートした「はたちの献血」キャンペーン、今月の28日まで実施されている。20歳のとき、住んでいた三鷹市と郷里の山形市から「成人式」への案内状が来なかった。学生で住民票を異動していなかった時期だったかもしれない◇「献血手帳」を手にしたのは、かなり後から。寮の先輩が少し大きな手術をしたとき、自発的に何人かで病院に出向いて献血したことがある。生まれて初めて人のために輸血をした。社会人になってからも、なぜか上役という人が「献血」に積極的な人で、同僚とともに何回か駆り出された◇戦後、アルバイトしながら「売血」していたという著名な作家もいる。世の中には、臓器を売買する闇のブローカーの暗躍も。気持ち悪い話が社会の裏側にはありすぎる。血液ドロドロの怖さ、採血と血抜きでは訳が違う◇長時間同じ姿勢で勤務する会社で、足首を数回、腰から上の上半身を椅子に座ったまま、数回後ろに反らしての深呼吸は、エコノミー症候群の防止になるとテレビが教える。そういえば「職場における健康診断推進運動」月間という。

(2月19日号掲載)

◇総務省消防庁は2月9日、「全国瞬時警報システム(J―Alert)」による一部の情報の送信を開始した。この日、兵庫県市川町において、同報系防災行政無線の自動起動による住民への情報伝達及び町役場内での防災訓練(図上訓練)を実施したという◇この警報システムは、「津波警報、気象警報、武力攻撃の警報等の即時対応が必要な情報を、市町村防災行政無線を用い、全住民に瞬時かつ一斉に伝達するシステム」という◇全国衛星通信ネットワークと市町村同報系防災行政無線を接続し人工衛星「スーパーバードB2」を利用し、自然災害(地震・津波や気象災害)に関する警報等や、弾道ミサイル攻撃の警報を、瞬時かつ確実に、国民に伝達するためには不可欠のものという◇何でもこのシステム構築のためには受信機と自動起動装置の整備が必要だが、総額104億円ほどでほぼ全国を網羅できるとも。自治体が情報を受信してからかなりのスピードで住民に報知可能なシステムとも。しかし全国の市町村での約4分1が未整備。安全・安心の「国民保護」へ―。

(2月12・15日号掲載)

◇若い記者から『風林火山』見ていますか、と質問された。「見ているよ」と答えたが、それ以上の会話にはならなかった。ドラマは後に甲斐武田信玄の下で軍師となる山本勘助が主人公。まさに戦国時代、それでも人々の生き方のようなものが見えてくる◇「家」を兄が継ぐのか「弟」が継ぐのか。異なる家々で異なる選択の様子が描かれる。今風に言えば、「仕官」するというのは、さしずめ「就職」するということ。どこの「国」(会社)の社長である「国守」や「領主」の下に勤務するのか。兄弟の身の振り方も異なってくる◇「敵」「味方」に分かれる場合も。「血筋」を絶やすな―、は「禄」を授ける方にも受ける方にもある。血筋は「家」として重くのしかかる。そこでの人々は、自らの岐路の選択の理不尽さにも係らず、「絶える」場合も多かった◇因果律は国守・領主、「侍」として分限に預かる身分にも、「百姓」、「商人」、「職人」にも及び、封建時代の男女の性差もあって現代にも及ぶ「幸・不幸」をもたらすものは。権謀術数・謀略・姦計が繰り広げられるもう一つの国盗り物語は今も。

(2月8日号掲載)

◇厚労省や農水省の動きがここに来て多忙にならざるを得ない。国民の健康と生命に係る役所、予測を超えた出来ごとが次から次へと露呈する。不二家のブランドも地に落ちた。子供の頃、「ペコちゃん」ミルキーの味が嬉しくて、噛むと虫歯の詰めものまでそっくりくっ付いてくる悔しさも味わった◇ケーキになくてはならい「イチゴ」のハウス栽培も盛んだ。しかし栃木産「とちおとめ」から基準の9倍もの殺虫剤が検出されたとか。一方、長井市のレインボープランのように、有機農業やバイオなど地道な活動の輪を住民レベルまで浸透させている地域もある◇医療や薬、介護や年金問題など山積する行政課題。少子高齢化にも歯止めはかからない。そんな中での柳沢大臣、「女性は子供を生む機械」の言葉、まるでコントロール不能になった機械的な発言、お粗末過ぎた◇一方、東北大学医学部助産学特別専攻の若い女子学生たちが、夢と使命感をもって助産師になるために学んでいる姿が紹介された。産婦人科・小児科の医師不足、助産師さんの役割は今後ますます大きくなろう。

(2月5日号掲載)

◇「野鳥保護団体」は今、肩身を狭くしてはいないか。ここに来て些(いささ)か気になる。鳥インフルエンザ・ウイルスの本土上陸に、渡り鳥がウイルスを媒介している可能性が濃厚になってきた◇野鳥愛好家や研究家はさぞ心を痛めていることだろう。研究すればする程、野生の動物が追い込まれている環境、不幸な状況に身を置かざるを得なくなっていること。「環境問題」と簡単に括(くく)ることはできる。しかし野の空を自由に飛び交い、人に夢をはこぶ鳥たちが人に悲しみを運ぶ役割を担うとしたら◇酒田の「最上川スワンパーク」は日本一の白鳥の飛来地。多くのガン・カモ類が所狭しと飛び交う。一方、夕方になると日中の仕事を終えたカラスが「街」の電線にはおびただしい群れで数百メートルも列をつくる。歩道にも車道にもその糞(ふん)が飛び散り広がる◇もし、この糞に人には悪いウイルスが混入していた場合、粉末状に乾燥したその糞が埃(ほこり)とともに人の衣服や鼻腔に入れば、「鳥」は神の化身ではなくなる。「悪魔」の使者に。小動物ともせめぎあう人間―。

(2月1日号掲載)

◇NTTコミュケーションズから「プラチナ・ライン」の案内と申込書が送付されてきた。料金割引率が記されていた。「国際電話」は掛けるところがない。けれど割引率は悪くなさそうに思える。「申し込もうか」、「そのままにしておこうか」◇目下、迷っている最中である。NTT以外のKDDIやYAHOOの社名も同時プリントされていた。電話代は利用の仕方次第で、請求額に大きな開きが出ることぐらいまでは、一応頭にこびりついている◇しかし、当初の「マイライン」契約後、他の会社の誘いにも乗らず通してきているである。電話局といえば「日本電信電話公社」が唯一だった。民営化され、NTT東西に。さらに分社化され関連会社がひしめき競い合っている◇そのあたりから流れが掴めなくなった。「それはこちら」、「その扱いは会社が異なって申し訳ございません」、と知りたいことが違う組織になってしまう◇商品の数も増え、便利さも加速するが、その便利なところまで行き着くまでが不安と不便さを感じてしまう。ラインが頭の中で一直線に繋がらないもどかしさ。

(1月29日号掲載)

◇明日が藤沢周平氏の命日、「寒梅忌」(1月25日)。10年前、某紙文化欄担当の知人が「あまり言えないことだが、藤沢さんが重篤らしい」、と夜電話をくれた。それから間もなく、庄内出張の時だった。ニュースで訃報を知った。国道112号沿いの「黄金」のバス停近くで給油◇生家を訪ねたいと思い、スタンドの所長に道のりを聞いた。「金峰山少年自然の家」の麓、高坂楯ノ下の集落に生誕地があった。数軒の家に「小菅」の門標があった。しかし、そのいずれも故人の生家ではなかった。実家はすでに市中の他所に転居していた。建物の痕跡もなく、ただの空地になっていた◇集落の南に位置する「洞春院」や近隣する市役所の支所のような所にも行き、出来るだけ故人にゆかりの建物など教えてもらった。しかし生家跡地にそれを期待することが出来なかった。地面の下から覗く枯れた草々が目に入ってきた◇藤沢周平という人の「目線」の保ち方、現代人にしみ入ってくるものがなつかしい。93歳になる老婦人が病床の中にあって、いつもこの人の本を枕元に置いているという―。寒梅の庄に春近し。

(1月25日号掲載)

◇この国民的習性は、いつになったら変わるのか。「冬ソナ」と言えば「冬ソナ」ばかりを追っかけ、「拉致(らち)」と言えば、「拉致問題」が最大の国になる。署名でもしなければ、まるで「非国民」呼ばわりされそうな日本人の危険なメンタル。「危ない、危ない」。「仲良し子良し」の「お手々つないで」だ◇一方、「無関心」と「無批判」と「無作為」もやはり何十年にもわたり、あの町この町に息づいている。お任せする行政に自ら見とどける継続的目線を日常皆無にしながら◇気がついたら、「あれよあれよ」と、とんでもない方向に。経団連はじめ「経済3団体」の国民への新年のメッセージも、いつになく質感のないもの。それはどこに基因しているのだろう。コピー機から火を噴いたり、またぞろ大型車の欠陥ハブによるリコールなど、手が付けられない◇安倍さんでは「拉致(埒)が開かない」とばかり、北朝鮮に乗り込んだ国会議員の一行、歓迎されたという。小泉さんが再び乗り込む話もあるとか。それもこれも経済絡みの非核への「制裁」、どこ吹く風の趣。安倍内閣中枢の未熟振りと糊塗の矛盾。

(1月22日号掲載)

◇「兜首」(かぶとくび)と戦国の武将は「敵」の頭部を切り落とす。論功行賞の証しとなっていた。「争い」の形は様々でも、最近のバラバラ死体殺人事件の頻発は目に余る。「異常社会の表れ」、などと簡単に見過すわけにはいかない◇「皮膚」に刃物をあてがうときの正常な人の感覚は、常に危険と緊張感とを合わせ持ちながら、日常生活の料理や美容・理容、また医療機関や産業界で「刃物」も危険な器具・工具や道具類として正しい使用目的と使用法で定められているはず◇「気違いに刃物」の言葉もあり、「刃物」が人を狂わせもするような事件が延々と今に続いていることに恐ろしさを抱くわけである。バラバラに切り刻むという行為の時間の流れに、その当人の意識の流れはどのような状態であり続けるのだろう◇中学の理科の実験でカエルの解剖の時間があった。エーテルを嗅いだだけで気持ちが悪くなった。手足をピンで止めるときですら、尋常な時間でないことを感じていた。フランスに留学中の日本人青年が恋する人をバラバラにして食べたという猟奇殺人もあった。ブリキの玩具を分解する子供の所作と訳が違う現代人の「分解」は謎だ。

(1月18日号掲載)

◇2007年1月9日、現行「日本国憲法」下における「防衛庁」が「防衛省」に移行した。初代防衛大臣には久間章生衆議院議員(直前まで防衛庁長官)が就任した。旧「大日本帝国憲法」下の陸軍省と海軍省にも、それぞれに大臣がいた◇敗戦後の昭和25年、警察予備隊編成、同27年には保安隊となり、「自衛隊」がスタート。冷戦下東西両陣営の狭間で、無防備な敗戦国の戦後復興には警察力だけでは心もとないと、アメリカの意趣により保安力増強策が◇かつての軍国主義の痛手から解放されたばかりであった。民主教化の新しい波に沸き、高度成長に向かった。明治維新前後、それまで律令体制の8省からなる朝廷では、「兵部省」の長官(兵部卿)には正四位下相当の身分で公卿もしくは皇族が就いていた◇「官制大改革」を経て、1872年(明治5年)には「兵部省」が廃止され、強兵の「陸軍省」「海軍省」の2省に。このたびの初代防衛大臣の出番がない世の中であって欲しい。紛争が起きないように事前から平和の「省」を肝に銘じて。

(1月15日号掲載)

◇ 「元旦」の太陽が午後になると朧月のようになった。月ではなく正真正銘の「太陽」である。年の初めに、とその柔らかい光をカメラに収めた。山形盆地を眼下に、遠く朝日や月山の稜線がしっかりと見えた◇あの静けさに充ちた峰々から伝わってくるもの、〈世〉の〈変動〉や〈喧騒〉とは大よそ対極のもの。何ものをも間に介さない際立ったもの。視界全体が不思議な神殿空間となる―。そこからはまた〈祈り〉をも導いてくれる。〈神〉と〈神々〉の宿り来るところ、「人」の足元からと◇この正月、印象深い文章に出会った。スイスの地理学者アーノルド・ギョの考えを明治の先人が引いていた。そこには、「蒙古(もうこ)人種の特性を叙していわく、彼らの脳髄は事物の実益を見るに敏にして、抽象的真理の攻究に及ばず」と◇さらに、「蒙古人種は、事実の真価を定むるにあたって、実益上に現わるるその結果よりして、その中に含容せらるる真理に依らずとなり」と。痛いところである。人々の様々な〈御利益〉の祈りに、神々の多忙さも尽きないほどに―。

(1月11日号掲載)

◇従来の「談合」の必要悪との現実認識が変わろうとしている。法に抵触し談合罪が明らかになった時点で制裁の責め苦に遭うことになる。談合は受注をめぐり、これまでいわば業界企業それぞれの業態を維持し得るように、と日本独自の知恵そのものの体をなしていた◇明治22年に施行された「会計法」(旧法・明治22年、現行法・昭和22年施行)は、公共調達の枠組を規程、旧法の枠組が今も活きているその現在がおよそ明治の世と異なる今日の公共調達の多様化・複雑化に対応できずにあり続けること◇従来型の話し合いは昭和50年代以降、「独占禁止法」(1947年施行)による消費者保護法的性格と価格競争への偏り傾向から国際情勢と国内情勢の変動に翻弄され数奇な運命を辿らざるを得なかった―、と桐蔭横浜大学法科大学院教授は「談合問題とコンプライアンス」で指摘◇受注者・発注者・納税者の意思は十分に疎通していないばかりでなく、三者間においていつしか不信が芽生え、公共事業が肩身の狭いところに押し込められる状況を生み続けるとしたら、自主業界の道なお茨の道―。

(12月21日号掲載)

◇テレビで『信貴山縁起絵巻』(国宝)を見た。絵巻は日本三大絵巻の一つ。3巻から成り「飛倉(とびくら)ノ巻」(山崎長者の巻)を夏目漱石の孫で漫画家の夏目房之介氏(56)が実に分かりやすく解説していた◇まず巻物に描かれている最初の人物の「目線」に着目、その視線の先に向かって行く先々の場面の変化を絵の中のストーリー展開に沿い導いてくれる。幼くして別れた僧命蓮とその姉尼公の再会や、命蓮の祈念・秘術によりその神通力の威力発揮◇醍醐天皇の病気治癒や富者の倉米を風が舞い上げ、貧しい人々へ引き戻すなど、当時の説話がスペクタクルなものに。夏目氏が独自の〈分析手法〉で一種の絵画の謎解きを。絵巻の作者は鳥羽僧正とも言われるが、定かならないという◇平安末期に描かれたこの絵巻、広げると1巻の長さ約8b、「延喜加持ノ巻」は約13b、「尼公(あまぎみ)の巻」は約14b。郷里が信濃の命蓮・尼公の姉弟、庶民の信仰が奈良の地で今に息づいている。大和絵もこのように紙芝居を見るような感覚で眺められる。面白い。清水寺の今年の漢字も「命」−。

(12月18日号掲載)

◇物差しを変えれば序列も変わる。人に順番を付けないに越したことはない。現実は付けたがる社会・学校―。数歩譲っても、学校の成績と人格は別であることを大人自身が見分けが付かなくなっている。好成績者必ずしも秀でた人物とは限らない◇これからの若い人に向かって親が成績のことで何かと口うるさく愚痴(ぐち)ることの賢明でないことが、いよいよもって鮮明になってきた。そもそも、学校をランク付けにし、学んでいる者に評価付けすることが、こちら今日の教育界の最大課題と思っている◇かつてクラスには知的リーダー、体力的リーダー、生活的リーダーがいてうまく相互に噛み合い補完し合い、機能していたのに比べ、世の中の〈個〉の意識強調とともに親は子のポジションを気にかけすぎるか、もしくはその余り本質を置き忘れ、自身に苛立ちを込める◇〈自由〉の世に不自由を大人が見せ付けている。世の中には目から鱗(ウロコ)が落ちるようにと、すっきり序列化するなどの試み自体がそれこそ害あって益なし。子供たち自身の変わらぬ物差しこそが差前(刀)のはず−。

(12月14日号掲載)

◇「日米安全保障条約」が1951年12月11日に締結された。60年安保、70年安保、80年安保を経て今に。当初、米軍の日本駐留が日本防衛の義務を持たない片務形態であったものから双務的形態に変わり、日米の軍事協定はさらに強化の一途◇アメリカがもし他国から攻撃されれば、日本はアメリカを支援する形態に。そのための法整備が今も続いている。しかし、アメリカの敵は日本にとって必ずしも敵と思われなかったならどうなのか。この辺が主体性の問題に通じて来る◇イラク問題がいい例だった。「敵」にさせられる怖さを孕(はら)んでいるのである。アメリカの「敵」が日本にとっても「敵」と一様になるならば、日本の安全はアメリカの不安と共に歩むことになる。不安を共有することが強制させられる仕掛けにはまることに◇この種の不安は、日本人の精神構造の深いところで分裂をもたらす。矛盾を孕(はら)んだ構造のまま、何かうごめくままに、非主体的に〈呑まれ〉ていく。未決の課題を一人ひとり抱えながら。今年も終わろうとしている―。

(12月11日号掲載)

◇児童・生徒の給食費滞納・未納者、国民年金・国民健康保険料の不払い者などの実生活上における奇異な現象が話題に上っている。不思議なことは、高級車を乗り回す親、その子弟の給食費が払えないというのはどう見てもおかしい、と一般の人は思う◇「給食はいらない。その代わりうちは弁当を持たせてやる」という親もいるかも知れない。何か子供さんの健康上の理由からとの場合もあるだろう。が問題は、そういうものではない。明らかに保護者の支払義務の意識欠如によるものである◇山形県のある市の17年7月末現在の集計によると、給食費滞納・未納者は児童・生徒総数に占める比は、小学校で0・09%、中学校で0・08%という数字が示されている。生活保護世帯における児童・生徒ばかりでないところに親の責任問題に行き着く場合がある◇高齢化社会となり、国民年金・国民健康保険料の未納者が今後増加する勢い。払いたくとも払えない事情は給食費の滞納の問題以上になるかもしれない。お年寄りが怒りを込めて立ち上がっている。社会保険制度の躓きからの是正は―。

(12月7日号掲載)

◇「現場主義」というブログが新聞紙面にあまり出ない話題の宝庫となっている。その中で例の「タウンミーティング」のやらせ企画に係わる裏の仕掛けが具体的に記述されていた。本欄でも以前触れたが、やはり超大手広告代理店の電通と朝日広告社が係っていた◇やっぱりと思った。ブログの書き手は記していた。「タウンミーティングが始まった平成13年度は電通が随意請け負い、48回のタウンミーティング代9億3932万9395円。1回の開催にあたり平均1956万円にもなる」と◇そして、「13年度に行った電通の明細は内閣府がまだ出してこない」とも。「最近16〜18年度は朝日広告社が独占状態」という。情報は「情けに報いる」とも言われ、どのような「報い」「報われ」方かは事柄と状況によって大いに異なるのは想像がつく◇問題は、税金の使われ方に行き着くばかりでなく、どうしても企画の盛り上げにのみ力点が注がれ、企画の成功を演出する手段が先行する。〈選挙〉も同様に企画会社の演出でことが運ばれる時代に薄ら寒さを覚えるのがこちらの本音である。

(12月4日号掲載)

◇なぜか今日は「カメラの日」という。厳密な記念日なのかは疑問。何でも自動焦点カメラがコニカから爆発的に売れたのに起因しているらしい。16世紀、当初絵画の下絵用として発明された〈カメラ・オブスキュラ〉◇針穴に付けられたレンズから結ばれる倒置像の〈暗箱〉式の方が記念日にふさわしいのに。写真術の幕開けこそと思う。レンズ交換式の一眼レフもそうだが、初めてポラロイドカメラを手にしたときにもそれなりにびっくりしたのだが◇今ではありとあらゆるカメラの種類、それだけでも驚きだ。あの『カメラがほしい』の著者・赤瀬川原平氏の〈思い〉にこちらも重なってしまう。知人が二科展の写真公募に入選した。かなりの腕である◇人が寝ている真っ暗なうちにいつも彼は出発する。常に外での撮影である。体力・気力・向上心に、こちらはいつも脱帽である。真冬でも写欲は一向に衰えない。挑戦する根底には枯渇しないテーマが瑞々しく脈打っているからに違いない。素晴らしい―。三脚を立ててじっくり構えて写す毎日が「カメラの日」とは羨ましい。

(11月30日号掲載)

◇11月の異名もいろいろ、霜月・神楽月・神帰月・雪見月・雪待月、まだまだある。字を見ただけで〈日本〉だなと思う。雪見月などと言うと、つい上戸の人には連想できそうな風情。それも心に余裕でもなければ抱く感懐ではない◇余裕がないからこそ、と言えなくもない。〈多忙〉はどこからでもやって来そうだ。一時、何かを遮断しなければ〈間〉が持てない場合もある。何を遮断するのか選択するのも手と思う◇日常の細事から少しだけ身を逸らし、気分を変えての気晴らし〈移動〉。手身近な散歩からドライブ、旅行と思いは広がっていく。リタイアした友人が正月過ぎにグアム島に出かけるという。結構なご身分である。海外へ旅に―、珍しくない時代◇お籠(こも)りするための移動もある。信心深くこの冬の時期にこそ、と巡礼する人も。上司の夫人が日本海の越前・越中・加賀を巡りたいと洩らしていた。冬の永平寺にはこちらも一度は出かけて見たいと思う。シーズンオフならさぞ深閑としているだろう。この冬、越後が生んだ横山操や斎藤真一の絵に触れるのもいい。

(11月27日号掲載)

◇「アウト・ドア」の好きな人にはそれぞれのこだわりや得意分野がある。釣り好きの人には愛用の道具もその一つ。それに伴う仕掛け糸の様々な結び方は基本的な修得技術の一つ。山に登る人やキャンプでのザイルや細引きの様々な結び方も◇修得していないばかりに、危険がすぐに背中合わせにも。実施訓練の積み重ね以外に、体に覚えこませる手はまずほとんどない。釣りも、山登りも少しかじったばかりのこちら、初めの頃には夢中で覚えようとした◇覚えたつもりが今では全く役に立たない。収まりの付かない結果になる場合の方が多い。悔しい限りである。年寄りが元気だった頃、人様の庭木まで世話をしていたのに、健康を害してからというもの、それが出来ずにいる悔しさを側で見ていて、事柄は違うが無念さは理解できる◇ホームセンターから庭木用の縄を求めた。〈男結び〉のにわか特訓である。〈俵結び〉と言うんだ、と年寄り。縄の様々な結び方を伝授してもらうチャンスを逸してきた。今となってはもう遅いのか。挑戦する意欲はある。休日の時間調整にも気を配る冬―。

(11月23日号掲載)

◇地球そのものが『世界遺産』と思える今日、各地での世界遺産登録に向けた運動が盛んだ。そして本県の「出羽三山」が本格的に世界に打って出ようとしている。東北では先に奥洲平泉が視察団を迎えた◇その運動は既に登録されている白神山地(1993年)に続くものとなる。白神もそうだったが、知床も登録された途端、それまで以上の人の踏み込みから、人的による荒廃が同時に進むという逆の現実も一方に生じた◇自然の〈聖域〉は、それ自体が風化し、変貌し朽ちる可能性を孕んでいる。だからこそ保全と保護の理念は尊い。「地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から引き継がれた貴重なたからもの」とユネスコはいう◇東北芸術工科大学を中核とする「東北学」の構築ともいえる、日本文化とりわけこの陸奥(みちのく)出羽の地から人類・民族・族姓をその源まで遡上し、最上川が母なる生成過程を示してくれるように、人と自然と宗教が織り成して来た歴史と文化の、いわば最終地が「出羽三山」に象徴帰結する「新しい日本文化像」創造の動勢に注目したい。

(11月20日号掲載)

◇子供たちよ、そんなに簡単に死ぬなよ!世の若いお母さん方よ、腹を痛めて生んだ我が子を、男が出来たからといって虫けらのように殺すな!お子たちよ、君たちを追い詰めたのは一体だれなんだ―◇親や周りの大人たちのせいか、社会のせいか、そう思ってもいい。殺された子哀れ!仲間から追い詰められても、少年少女子供たちよ、死ぬのだけやめよ!死に追いやった同級生や先輩たちよ◇こともあろうに教師よ、このままであなた方の人生は済みません。「僕が、私が彼や彼女たちを追い詰め、死なせたのだ」、それを自覚出来なければ、またまた繰り返す◇子たちよ、耐え切れず〈死〉を選ぶことのみで終るな!それでは余りに惨めではないか。君たちの選んだ〈抗議〉も苦しみからの〈脱出〉も、この小父さんたちから見れば余りに早急すぎる◇首の吊り方だって、この小父さんすら出来そうにないことを、いとも簡単にしてみせるなんて−。ガラス細工のような心の子たちよ!爪を立ててでも自分自身に生きのびよ!文科省の役人たちよ!、義務として一度、小・中・高の教壇に立って現場研修せよ―。

(11月16日号掲載)

◇「青雲の志」、とかつて日本には「末は博士か大臣か」、という今では古めかしい言い方があったとか。「とか」を付けてもおかしくない感覚の世。それほど今日の現代社会は揺れ動いている◇若い人の目的意識は、世のありさまと同様に混沌としている。高学歴の志向と言えば聞こえは良い。しかし閉塞感から逃げ出すように唐突に勢いに任せての「チャンス」狙らい。そういう「野心家」も少なくない◇しかし「高望み」をたしなめるより「望みを高く」持ち続けることの意味は今も通用する。薄れているわけではないのだろうが、若者が無気力や厭世の思いに浸っているより、機を見て抱く理想へ―というのは大いに尊重したい◇政界には今様刺客が出るご時世、芸能・お笑いの世界に転じても特におかしくも何でもない今日。権威・権力・名を上げることへの果てしない願望。「自己実現」などと小難しい言葉を噛み締めるより、先に行動して得たものの勝ちなどと。そう自覚して臨んでいる若者も確かにいる◇人が抱く目的や目標の正統性も実にその人の価値観で多様に異なってしまう。〈もっと大きいものを望んで手の中にあるものを投げ捨てるのは、考えの足りない人だ〉(『イソップ寓話』ナイチンゲールと鷹)の喩え話もあるが、鷹に限って高望みはなさそうだ。

(11月13日号掲載)

◇「静かな静かな/里の秋/お背戸(せど)に木の実の/落ちる夜は/」(童謡・里の秋)、と日本の秋景色を唄う一行を思い出した。小さい頃からこのお背戸の意味がわからなかった。家の裏門・裏口と辞書は教えてくれた◇裏門のある家など、思っただけで何か広い屋敷を想像してしまう。都会の閉ざされたような、ちんまりした現代家屋から思い浮かべるのは困難だ。田舎の秋にこそ、この童謡が似合っている◇休日の早朝、鳥居カ丘公園のわきを通り、竜山川に架かる橋を渡って東に折れると、そこには旧家らしい蔵つきの家屋敷が数軒並んでいた。門構えの家ばかりだ。お背戸はどこに◇そう思いながら国道13号山形バイパスに出た。少し早足のウォーキング、人様の屋敷の奥まで覗き見するわけにはいかない。秋の柔らな朝日が千歳山から注ぐ◇この一帯が昔田畑だった頃、農家の人は2里(8`)も離れた街中まで牛に肥え桶を積み、汲み取りのために往来した。稲刈りが終わると、刈上げ餅を必ず届けてくれた。衛生車が出現する以前のことである。〈口あきて道草(あけび)は泣けり霧の中〉(殿村菟糸子)。

(11月9日号掲載)

◇知りあいがホームページを開設したというのでアクセスしてみた。グリーン系の整った配色がいかにも清々しい。そこには「コメント」とか「トラックバック」とか、こちらその機能や意味もわからず、脇のゴシックの英語スペルをクリック◇それぞれの括弧内には「0」とか「2」とかの数字が付いていた。その数字を何気なく押したのであった。そして驚いた―。そこには、到底本人の記したものとは思われない奇怪な文言が張り付いている◇最初は「誰かのいたずら」かと思い、数日後にその数字が消えていたが、また、張り付いている者がいた。犯人は誰か。もちろん、いたずらか悪意に満ちた人の中傷としか思えない◇しかし、いわゆるブログという日記のようなものには見る人も注意をしなければと思う。多くの誤解を招きかねない「語り」が潜んでいるのである。これはPCの達人に聞いた話◇気軽に小学校のこどもでも自分のブログを持っている時代。それが「事件」の原因になったり、人を死へ追いやっている場合もある。主張する時代のまさに正と負、表と裏、明と暗の表裏。怖い、怖い世―。


(11月2・6日合併号掲載)

◇共同通信発の夕刊記事を読んでいた若い職員の脇を通ったとき、何気なく大理石らしい胸像彫刻の写真が目に入ってきた。後でその記事を読むと、古代ギリシャの哲学者アリストテレスだという。哲人の叡智あふれる面差しに、しばし見入った◇この胸像は「1世紀から2世紀初めに作られた複製」とのこと。これまで写真でも複製の原型となる胸像などは見たこともなかった。何でも記事によると、ギリシャのアクロポリスの発掘調査の際、これまで19点ものこの哲人の胸像を発掘してるらしい◇しかも、いずれもが今回発見されたもの意外は顔面部の「鼻」が欠けているものばかりだったらしい。今回発掘され、発表されたものには完全に「鼻」が、しかも「わし鼻」がしっかり付いている。精悍な顔立ちに見える◇日本人の中にも、街を歩けばこのアリストテレスのような風貌の人に出会うときがある。さすがにアレキサンダーの家庭教師だ。その『詩学』中で、「悲劇の機能を論じて観客に感情のカタルシス(浄化)をもたらす」と演劇の高揚感を是認する。『白野』弁十郎の鼻を思い出した―。

(10月30日号掲載)

◇「いじめは必ずある」と学校管理者は踏んで現場に臨んだ方が賢明の時代である。これまでの教育現場は、何事も綺麗事が当たり前、それが当然という学校特有の価値観のなかで事が進められていたのではないか◇保護者を含めた社会もまた教育現場での「不祥事」や「事件」、「事故」のいずれもが学校管理者が1番避けて通りたいものであることを知っている。教育責任者は、鬼門であるこの「3つの事(こと)はじめ」をまず波風ないようにと思う◇何より責任問題や裁判沙汰、補償問題などに発展する拗れを最も恐れる。事柄の因果関係を客観的・時系列的に理解・把握するよりも先に責任が身に降りかかる恐れの心理の方が先にたつ。組織としての教育委員会の情動◇最初から隠蔽(いんぺい)し隠し通すということは闇に葬るということになろう。確かに「教育委員会」の委員は単なる名誉職であってはならない。学校現場への強い〈管理〉や〈指導〉、身近なはずの子供たちが実は一番遠くのところに置かれているとしたら。教育現場での混迷は直続きそうだ―。

(10月26日号掲載)

◇今の世の中、「右」も「左」も偏屈(エキセントリック)になったら、益々大変な状況に陥っていきそうだ。生き地獄の状況にならぬように、と願いながら世界と日本の動きには一寸でも目が離せない。視点は、足元からのはずだが官も民もうろたえてしまう出来事・事件が多すぎる◇北朝鮮への全世界が呼びかけているメッセージ、6カ国協議への参加呼びかけは、筋からも動勢からも無理な話ではないはず。早くテーブルに着いてと思う。居丈高でない世界からのメッセージをかの国の指導者は勇気をもって恐れず、それこそ英知・英断で理解を示すのが一番良いはず◇〈核〉はどこの国も持たないことだ。アメリカ然り。ロシア、中国、フランス、イギリスも。国連常任理事国が〈核〉を持たなくなり、世界もまた、「我もわれも」とならないように、「青い地球」が吹っ飛んでしまわないように◇ボーダレスの時代、核による均衡・抑止力が必要などと思わないですむ世に。大国・小国の垣根なく〈核〉によって身を守ることを選ばず、為政者たちには真の勇気を―。

(10月23日号掲載)

◇知人が飼っている池の金魚が飼い始めてからすでに「20年生き続けている」という。本当だろうか。信じられない思いだが、「大げさ」を少し差し引いても「嘘」ではなさそうだ。お世辞にも手入れが行き届いている池とも思えない。水は雨水だけで濁っている◇金魚に思い入れはないのだが、春に荒れ放題の我が家の池に2匹の金魚を放ったら、何と7匹の子供を生んだ。生んだというより、多くの卵のうちから成長した稚魚、今では4センチから大きいので5センチの兄弟・姉妹の7匹である◇こちらも雨水だけ。自然と生えた藻のようなものを食べて育っているのだろう。小さな虫などをも食していると思われる。ほとんど一切手を加えないのだが、これからの寒さなどを思うと些か心配が先に立つ◇年寄りが水槽で飼っていた2匹が9匹に。なんだか家族が増えたようで嬉しくなった。こちら鬱(うつ)気味の頃、やはり知人の真似をして熱帯魚飼育に凝ったときがある。エンゼルフィッシュを飼育して増やした。煉瓦の産卵場にひしめく赤ちゃんフィッシュ、あの稚魚たちの子孫、今もどこかになどと想像してみる―。

(10月19日号掲載)

◇金正日の影武者が少なくとも二人はいるという。真実はそれ以上かもしれない。彼ら影武者の出番も場面に応じて異なり、危ないところには影武者が据えられる。かの国の体制がもたらしている誤謬は、国民に基本的な〈衣・食・住〉への手だて不十分のまま肥大な超軍事国家に納まっている現状であろう◇一部の特権階級はもとより子供まで、今では耳慣れない〈将軍様〉の呼び名で賛美し、それをテレビで意図的に全世界に向けて放映する国。その将軍様が〈核〉を日本とアメリカ、それに韓国に向けて何時でも放つ準備を強調して見せ続ける◇過去の世界史で〈経済制裁〉が行なわれて〈戦争〉にならなかったことはなかった。精度・確度の如何に係らず、かの国の最後のカード、〈核〉の暴発がもたらす脅威は、それだけで人類・地球への破滅行為に直結する◇かの国の市民、そして人類を巻き添えにしてまで〈体制維持〉する〈独裁・世襲〉の暴挙は、いよいよ国際社会から受け入れられなくなる。北朝鮮から発する〈核〉によりソウルが火の海、日本が沈没することのないように願う。

(10月12・16日合併号掲載)

◇山形市で開催された如水会山形支部主催による「背広ゼミナール」に参加した。3日目の『山形県経済を支え共に歩む金融業界』で、講師の鹿島耕氏はこれから地域金融機関に求められる役割として、3つ挙げた。そのなかの一つ、金融業の「付随業務」と「周辺業務」において知恵を提供しつつ、「固有業務(伝統的業務)」による支援を行うとし、「お金を貸す前に知恵を貸すこと」と述べた◇そして仕出し弁当製造販売の「玉子屋」の経営哲学を紹介し、〈事業に失敗するコツ12箇条〉を列挙した。第1条、旧来の方法が一番よいと信じていること。第2条、餅は餅屋だとうぬぼれていること。第3条、ひまがないと言って本を読まぬこと。第5条、稼ぐに追いつく貧乏なしとむやみやたらと骨を折ること◇第6条、よいものはだまっていても売れると安心していること。第8条、支払は延ばすほうが得だといってなるべく支払わぬ工夫をすること。第9条、機械は高いといって人を使うこと。第10条、お客はわがまま過ぎると考えること。第11条、商売人は人情は禁物だと考えること。第12条、そんなことはできないと改善せぬこと―。

(10月9日号掲載)

◇宮里藍のファンではないが、日本女子オープンでの2連勝が出来なかった。勝っても負けても勝気な口調の彼女だけに悲壮感はない。卓球の愛ちゃんは幼い頃の面影を残したまま早大生になるという。清潔感溢れるハンカチ王子の斎藤選手と同学年になるのだろうか。なんとなく嬉しくなる◇そして相対した北海道駒大付属の田中投手、本人の第一希望ではなかったかもしれないが、「楽天」に。しかもあの巨人の桑田選手が付きっ切りの指南役にとのニュース。これがまた面白い。名伯楽への第一歩となるか。「楽天」だって負けてばかりはいられない。チームで行なうスポーツ競技、もちろんチーム第一とはいえ、目当ての選手にファンは熱い視線を。一喜一憂する楽しみがあるのだ。思いつくまま、さらに◇新庄選手のパフォーマンスは、もうそれだけで記録に残るようなもの。〈独創〉選手はまだ独走し続けそう。誰も真似できそうにない。有名無名を問わず行動する人の元気・不元気、ファンはこれを目にすることができる。「体育の日」をイメージして第2の心臓足の裏からまず一歩を「外」に―。

(10月2日号掲載)

◇板谷峠に隣接する福島県に激震が走リ続けている。佐藤栄佐久福島県知事がついに辞任に追い込まれた。同県発注工事に絡む一連の談合・贈収賄事件のいわば〈責任〉を取った形◇かつて『黒い湿った土』を著した詩人K氏は、郷里伏拝の地より北、隣県の置賜や山形の地に思いを馳せていた。早くより企業の〈共同幻想〉を懸念していた。彼が記者時代、福島県庁のロービーで「山形はいいな―」と◇「福島は関東ロームに続いている―」、とこぼした。その言葉が「峠」を越えて、いま再び胸に響いてくる。開けた大地の南は一層首都圏に近く、人の本来の発想と手法が〈陸封〉になり得ないとばかり、その「中通り」の風通しのよさが羨ましく、白河以北が嘘のように思われた◇だが、昨今の建設業界が置かれている厳しい環境からみれば、首都圏に近いとは言い難かった。業界・企業自ら多くの努力を重ね、自己変革を試み実践もして来ていたはず。しかし生き残りをかけた「知恵の輪」も、「峠」の向こうの出来事とこちらからは見えにくかった。

(10月2日号掲載)

◇政治舞台、まさに「小泉劇場」の5年間であった。目の当りに国民はまるで「観劇」の観客そのままに終始した。本来、舞台の主役が国民のはずなのに、自らが主役の重さより「眺められる主役の方がいい」、と忘我劇場空間に時を忘れるほど。天才的主役・観衆と化したのはどこの誰か◇委ねることの好きな主役の一人ひとりになってしまったのか。一人ひとりの役回りの重さがあろうに。何時の時点から慣らされてしまったのか。思い出して記憶することにしよう、あの〈シナリオ〉の場面々々を◇たとえ、一行のト書きであれ、台詞のない主役の声なき声が木霊するその声をもう一度、思いおこしたいと思う。人の主役がそれぞれ自身であることを。5年間の「劇場」の中から見えてくるもの。まるで見たこともない「舞台」と「観客席」、これまで酔い続けてきた◇「あれよ、あれよ」と言うまに何かが変わった。一人舞台の幕引きに気が付いたらハーメルンの笛の音に従う人面鼠が海に落ちるのか−。

(9月21・25日合併号掲載)

◇『方丈記』(鴨長明)を読んでいたら見慣れた字句を目にした。「また、治承四年水無月のころ」(福原への遷都)のくだりで、「古都は既に荒れて、新都は未だ成らず。ありとしある人は、皆、浮雲の思ひをなせり、もとより、この所にをる者は、地を失ひて憂ふ。今移れる人は、土木の煩ひある事をなげく」と◇〈土木〉の文字。当時は「ドボク」とは言わずに「トボク」と発音していたらしい。新しく移住してきた人々は土木工事の苦労のあることを嘆いている。また、安元の大火(1177年6月3日)、治承の辻風(1180年6月)、養和の飢饉(1181年頃)、さらに元暦の地震(1185年)と都は災害に見舞われ続けた◇長明はことの事実を直視する。「大きなるも、小さきも、一つとして破れざるはなし。さながら平に倒れたるもあり、桁・柱ばかり残れるもあり。(略)家の内の資材、数を尽くして空にあり、桧皮・葺板の類、冬の木の葉の、風に乱れるが如し」と記述する◇そして、「辻風は常に吹くものなれど、かかることやある、ただ事にあらず、さるべき、ものの諭しか、などぞ、疑い侍りし」と神仏の諭しかと畏怖。21世紀の辻風なおも続く。

(9月21・25日合併号掲載)

◇今、「方丈記」や「徒然草」などの古典が静かなブームとか。その気になって鴨長明や兼好法師の心境になどと、程遠い夢を見る。深まる秋の季節にこそ若いとき巡った京都・奈良の寺社に思いをめぐらしたくなる◇遁世の先駆、長明が庵を結んだ洛北の地、大原山や日野の地に。また相良郡の「九体寺」と呼ばれる浄瑠璃寺など。その鄙(ひな)びた庭園の池に映る簡素な阿弥陀堂◇秋篠寺の技芸天には古拙とも見える優雅な笑みが。古刹(こさつ)には歴史が覆いかぶさるように、その地に苔深く広がる。時の朝廷や幕府の威光に左右されながら◇〈やうやう夜寒(よさむ)になるほど、雁(かり)なきてくるころ、萩の下葉色づくほど、早稲田(わさだ)刈り干すなど、とりあつめたる事は秋のみぞ多かる〉と兼好法師。その兼好が秋には〈古典〉を読みたいという◇隠者のもう一人の名手、米国の19世紀の「森」と「生活」の思想家ヘンリー・D・ソローの著書「森の生活」には、欧米人の合理的思考のせいか〈もののあわれは秋こそまされ〉というより、目一杯の生活の知恵と苦しくさえなる。

(9月18日号掲載)

◇久方ぶりに最上路を走った。走ったといっても車でだから、時間と距離は人の脚で走る比ではない。仕事で毎日、200`も300`も運転する立場の人はそれだけでも一仕事、景色を愛でる暇(いとま)もないかも知れない◇しかし、新庄市内を通り過ぎる頃、柔らかな白色の蕎麦畑が隣り合う稲田の広がりとほどよく溶け合い、確かな色合いの田園風景を醸し出していた。信州に勝る蕎麦の産地をいよいよ強く感じる思い◇11月には新そばがお店に出回るとのこと。楽しみは先に取って置くことにしよう。秋田県境へ向く車も多く、昔、峠越えの難所も新しいトンネルや美しい線形の道路が延びて行く。「道」は人と人とを結びつけてくれる◇上野から夜行列車で帰郷の際、山形駅で降りるのを寝過ごし、気が付かずそのまま県境を越え「院内」まで来て初めて「しまった―」、との想い出がある。「最上」は今でも「及位」(のぞき)を境に本県最北の地◇これも新たな「道」により今日的に変わっていく。この地の資源が活かされ育っていく。「かくて金山より及位に至らんとするに・・・、のぞきに至らばあす院内へ・・・」(「雪ふる道」)が時空をよぎる。実りの秋近し−。

(9月14日号掲載)

◇ニューヨークでの同時多発テロ事件「9・11」からすでに5年経った。山形市に本社がある金融機関の職員一行は、すんでのところで助かった。巻き込まれるところであったのだ。世界貿易センタービル(ツインタワー)は崩れ落ちた◇この事件による死者は2973人ともいわれる。21世紀最初の衝撃的大惨事であった。当初、そこにユダヤ系米国建築家ダニエル・リベスキンドらが関わった再開発案に不思議な眩暈(めまい)すら感じた。「フリーダム・タワー」(地上541b)の新たな超高層ビルが建設されるとのニュース◇2010年代の完成を目指していると聞いたのだった。果たして、人はどこまで望みを捨てず上を目指して伸びいくのか。新たな攻撃の目標になるからなどと、後ろ向きで意気地のないひ弱なニューヨーカーなど一人とて存在しないかのようだ◇イギリスから独立した年にちなんで1776フィートの高さになるのだとも。世界経済の変貌、価値観の違いとともに軋むもの、原油価格の高騰が人によってはマグマのように不満の噴出にもなりかねない。

(9月11日号掲載)

◇月齢で明日は満月。秋の月がいよいよ美しく見える。先の国際天文学連合の総会(チェコのプラハで開催)で「冥王星」が9つの惑星から外された。それまでは太陽系の最も外側の惑星であった。素人思いのまま、この星の名が何やら運命的な響きのする名で、以前から惹かれていた◇冥晦(めいかい)からの光を目にしたことはない。天体写真集などで目にしただけだから、魅力に富んで「見える」とは厳密にはいえないものであった。実際、人の肉眼で見ることすら出来ないのである◇この「冥王星」(冥府の王プルート)のほかに矮惑星の「セレス」(地母神)や「カロン」(アケローンの渡し守)、「2003UB」を含め12の惑星の選択肢も一方にあった。しかし天文学的には海王星まで8つとなった◇その新しい惑星の定義は、「太陽の周りを回っている。質量が十分大きく球形をしている。軌道上で圧倒的に大きい」と。「冥王星」は直径が約2300`bと地球の約5分の1しかないという。「12」の惑星に表象的意味合いを探すのも途絶え、「セレス」からの光もいまや届かない―。

(9月7日号掲載)

◇先日、山辺町大蕨(おおわらび)へ棚田の写真を撮りに出かけた。『日本棚田百選』に選ばれているところ。稲の葉はまだ緑色、これから秋が深まるにつれ、日一日一日と黄金色に染まっていくのだろう。途中、山辺町立鳥海小学校と山辺町立中中学校の校名を記した看板を目にした◇中学校の方は中と中の字が一文字か二文字分だけ離れて書かれていた。続けると「中中」である。角川の地名大辞典を開いてみた。明治22年、ここは北山と大蕨が合併して「中村」と呼ばれ、村政がしかれていたところ◇棚田に向けたカメラのアングルがなかなか難しい。車を置き、そのまま山に向かい傾斜のきつい農道を昇った。それでもいい具合での棚田の空間を見出しにくくレンズに切り取るまでにはいかない◇途中の玉虫沼に戻り、武田信玄の祖父弟といわれる武田信安が築堤したといわれる「沼」に。そこに伝わる玉虫姫の伝説を知った。身近なところにドラマがあるもの。姫と山辺勝信との間柄は記されていたが、武田信安との縁はなさそうである。信安の玉虫溜井の治績大。

(9月4日号掲載)

◇「宣伝」上手は「得」であり、宣伝下手は「損」である。これを「伝え」上手とか「伝え」下手と言い換えてもよいかもしれない。何かを人に周知させるための伝達の手段はいろいろある。役所における広報活動ではとりわけこの「伝える」伝え方の上手・下手がないわけではない◇特に近年、住民・納税者への事業説明は「説明責任」として重要な住民への働きかけの一つとなっている。それだけに「伝え方」、「説明」の仕方の上手・下手はその役所の「イメージ」を住民はストレートに感受してしまう◇ホームページの表現内容や紙媒体における投げ込みしかり、送り手も受けても要領を得た内容の伝達は以前にもまして濃密となり、消化仕切れないほどの情報量となってきた。しかしそれであってすらやはり直接的にと◇住民もしくは報道機関が、特に役所から「説明責任」をもって伝えられるその伝えられ方に、ときにイライラと苛立つのは何故なのだろう、と思うときがある。説明の仕方や話し方によっては、伝わるべきものもよく伝わらずに終わってしまう―。説明上手は不可欠。

(8月31日号掲載)

◇デジタル画像ではないが普通のテレビも見れ、また電話器まで組み込まれている一体型(タワー無し、キーボードのみセパレート)のパソコン、「CanBe」(キャンビー10)がNECから発売されたときすぐに飛びついた。今も健在である◇もちろん幾世代も前の製品、骨董品のようにわが部屋に鎮座している◇「Windos95」と古いが、手放さずにいるのはまだテキスト入力作業などには十分使えるからだ。疲れたときにはTVにクリック。可愛い記念品的存在である。物持ちが良いというのではない。諦めの悪い使い手の性格によるもの◇付いてきた何枚かのCD-ROMの中には、色々なソフトが。英会話学習用に「ポカホンタス」なども含まれていた。もちろんきれいにまだまだ見れる。「レオナルド・ダヴィンチ」の一枚も健在だ◇その後、IBM機を購入したものの、そのOSである「98」も古くなり、来年に出るといわれる「VISTA」には馴染まないことを思うとサイクルの早いこと、早いこと。目が回る―。身辺の整理もPCの整理もままならずに時間ばかりが過ぎていく。

(8月28日号掲載)

◇仙台市立博物館で開かれている展覧会『ポンペイの輝き』が9月3日でその会期を終える。8月24日の今日(西暦79年、イタリアのヴェスビアス火山が突然噴火)、古代ローマ都市の一つ、ポンペイは滅んだ。あっという間に人々は火山灰の下に◇掘り起こされて今に伝えられる遺品や遺物に一体何を見るべきなのだろう。うず高く積もった灰土の中から、当時の「衣・食・住」空間を垣間見るか、それとも彼の地の壁に記される人望を懸けた被選挙人の名か(いまでいう選挙ポスター)、睦み合い、憎しみ合う生身の人間の動勢の停止◇A新聞南部販売所(山形市)が読者へのプレゼントとして、入場券の希望者を募った。求める人が多く2次応募にやっと間に合う。今夏、高速自動車道利用者が増えたという。福島の友人は家族して山形を素通りし象潟まで来た―、とわざわざの電話◇庄内の岩ガキに舌鼓をうったという。鳥海山噴火による溶岩は日本海に流れ込み海底に這う。そこに湧く山からの真水で海は確かに潤っている。地球にへばり付く人類である。「大噴火の日」という。

(8月24日号掲載)

◇お盆休みの数時間を蔵王坊平キャンプ場で過ごした。持って行った携帯ラジオから「第61回全国戦没者追悼式」の模様が流れてきた。音量を控えめにしても電波がよく届く。山の中のため一層すっきりと耳に入ってくる◇時折、若いアスリートたちが整備されたコースを駆け下りて行く。キャンプ場の周辺には山百合が咲き、ひと際下界の騒々しさを遮断してくれる。額縁の小さな写真をミズナラの木陰にそっと立てかけ、好きなワインとビールを注いだ◇「盆」というといつもある絵を思い出す。丸山応挙のような「幽霊」の絵だ。ある年の正月、仲間数名とN教授宅(寺院の庫裏・教授は住職でもあった)を訪ねたときのこと、奥座敷から一幅の掛け軸を持って来て、それをなげしに掛けた。まさしく寄る辺なく漂う「霊」に見えた◇下山してのその夜、西の空に流れ落ちて行く星が。あれは母親かもしれない。異界の世界に近い「盆」である。研ぎ澄ます空間が山にはある。ビデオレンタル店に足が向き、『怪・赤面ゑびす』など続けて気味の悪い数本の映像を見た。それ以上の現実社会の「怪」が跡を絶たない―。

(8月21日号掲載)

◇わが家には仏壇と神棚がある。けれど自身、神道の信者でも敬虔な仏教徒でもない。自信をもって信仰表明できるようなところにはいない。そういう人間でも言いたいことが「8月15日」が近づいてくると何故かメラメラと沸き立ってくる◇何も知らず、歴史も分からなかった時分には担任の先生から、〈靖国遺児〉の一人として学校を代表して上京させられた。あの小泉純一郎さんや安部晋三さんが詣でた九段の社、畳敷きの社殿で巫女さんからお払いを受け、宮司の祝詞(のりと)を耳にした◇いま、同じように招かれたら即座に断るだろう。理由がはっきりしてきたからだ。第一に、先の戦争を戦死した「父親」が肯定していなかったからである。第二に維新時の戊辰戦争時、この羽州が戦場と化して肉親の誰彼が命を落とし、その後の「富国強兵策」の犠牲をどうしても是認できずにいるからである。第三に、戦争にまつわる後のA級戦犯の合祀という、さらに何もかも一緒くたにした「英霊」の社殿には理屈抜きの〈横暴〉としか映らないからである。霊の鎮め方に疑義。

(8月10日号掲載)

◇「夏草や兵どもが夢の跡」、遅かりし東北の梅雨明け―。忽ち猛暑となり、各地で始まった夏祭りが目白押し。「ゆかた」が若い女性に人気とか、着こなしを伝授するアドバイザーの出番でもある。幼子のゆかた姿がこの時期一層可愛く見える。まさに夏本番◇地球の向こう側では果てしのない同じ顔形の人々同士が憎悪むき出しの戦争が。アラビア語とヘブライ語、ハム族とセム族、旧約聖書に記されているノアの3人の息子たち、「セム」「ハム」「ヤペテ」と◇イスラエル人(ユダヤ)の先祖は元々が今のイラク(ウル)の出。肥沃の地カナンと呼ばれたパレスチナを目指して行った民であった。その同じ地域での戦争は大昔から今に至るまで続いている◇欧米の「介入」と「侵略」「貧富」の増幅で「イスラエルに死を」とムスリムの人々はいう。日本人から見れば中東の人々同士の争いだが、有史以来この方、拗れに拗れて来ている対立構造は理解しがたいもの。その殺戮の連鎖は夏の「神殿崩壊日」(紀元前586年年)を民族の喪中として火を吹く。ユダヤの強烈なその意識は謎深い−。

(8月7日号掲載)

◇なるべく日曜日の夕方には『笑点』をみることにしている。ここまで来ると、もう惰性でみるしかない。立川談志、前田武彦、三波伸介、三遊亭円楽、桂歌丸と司会者が40年間に5人代わった。それぞれの時代の空気も思い出せないでいる◇司会ぶりで一番安心感がもてたのは何といっても円楽さんであった。自称、『星の王子さま』の気障な台詞(せりふ)も残酷な大人の社会への警告―、と原作者サンテグ・ジュペリのメッセージも番組中は余り耳にしなかった◇むしろそれがさわやかで、人をこき下ろす〈毒気〉も他の出演者よりは柔らかなものであった。メンバーの十八番(おはこ)、仲間の身体や年齢に引っ掛けるネタ、親アウトローと下ネタに近い売り手、薄ら〈馬鹿〉一人を仕立て、全員がそれに乗る番組の仕掛けも常套手段◇有能な林家たい平、嫌みのない春風亭昇太と若手が加わっていい感じだ。数え切れないテレビの芸能番組も疲れない程度が丁度よい。かといってこの後すぐの『番記者』は素通りで、一気に『ちびまる子ちゃん』に跳んでいく。懐かしく。

(8月3日号掲載)

◇庭木に水をかけていたとき、干乾びた小さな雨蛙がまるで蓑虫のような格好をして蜘蛛糸の先にぶら下がっていた。しかもたった一本の糸にである。一瞬モズによるハヤニエが何かの拍子に落下し蜘蛛巣に触れ、そのまま巣が壊れて下に垂れ下がったのだろうと想像してみた◇それにしても蜘蛛の糸というのはそれなりの強度を持っているとしか思えない。小枝の間に張られているネットにトンボや蝶の翅(はね)など取り残されているのを良く見かける◇しかしいくら小型のアマガエルとはいえ蜘蛛の糸に絡んでぶら下がっている姿というのは初めてだ。巣の主(あるじ)と蛙の生き死にをかけた壮絶な闘いをも想像してみた。手際の良い所作に違いない。蜘蛛巣近くの虫を狙っていたはずの蛙がへまをやって、逆に糸に絡まってしまった。身動きが出来なくなるほど◇牽引糸からネット構築の縦横の糸、そのネバネバする細い光物に蛙は気づかなかったのか。まるで女郎蜘蛛の巣にでもかったように雁字搦めの干乾蛙、蜘蛛の巣だらけの庭に西日の影が落ち、静かな観察の日が続く。

(7月31日号掲載)

◇「日本列島」に停滞し続ける梅雨前線、沖縄・九州・中国・四国から近畿と山形から見ればずっと南の地域、台風や豪雨の度に家が壊れたり流される。いつもこの季節、心配が付きまとうところ。そんな印象がこびりついている◇災害のため一生のうち何度も家を建て直す人も。畳を取り替えたり、襖を取り替えたり窓を修繕したりしなければならないとしたら。当然、家庭の経済に及ぼす影響は甚大だ。修繕費も解体撤去費も工面出来ない被災者もでてこよう◇雨露を凌ぐためには一時、親戚の家に身を寄せたり、アパートや貸家、マンションなどを探す人も。いずれは引越しをせざるを得なくなる人もいようというものだ。新たに家を建てるにしても、直すにしても被災の度に「お金」の問題が付きまとう◇昭和13年7月3日、兵庫県神戸市を中心に阪神大水害が発生した。「バケツをひっくり返したような雨」が降り、神戸市内の3日間の総雨量は461・8_、年間雨量の3分の1を記録し、死者671人、行方不明者24人となった。自然の脅威は怖く、あとが断たない災害−。

(7月27日号掲載)

◇この「三連休」はいかにも梅雨(つゆ)真っ只中であった。すっきりしない気分のまま、あっという間に過ぎた。本来の仕事が雑事に追われ、まるでサランラップを透かして見るように、日常と非日常の境界が薄ぼんやりと揺らいでいる◇千歳山(山形市)に隣り合う東の「戸神山」(311b)と盆地を挟むようにして西の「富神山」(402b)の山頂を定規で結んでみた。ちょうど吉原あたりが半分の地点。直ぐ側を須川が蛇行して北に下る◇この須川には戸神山のすぐ南脇から「竜山川」が、また千歳山の南側、平清水からは「恥川」(はずかしがわ)がそれぞれ須川に合流している。今後の雨量にもよるが、山形市のハザードマップが「水害は忘れた頃にやってくる」と呼びかけている◇須川にもし1日268_bの雨が、竜山川には1時間に57_bの雨が降り注ぐと、河川周辺の危険はもとより浸水深は0・5b未満から2・0ないし5b未満にまで及ぶと警告している。山形総合支庁舎付近の鉄砲町交差点周辺も0・5b未満の浸水深カラー黄色に塗られている。

(7月20・24日号掲載)

◇明治学院大の佐藤眞一教授が『本の窓』7月号に興味深い文章を書いていた。「いつも笑って誤魔化してはいるが、記憶力の衰えには実は深刻に悩んでいる。人の名前は出てこないし、いつも『あれ、それ』ばかりだ。いずれはぼけてしまうのだろうか・・・」と◇一方、こちら、人に〈衰え〉など指摘された途端、愚かにもムキになって当たり構わず反駁の体たらく。さすがに佐藤教授は賢い。「笑える」のである。そして「多くの中年はそう思っている。しかし、その一方で、会社の部下や息子・娘よりも自分が知的に劣っているとは決して思ってはいない」という◇励ましの言葉が続く。結晶性知能理論というのがあるそうで、「流動性知能が直接記憶、情報処理速度、図形的理解などの能力であるのに対して、結晶性知能とは洞察力や判断力、理解力、内省力、コミュニケーション能力などをいう」と◇そして、「中高年者の知能の核心とは、経験に伴って高まるという意味である」とも。これを励ましに思わない手はない。何はともあれ、教授の近著『「結晶知能」革命』を読んでみようか―。無理だと言われそうな気配―。

(7月18日号掲載)

◇いつ飛んできてもおかしくなかった。再びそれが現実となった。体制維持のため、これが補償されない限り、「日米」にはいずれ一矢を報いてやる―、これが金正日の腹のようだ。「日帝」時代に負わされた民族の悲劇、受難の構図を忘れずにいる。北の体制はそのときのままだ◇今後も飛んで来る。彼にとって、これは脅(おど)しでもなんでもない。民族の存立と誇り(社会主義国の何時までが誇りであり得たかの世界史的学習はかの国からは見えないまま)を独裁者として君臨し、今に到っている。その民族の誇りをかけた抗議の形がミサイルに集約している◇東西冷戦がベルリンの壁崩壊を境に、多くの社会主義国家が相次いで瓦解したなか、朝鮮半島の「北」は愈愈(いよいよ)その体制を強化し、一層の独裁化に拍車をかけて来た。地球を取り囲む大小の潮流、独裁者の中心にのみその渦の動勢が集中し、独裁者は国の未来を自身の腹の内にのみ収めては吐き出す誤謬を繰り返して来たとも言われる◇スターリンもチャウシェスクも民衆と反体制派にはむごい仕打ちを繰り返して犠牲を強いた。孤立化の深みは闇の淵が地の表にあるようだ−。

(7月10日号掲載)

◇先週末、ソフトボールの試合に約20年ぶりに出場した。試合に向けた練習には3度ほど参加。長期ブランクの穴を埋めるまでには至らず、不安を残しての試合当日。応援団として臨むつもりが、まさかの先発出場。しかも、守備位置はセンター。抗議の最中にプレーボールとなってしまった◇我々のチームは先攻。相手投手は本格派ながら、打線がつながり初回に大量得点。余裕でその裏の守備に付いた。すると、見方投手が打ち込まれるとともに、守備の不安も露呈。たちまち同点とされた◇各チームとも、選手の年齢構成は30代後半から40代が中心。明らかに30歳代は動きが軽やか。40歳代後半でも人によっては負けていない。話を聞くと、学生時代から身体は動かし続けているという。数歩の動きで足がよろける当方とは過程がまったく異なる◇帰り道、40歳代での今の差が、50歳代になったらどうなるのか考え、恐ろしくなった。このままでは多分、差は広がる一方だろう。〈ピンピンコロリ〉へ向けて、必要最小限の運動を継続しようと誓った。

(7月6日号掲載)

◇今週は「全国労働安全衛生週間」、官・民それぞれ安全・安心の現場をめざしている。「県競争入札参加資格者指名停止要綱運用基準」に、〈公衆損害事故〉についての規程がある。「公衆」とは、当該事業関係者以外の者全てをいう◇〈県と締結した調達契約の履行に当たり、死亡させたときは3カ月〜6カ月、負傷または損害を与えたときは1カ月〜6カ月の措置をとるものとする〉と。しかし、次の項に〈公衆損害事故又は事業関係者事故が次のイ又はロに該当する事由により生じた場合は、原則として指名停止を行なわないこととする。〉と◇原則としてのその場合とは、〈イ作業員個人の責に帰すべき事由により生じたものであると認められる事故、ロ第3者の行為により生じたものであると認められる事故〉と◇〈「安全管理の措置が不適切でであったため」及び「当該事故が重大であると認められるとき」の該当の有無は、原則として当該工事等の現場代理人等が刑法、労働安全衛生法の違反の容疑により逮捕され、又は逮捕を経ないで控訴を提起されたことをもって判断〉と。無事故無災害へ。

(7月3日号掲載)

◇〈どくだみをこれぞ立華と活けにけり〉(鳥居おさむ)。手入れのしない庭にどくだみがあれよあれよと生い茂った。この夏、ずぼらを決め込んで咲くがままに。町内会の公園除草、人が変わったようにむしり取る。この落差がいやらしい。煎じて心身の毒を吐くしかない◇〈十薬(どくだみ)や酔いのこりたる咽喉の奥〉(藤田湘子)、若い職員が朝から食べ物の話をしている。やれ焼き鳥、やれ焼肉、やれハンバーグ、グラタン、麻婆豆腐と続く。一体、朝飯食って来たのかオイ。とたんにこちらも西蔵王の野山に思いが飛ぶ。山中の芝生にシートを敷いてのバーベキューなどと◇肉を食い過ぎるのは危ない。胃袋にはどくだみか。〈どくだみの花の白さに夜風あり〉(高橋淡路女)とこちらはいかにも楚々として涼しい。闇夜の白い花の怖さもある。やはり外での肉食行為は危ないのである。放牧場の牛たちも夜には牛舎の中、昼牧草をはみ肥え育つ。毒草を嗅ぎ分けて◇こちら黒牛和牛を食いたくも内臓脂肪付くのみ。心身育つ年齢も過ぎ、下手をすると逆流性胃炎。牛のように反すう胃、〈十薬にうづもれ富貴うしなえり〉(原コウ子)、失うよりもともとなし。負け惜しみの荒れ野草、見かねた近所の奥様が除草は徐々にとアドバイス。一度にすると腰痛めるよという。取ったばかりのキュウリの差し入れ、有難い。

(6月29日号掲載)


◇埋葬されたはずの遺体がその墓所にはなかった。その人の死因は毒を盛られ、しかも盛った人がその人の妻―、となればそれだけで十分に闇(やみ)の世界だ。生誕250年を今に彩るモーツアルト晩年の伝奇。世界3大悪妻の一人といわれる妻コンスタンツェが果たして毒を盛ったのか、どれほどの悪妻であったのか、真実は謎◇確かなことは不幸な晩年。墓も、遺骨も分からない。今ある墓は後代に作られたもの。もちろんその中に本人の遺骨はないという。1820年頃、まことしやかにウイーン宮廷の大作曲家サリエルの手による毒殺説が流布され、サリエル自身は死ぬまでこの噂に悩まされ続けたという◇胎教にはベートーベンの『運命』を聴かせるより、モーツアルトの『子守唄』の方がいいとも。大人にも脳内に良い物質が生じるという。彼の曲には基本3大和音であるドミソ、ドファラ、シレソを中心に組み込まれており、大バッハのような対位法やフーガ形式でないのが多い◇絶望的状況に置かれていても、モーツアルトは必ずどこかで〈歌い続けている〉という。これを天からの〈贈り物〉と表現する人もいる。モーツアルト自身の信仰がたとえ秘密結社フリーメーソンに連なるものであれ、あの〈きらきら星〉の歌の星がはたして何の星なのか。やはりテンプル(神殿)に通じそうだ―。

(6月26日号掲載)


◇昨年の7月27日、上山市出身の洋画家小俣信氏が秦野市の日赤病院で亡くなった。平成8年4月、郷里の山形で個展を開催したとき、高校の同級生たちが集まり彼を創作へと駆り立てている思いに触れる追体験をさせてもらった。巡礼者のような風貌をして作品を車に積んで山形にやってきた◇年に何度もヨーロッパ各地を回り描き続けていた画家の生き方が魅力的であった。七日町の画材店美芸社に間借りして高校に通い、東京芸大油絵科を卒業しフランス政府給付留学生としてマルセイユに渡った。仲間の求めに応じて短冊に俳句や短歌をしたためてくれた。画家は俳人種田山頭火や歌人斎藤茂吉が好きだった◇テレビでは茂吉が学んだドイツでのユダヤ民族の悲劇が長時間にわたり、ラジオからはイラク・サマワにおける自衛隊撤退のニュースが、そして小泉首相の記者会見の様子が報じられた。イラク戦争開戦時は必ずしも国連の総意というものではなかったかもしれないが、イラクの復興について今は国連の総意―との意味の発言が首相の口から出た。いまさらと思う◇画家の父上も先の大戦で戦死した。上山市の山間にある母親の実家に預けられて育った「漂白」の画家は、その生涯のすべてにおいて失われたものを自らが探し求め訪ねる旅のようではなかったのか。「平和」・「戦乱」・「鳥」の作品に溢れる画家の眼差しが懐かしい―。

(6月22日号掲載)


◇ジーコ・ジャパンによる初戦「日本対オーストラリア」のゲーム。多くの日本人が悔しがった。ゴール・キーパー川口選手の涙ぐましい果敢な防御をチームが土壇場で支え切る事が出来なかった。全員があと10分持ち堪えていればの無念さが残る◇張り詰めた〈逃げ切り〉もあろうに。これが消極的な戦法で緩慢を呼び込みかねないとしても。相手チームの勝利をもぎ取る意思の方が日本選手より一つ上手(うわて)だったのは確かだ。日本は惜敗というより完敗した―◇異なる両チームの監督の采配ぶりの違いも少なからず感じた。選手起用のタイミングにも信頼して任せるジーコ監督の姿勢が裏目に出ていたようだ。相手の指揮官は試合前にショッピングと練習非公開の〈技〉を用いる監督である◇厳しい船出だが宮本主将は「頭を切り替えて次に」と言葉少なめ。会社の同僚たちの表情にもあの朝はどことなく拍子抜けした気配。あとは「クロアチアとブラジルに勝つだけだ―」、と勇ましい言葉も飛び出した。アナン国連事務総長も羨むほどの世界規模のスポーツの祭典―。素晴らしい―。

(6月15・19日号合併号掲載)


◇〈割り箸〉の使われ方、その運命を一度立ち止まって考えてみるべきだ―、というのは経済評論家の内橋克人氏。コンビニあたりで、「割り箸お付けしますか」と聞かれたとき、くれるものならもらわなきゃ損とばかり、「付けてください」と言ってしまう◇日本向け中国産〈割り箸〉の値上げにより、コンビニや外食産業がいろいろ対策を講じているという。一番の元は中国での木材伐採に歯止めを―、と中国の人自身が気づき始めたとも◇たかが割り箸、されど割り箸、割り切れない5円の〈箸〉に、われわれ消費者は無自覚に、流されるままポイと捨ててしまう。貴重な木材を無駄に使っていいのか、という警告を内橋氏は発しているようだ。さらに、箸一膳から日本人の躾(しつけ)や文化、経済と流通の仕組み、環境問題にまで及ぶ◇「熱塩温泉山形屋の箸だぞ―」、「お前にやる」と上司から一年以上も机の中にしまってあった黒塗りの箸を渡された。当方の机には未使用の〈割り箸〉数本がストックされている。かっては使用したものを洗って束にして置いていたときも。変貌したのは当方、反省―。

(6月12日号掲載)


◇盗作問題が浮上するまで和田義彦という現代洋画家を知らなかった。「和田」といえば昔、中学の〈図画・工作〉の教科書での和田三造しか知らない。逞しい半裸の海の男が筏の上で遥か彼方を見つめ起つ力強い『南風』という題の作品である◇今回、お騒がせな話題の和田さん、逞しさより詩情の人、韻(いん)の踏み方が不味かった。イタリア人画家であるアルベルト・スギの作品を盗作(本人は盗作ではなく、オマージュだと言い張る)としか言いようがない自分の作品として多数発表。05年度の芸術選奨文部科学大臣賞(美術部門)を受賞◇6月5日、それを審査した“鑑定団”が事の重大さに改めて受賞取り消しの沙汰を。本人がオマージュというあたりだが、画家同士互いに疎通していないばかりでなく、和田氏の著名入りタブローに化けている点で、模写とも異なるまさに盗作に◇自由な創作の世界で模写することは決して恥ずかしいことではない。それを自分のオリジナルな作品としたとき、模写を越えて盗作といわれても仕方がなくなる。和田氏自身の画室に留め置くべきだった―。


(6月8日号掲載)


◇佐藤紅緑と佐藤栄作。3日が命日だった。二人の佐藤さん、共通しているのは「我(われ)」ということかもしれない。前者は『ああ、玉杯に花うけて』の著者、後者はノーベル賞(平和賞)受賞者という。一人は青森の人、一人は山口の人◇青森には三沢基地があり、山口の人が係った沖縄の基地はいまだに呪縛されたまま。「返還」どころでない有様。三沢の町は町おこしのため「アメリカの町」そっくりに造り変えるという。何とも〈勇気〉ある決断であることか。果たして寺山修司は喜ぶのか◇外海に出向くように石で堤防を築き迎え撃つ準備として備え、再び防備を―と、高杉晋作の奇兵隊のように、そこから先の何を見るのだろうか。星条旗かどうかはわからない。いくら名を捩(もじ)った佐藤B作とて、A作さん詣(もう)ではしないだろう◇その永田町の甥ごさんに、晋作さんの事を聞いてみたくなる。〈鎖国〉を薦める人も。世界に何を発信するか。〈恨まれもせず、恨みもせず〉、偏らずにすむように―などと思いたくもなる。破滅の道だけは御免被りたい。

(6月5日号掲載)


◇ケーブルテレビを利用しているが、デジタル放送用のボックスを取り付けてもらった。交換するだけの費用5000円程度で済んだ。もちろん今までのブラウン管のテレビも以前より確かにくっきりと見える。音質も幾分ソリッドだ◇デジタル放送などしばらく縁がないと息巻いていたが、薦められて必要なその部分のボックスだけでこと済むなら安い。5年後にはアナログ放送が全廃される。世の中が変わってしまうにしても、今まで見ているブラウン管を活かさないのは申し訳ない◇家電量販店には数十万円もする新型テレビがところ狭ましと並んでいる。もちろん手が出ない。退職した親戚の主人が退職金をはたいて50万円もするプラズマテレビを購入。見せてもらったが狭い自室を画面が占拠、臨場感は想像以上だ◇夫婦だけの生活だが、奥さんとのそれまでのチャンネル争奪に終止。今では自分の時間を満喫しているという。テレビが売れており電気屋さんも当分は稼ぎ時。子どもには防犯ブザーを持たせ、家には火災報知器設置の義務付けも。ものに囲まれる人間の自由不自由―。

(6月1日号掲載)


◇何十年ぶりに「教育基本法」(昭和22年3月31日施行)を読んでみた。全条わずか11条から成る。第1条が教育の目的だ。高邁な理念である。「教育は、人格の完成を目指し、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自由的精神に充ちた心身ともに健康と国民の育成を期して行わなければならない」と◇「その通り」、申し分のない文言だ。しかし、「国を愛する心」の文言がないと、今回新しい「教育基本法」に塗り替えられた。「知育」・「徳育」・「体育」の言葉も最近はあまり耳にしなくなった。「愛国」という「国」を愛することに異論はない。問題は「愛される国」の中身である◇何より人々に「生れてきてよかった」と思われる「国」でなければならない。「形」から入る「愛育」の陥りやすい錯覚は、まとめる指導者にとっては、その「形」のみを尺度に白黒が付けやすくなるだろうが行動様式の「形態」だけで「愛」が育まれ、整えられるものでないだけに形式主義になれば嘘臭いということになる。

(5月29日号掲載)


◇先輩の一人に定年を迎えた人がいる。近くの公民館で行なわれている「社交ダンス愛好会」に入会したという。ニコニコ顔でまんざらでもなさそうだ。「60歳で俺れ、若い方なんだ。何だか妙な按配で、ずっと年上のオバちゃんたちからシャル・ウイ・ダンス?のお呼びがあるんだ」と◇「ホホッ」とこちら。社交ダンスと聞いただけで身構え、緊張してしまう無骨者の当方。嫌味のない先輩の人柄ならさぞ楽しいことだろうと思う。たとえ〈仮面〉を付けても、自分にてこずることは目に見えている。そもそも、マンボやチャチャチャ、ジルバやルンバなど手拍子打つのが精一杯だ◇人様の中で身体表現など出来ようはずも、しようとも思わない。くだんの先輩、カルチャーセンター大好きときた。定年後には新しい友人がドンドン増えたという。写真にも熱を入れている。愛機ニコンF4に高級な超望遠レンズ◇稲富流の鉄砲でも抱えるように、「鳶(トビ)を狙っているんだよ、俺れ」という。トビならいっそ手なづけたら、と言いたかったがやめた。最近、トビが人に興味をもち始めたとの情報も入った。


(5月25日号掲載)

◇「君はダ・ヴィンチが好きか、それともミケランジェロが好きか」。そんな問い方をされたときがある。若い時分は迷わず後者と答えた。完璧なほど冷徹に見える前者よりそうでない人間の弱さむき出しの後者に近親感を覚えていた◇ダ・ヴィンチは手が左利のために、書く文字が全て裏返しにされている文字、そのため鏡に映してはじめて読める、とダ・ヴィンチ研究の第一人者裾分一弘氏の解読が新鮮だった。すでにあの辺りからダ・ヴィンチは「謎」めいて見えた◇「謎」は新しい多くの謎を孕(はら)んでいるようだ。『ダ・ヴィンチコード』、現代人が好みそうな〈コード〉の文字がさらに謎を生む。レオナルド自身が死人を解剖したように、ダン・ブラウンという小説家によってダ・ヴィンチも解剖され、過去の歴史も解剖されようとしている◇『モナリザ』を観に夜行バスに乗って上京したときを思い出した。ヴィンチ村を背景にした微笑むジョコンダ、この一枚の絵のまえに群がった人々。娼婦マグダラのマリアが登場するダ・ヴィンチコード、『最後の晩餐』での「M」の謎を深める映画が封切られるという。コードが絡み合う−。

(5月22日号掲載)

◇ワールドカップドイツ大会の日本代表メンバーが15日に発表された。青きユニフォームに身を包んだサムライ達23人の世界を舞台にした活躍に期待したい◇大会の開幕戦、ほか数試合が行われるスタジアム、「アリアンツ・アリーナ (バイエルン州ミュンヘン市)」はスイスの建築家ヘルツォーク&ド・ムーロンの設計で、収容人数約6万6000人、総工費は約2億8000万ユーロ(約380億円)。◇建物の特徴はその外観で、アリアンツ・アリーナをホームスタジアムとするバイエルン・ミュンヘンの赤、1860ミュンヘンの青、また、ドイツ代表戦などでは白へとそれぞれのチームカラーに合わせて発光する◇周囲を取り囲むこの壁面には、旭硝子が開発したフッ素樹脂フィルム「フルオンETFEフィルム」が使用されており、側面と屋根部分の鉄骨に二重にはめ込み空気圧で膨らませている。この素材は耐熱性や透明性などにも優れており、紫外線を通すため天然芝の育成にも最適という◇おそらくW杯では日本がこのスタジアムで戦う姿を見ることはできないだろうが、日本の技術を駆使したハイテクスタジアムは、遠いドイツの地で世界に向けて鮮やかな輝きを放ち続ける−。


(5月18日号掲載)


◇日本の旗は美しいと思う。けれど、あれにマジックインクや墨で何やら文字を書き込むとそうでなく見えてしまう。美観の上からも折角の「純白」が汚く見えてしまう。あれはあのままにして殊更(ことさら)人の手を加えない方が美しい◇「白」はいかにも混じり気がなくてよい。大型連休中に隣組の一軒の家でこの旗を立てていた。県の元大幹部のお嬢さんが嫁いでいる家である。5月3日、4日、5日のうちの「3日」の日だけであった◇4年前、日本と韓国で開催されたサッカーのワールドカップ時、「日本−トルコ戦」に釘付けになった。即席に思いついたまま、きれいな厚紙で両国の国旗を作った。それをテレビの前に置いて観戦。出来栄えが我ながら気に入って、今も飾っている◇暦の上では「立夏」も過ぎ、街路のハナミズキが美しい。元々、北米が原産、日本には明治の中頃に小石川植物園(元は江戸幕府の御薬園)に移植されたという。また「憲政の神様」といわれた尾崎行雄が、日本の桜3000本をアメリカに贈った返礼としてハナミズキが日比谷公園に植えられたという。

(5月15日号掲載)


◇テレビの「功名が辻」などを見ていると、戦さが仕事という「侍」たち。狭い領地の勢力争いに各将、その拡大に向け、ありとあらゆる権謀術数。策を弄しての失敗や成功が繰り返される。いわば「経済」を視野に「武闘」が生きる為の術と、封建領主と家臣、領民のそれぞれの心が揺れる◇徳川300年治世の鎖国が解かれ、明治新政府も欧米列強によるアジアにおける植民政策に遅れまいと富国強兵策に打って出た。海を渡って大陸へ。商業資本の拡大は形を変えながら今も空を飛び海を渡る◇貿易収支のアンバランスに一喜一憂し、目下歯止めのかからない原油高、世界の隅々に不安の兆し。国の垣根を尊重し、人類共に「公益」「公正」「公平」を「平和」の石杖にと世界各国のお偉いさんたちは思って欲しい◇偏狭なナショナリズムで凝り固まり、エゴ丸出しの集団国家になってしまってドンパチはじまれば、何もかもが失われてしまう。社会資本整備にはメンテナンスも含め、適当に壊れた方がお金の回りが良くなるからなどと、戦さ歓迎と思わない方が健全だ。為政者に心眼―。

(5月11日号掲載)

◇4月23日の日曜日、霞城公園に桜を観に出かけた。まだ見たことのない「風流花見流し」を一目この眼でと。午後7時からの演舞に間に合うよう早めに「大手町駐車場」の駐車券を求めゲートをくぐる。スムースなのはそこまで◇その先がいけない。駐車スペースがあるはずなのに何故か数台前の車が右往左往している。空きスペースを探して進路を決めかねている様子。中では多くの車が身動が出来なくなっていた◇間もなく演舞が始まる。早く駐車しなければ時間に間に合わず見損なってしまいかねない。182台収容のこの駐車場、季節のイベントだというのに職員はたった一人しかいない。漸く駐車ができ東大手門の橋上に向かう◇しかし演舞の船は今この下を通過したばかりという。本当に見損った。腹を据えて花冷えの中に待つことに。問題はまだあった。家に帰るため地下駐車場から外に出るとき◇場内はすでに排気ガスで気分が悪くなるほど、横からの割り込車の連続。停車また停車でパニック寸前に。救急車出動があっても不思議でないほど。安全の面からも出口の増設を―。

(4月27日・5月1日号掲載)


◇わが隣組での境界争いは耳にしない。平和でおだやかだ。昨年、わが家の枝垂桜の枝葉が生い茂り、隣家の屋根に虫のようなものが落ちてくる、とクレームが付いた。確かによく見るとお隣の家の屋根に風で揺れて境界を越える長い枝もある◇クレームつくのは至極ごもっとも、と当方直ちに枝葉を切り落とした。こちらの感受性が鈍っていたのである。丁度アメリカシロアリ駆除消毒の前あたり。こちら言われてはじめて気がついた◇言われてもそ知らぬふりをしなかったため、広い心でおだやかに対して頂いたものと思う。いずれにしても近所づきあいは円満である。有難い―。4月20日、家の屋根や自動車の屋根に積もった雪が何と5センチ近く◇桜の花が咲いたというのに、大気のリズム狂いにお国同士が狂ってしまったらはじまらない。昔の李承晩ライン復活の兆しかわからない。排他的水域、町内隣家同士の排他的〈境界〉がもし地震などで生じる地表のズレなど変わる場合は測量のし直しも必要だろうと思う。海底に及べばなお複雑に。客観的・時系列的に〈法〉が活かされる納得策を。

(4月24日号掲載)


◇何年か振りで海を見た。「株主総会」の会場といえば聞こえはよい。いつも山の中の温泉旅館だけでは閉じ込められるようだ。どうせ飲会が主になるはず、たまに海に沈む夕日を眺めながら、と珍しくしおらしい◇折角、日本海に来たのである。クラゲ展示数と世界最初の〈ユウレイクラゲ〉の育成に成功した話題の「加茂水族館」に入ってみようということになった。様々な種類のクラゲ、糸よりも細く長い触手が揺れ、まるで宙に浮いているように見える幻想的な世界◇同行の先輩に「クラゲに目はあるの?」と質問。即座に「触手がその代わりではないか」という。ところが帰ってから調べると〈眼点〉という感覚器官が〈眼〉に代るらしい。傘の縁部に8つあるという◇しかし明暗の光を識出来る程度で、全てのクラゲに〈眼点〉があるわけでもない。〈平衡胞〉という感覚器官をもつものも。〈タコクラゲ〉や〈エチゼンクラゲ〉など根口クラゲ目の仲間は〈眼〉が効くらしい。流氷の天使〈クリオネ〉も肉眼で初めて見た。鶴岡公園では桜が開花、宴たけなわの人たちもいた。

(4月20日号掲載)


◇昼時間にラジオ番組に出演していた歌手内藤やす子が『弟よ』のヒットアルバムについて語っていた。すでに55歳になるという彼女、同い年のアナウンサーとの話しも相変わらず迫力のある低音。小さいとき自分の低い声が嫌で、その「声」ゆえに「傷ついていた」という◇一人っ子の彼女、『弟よ』をレコーディングするときは、〈暗い眼をした弟〉をアパートに独り残し、男のもとへ去っていく姉の心境など分からないまま、ただ間違わないように唄うことばかりに神経を使ったという◇「成る程」と、耳を傾けながら改めて僅か数分の歌謡曲に映画を観ているような思いでいると、壁代わりにしている編集室のスチールキャビネの向こうから同じメロデーを口ずさむ上司の声が聞こえてきた◇若いとき耳にしたことのある印象深い歌詞や旋律というのは何十年たっても新鮮に響いてくるもと思い、これがまた胸を打つ。「恋人」や「父」・「母」、「妹」を歌う曲はわりにあるらしいが「弟」を歌う曲は余りないという。そうかも知れない。『時には母のない子のように』のカルメン・マキの暗さも懐かしい−。

(4月17日号掲載)


◇「最上川」を描き続けた画家真下慶治さんの大淀のアトリエを訪ねる。夫人の案内で画家の仕事部屋に通され、ゆったりと流れ下る川面を眺めやった。「目を下流の方に移すと川の表情が変って見えるでしょう」と夫人◇確かに大きく蛇行する湾処の水の深さそのままの瀞の趣が先に下って川の瀬の表情になっていた。画家はこの南に面したアトリエからいつも最上川を眺め、描き続けたのか。窓際のコーナーに未使用の巻キャンバスが立てかけられており、椅子にはパレットが生前のまま少し埃をかぶって置いてあった◇パレットは画家の息遣いや温もりが殊のほか見る者に強く伝わってくる。決して広いとはいえないこのアトリエから、晴れた日には遥か彼方に白鷹山の山頂が見えるという。対岸にあった人家がなくなり竹林だけが残り茂っているのだとも◇昭和46年に建てられたこの赤い屋根のアトリエは、作品『大淀の眺め』(1973年)として描かれている(真下慶治記念美術館所蔵)。土手の残雪の下に芽吹く春、貴重な一時が有難く光栄に思われた。

(4月13日号掲載)


◇「保・幼・小・中・高・大」、新しい年度のスタートで全国の保育園や幼稚園、そして学校の門をくぐった人々が大勢いよう。入園・入学に希望と不安に胸膨らませながら。幼い頃を思い出してみると懐かしい。陰湿ないじめなどあまりなかった時代だ。身の回りのものも少なく貧しかったが大らかで未来に明るさがあった◇周りの大人の人も子どもの目には皆優しく親切に見えた。怖い顔のオジサンもその怖さのまま、大抵は子どもには心の眼ざしを細めてくれた。「サーカスにさらわれるから」などと、今では問題発言になる言葉を親が使うこともあったが、実際「人買い」の山椒大夫にはお目にかかることもなかった◇ボードビリアン、トニー谷氏の子息や村越吉展ちゃんの誘拐殺人事件の不幸な出来事もあったが、今日のような町ぐるみの警戒巡視や監視はなかった。子どもたちが今を生きる、生き難さのようなものはなかった◇生き難さの根底に人間社会のどの部分に何が欠落しているのか。社会全体の倫理観喪失とか人間不信に陥らしている世の仕組みや構造に問題があるとしたら−。

(4月10日号掲載)


◇県庁が変わろうとしている。「新年度において、県政を、より一層、組織経営型の運営になるよう、しかも、皆さんお一人お一人の意識改革と相俟って、『自律的』組織経営型となるよう、2つの点において、さらにしっかりと舵を切ってまいります」と齋藤知事◇組織経営型の「経営」に注目したい。行政組織も会社組織も極端に言えば家族を抱える個人の家においても、必然的に変わらなければならないものはある。今を生きる「老」・「壮」・「青」・「幼」がその時代といかに望ましい関係になり得るか◇知事の言葉はいたずらにそこまで膨らませることはしない。しかし、あくまで県民への県政であることを淡々と一貫して語っている。安穏としてはおれない組織は、明確な目的意識をもってこの地方においても〈改革〉の文字を外すことをしない◇「政策遂行」と「人材マネージメント」、この2つの点の舵をしっかり切ると言明。このぶれのないメッセージには、多くの県民と県内企業あるいは組織を形づくる人間力の活性化へ導く思いも込められている。そう思うと困難な時代に力も湧く−。

(4月6日号掲載)


◇「有吉佐和子は念願の人民公社見学に出かけた。彼女が望んだのは、農民と同じ屋根の下に寝て同じ食事をとり同じ労働をするという〈三同生活〉だった」と記すのは作家関川夏央氏(集英社・「有吉佐和子的人生」)◇70年代後半のことだ。しかし、彼女が見た中国は『複合汚染』のベストセラーの著者らしく、その視野には特に「肥」と「保」が根強くあったという。「肥」は農作物への肥料、「保」は植物の保護、農作物を如何に害虫から守っているかという点だった◇しかし、有吉を驚かしたのはすでに世界的に使用禁止となっているDDT(アメリカは1969年に禁止)をアメリカも中国もその製造を当時中止していなかったばかりでなく、アメリカにいたっては発展途上国にそれを売っていた◇中国は中国で、「百年後の危険より現在の飢餓から国民を救う方が先決」と、当時は大量に使用していた。「化学から最も遠い農業を営み、農薬による汚染とは縁がないはずと思っていた中国農民が、殺虫剤の毒性に鈍感であることに有吉佐和子は唖然とした」という。さて今、中国の城春にして草木は―。

(4月3日号掲載)